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Aristide Maillol ギリシャ黄金比の呪縛

2015-07-05 | 彫像

 

Aristide Maillol ギリシャ黄金比の呪縛【わたしの里の美術館・彫像】 Aristide Maillol ギリシャ黄金比の呪縛


Torso of LIle deFrance

 

 

 マイヨールのトルソは、ぽっちゃりと言おうか、ぽってりといおうか、とにかく太めのイメージがある。

この作品にも、そのイメージがある。しかし観る角度により、ギリシャ彫刻の理想型のような、フォルムを見せる。日本で行われた展覧会でそう感じた。斜め後ろから見た場合がそうなる。残念ながら、その視角からの影像は、お見せできない。開場は撮影禁止である。

 

芸術作品は印刷物では、ものの一辺だけしか見えない。

Torso of LIle deFrance』 を鑑賞して思ったことは、いままでのマイヨール像が吹き飛んだ。ぽつちゃり、ズングリムックリの乙女像。これがこれまでのイメージだった。ところが、彼の像は生きていた。見る角度によって、印象がまるでちがう。

 これ、生身の女性像をしげしげと眺めたら、ヘンな奴と思われてしまうのだろうな、などと、たわいもないことを思いながら、小一時間はながめていた。普通の格好よりも、芸術家っぽい身なりをしていたつもりなので、ヘンではなかったと思うのだ。でもやはり、奇異だったのだろうか。

 
 均整のとれたスタイル美人でも、7.5頭身が一番小顔。これが現実の、カノンなのだ。これ白人、いわゆるアーリヤ系でもこれが普通。
それで西欧絵画などでは、8頭身が標準となる。なかには、それ以上に小さい頭に、描かれたのもある。もちろんこれ、あちらだけに、限ったことではない。日本の江戸の浮世絵でも、13頭身なんてぇのもある。これは、絵画や彫刻で勝手に描けて、好きに彫れるからこうなる。

   立位 02

 

 なのだがタイプが一度出来上がってしまうと、それに縛られてしまうのが何故か人情なのだ。だから19世紀あたりまでは、8頭身が当たり前で、これが絵画や彫刻の世界だった。その当たり前を打ち破ったのが、マイヨールなのだ。彼の作品には、頭部のない物が多い。これだと、ナン頭身にこだわらずにすむ。普通の女性ならば、7頭身あたりが長身でスラリとしているの部類なのだ。それを8頭身に描いたり、彫ったりするものだから、何処かで変形、デフォルメをしなければならなくなる。

 それが写真機と、影像を写し取る乾板やフィルムの進歩で、写真が容易に手に入るようになった。それで芸術家も、パトロンや鑑賞者も、当たり前に自然の、生身の人間のフォルムを見るようになった。そして写真と、作品を比較してみれば、中には作品のデフォルメが気になる人も出たのではないか。小生はマイヨールも、その一人だと思ってしまった。ならば頭部を省略してしまえ。さすれば、美しい女体はそのままに、作品に仕上げることが出来る。8頭身が好きな人は、それなりに頭部をイメージして、鑑賞すればよい。

 


 
Aristide Maillol ギリシャ黄金比の呪縛

 

 

 

    Cellulite Ladies

 

 

 

こちらは同時代の画家 ルノアール の作品です。

マイヨールはちょっとだけでしたが、ルノアールは大いにはみ出してますね。

 

 

 

 

アリスティド・マイヨール

Aristide Maillol    1861128 - 1944927
 19世紀末から20世紀前半に活動したフランスの彫刻家、画家。オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデルとともに近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人である。ファーストネームは日本語では 「アリスティード」 「アリスティッド」 とも表記される。

 

 マイヨールは、今日では彫刻家として知られるが、本格的に彫刻を手掛けるようになるのは40歳を過ぎてからであり、それ以前は画家、グラフィックアーティストおよびタピスリー作家として活動していた。近代フランスの彫刻家のうち、ロダンはダンテの文学などに着想を得た文学性の強い作品を作り、ブールデルはモニュメンタルで男性的な肖像や記念像を多数制作した。これに対してマイヨールは、彫刻家としての40年にわたるキャリアを通じて、女性の裸体像をほとんど唯一のモティーフとして制作を続けた。マイヨールの女性像においては物語性や寓意性は抑制され、モデリングは単純化されて古典主義的な調和と空間構成が強調されている。

 

マイヨールは1861年、フランスの南端、スペイン国境の地中海岸に位置するピレネー=オリアンタル県のバニュルス=シュル=メールに織物商の子として生まれた。父は商売の関係でアルジェリアに出かけていることが多く、マイヨールは伯母のもとで育てられた。

 マイヨールははじめ画家を志し、1882年にパリに出るが、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)には入学を拒否され続け、1885年にようやく入学を許可される。同校では、アレクサンドル・カバネルジャン=レオン・ジェローム、ジャン=ポール・ローランスらのアカデミスムの画家たちに師事するが、彼らの授業には失望し、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニら、いわゆるナビ派の画家たちと親交を深める。このころ、同い年の彫刻家アントワーヌ・ブールデルと知り合い、またポール・ゴーギャンの影響を強く受けた。

 

1893年には生地のバニュルス=シュル=メールに戻り、絨毯(じゅうたん)やタピスリー(綴織)の工房を始めた。その工房の助手として雇っていたクッティルド・ナルシスと後に結婚している。

 

マイヨールは1895年頃から木彫やテラコッタなどの彫刻の小品を手掛けるようになり、1900年以降はタピスリーの仕事で視力を弱めたこともあって、絵画を断念し彫刻へ向かうようになった。1902年には当時の有力な美術商であったアンブロワーズ・ヴォラールの店で初の彫刻の個展を開いている。ロダンは、この展覧会の出品作であった「レダ」を絶賛した。こうして彫刻家に転身した時、マイヨールはすでに40歳を超えていた。1903年にはパリ郊外のマルリー=シュル=オワーズに移転して制作を続けた。

1905年にサロン・ドートンヌに出品した初の大作裸婦像「地中海」が認められ、以後、彫刻家としての地位を確立していく。1905年は絵画の分野でフォーヴィスムが台頭した年でもあり、マイヨールは同年にはフォーヴィスムの中心的な画家であるアンリ・マティスとも知り合っている。以後、40年にわたって彫刻家としての制作活動を続けていくが、マイヨールのテーマは一貫して裸婦像であった。1908年にはイタリアおよびギリシャへ旅行し、古典彫刻への理解をさらに深めた。

 

ディナ・ヴィエルニー(Dina Vierny)

 1934年、ディナ・ヴィエルニーという女性と知り合い、以後この女性は晩年のマイヨールのモデルを約10年にわたって務めた。

 20090204日の 『ガーディアン』 紙のObituaries欄にディナ・ヴィエルニー(Dina Vierny)の記事が出ていた。1月下旬89歳で亡くなった。この方は、フランスの彫刻家(画も描いた)のアリスティド・マイヨール(Aristide Maillol, 1861-1944)の晩年のモデルを務めた女性である。彼女からインスピレーションを受けた代表作に、「河」 (La Rivière, 1939-43) がある。

 マイヨールが彼女と出会ったのは1934年、彼が73歳、彼女が15歳のときのことで、晩年にある種の行き詰まりに陥っていたマイヨールにとって、ヴィエルニーの出現が新たな方向性を彼に示唆することになり、その点でまさに彼女はマイヨールの「ミューズ」だったと記者のマイケル・マクニー(Michael McNay)は言う。 【マイヨールのミューズ

 

1939年、戦火を避けて故郷のバニュルス=シュル=メールに戻り、制作を続ける。大戦中の1944年、故郷で自動車事故に遭い、死去した。82歳であった。

地中海 1902 - 1905
とらわれのアクション 1906年
夜 1902 - 1909年
イル・ド・フランス 1925年
山 1935年
河 1939 - 1943年
アルモニー 1944年
( wikipedia )

 

 

参考までに、モデルの影像

 Collection of poses Collection of poses

 

 

 

 

シヌエッサのヴィーナス

2010-03-31 | 彫像

 

  
       (ナポリ、Napoli)

 

 シヌエッサのヴィーナスAphrodite von Sinuessaはナポリ国立美術館Neapel, Nationalmuseumの収蔵品で、1911年にナポリ市の近郊で発見されました。

ミロの美神は当に神然として、神々しい造りです。そのように感じてしまうのは、端正なお顔立ちの 所為なのかも知れません。それに対して、シヌエッサの それはあまりにも生々しい。腰のボリュームはゆったりと豊かに、恥丘の露出もあいまってトルソは触れば人肌の ぬくもりに つつまれている様にもみえます。

 

 

 
画面をスクロールさせて、乳房から上の壊れた部分をモニターの枠外に押しあげてしまえば、違った見え方になります。ここでイメージできるのは、生身のはだかの女性です。女神様ではありません。

 

 

 

Mature Nymphs Female Torso

 

 

 

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