これは大英博物館にある蹲るアフロディーテ。綺麗な女性を見たならば、自分の妻にすると思うのは勝手だが、実行にうつす場合にすでに彼女が既婚者ならば諦めねばならない。台湾の元総統はこのたとえに言寄せて、尖閣諸島の領有をいいつのる愚かしさを戒めた。しかし、他人の女房を奪おうとするのは支那人に限ったことではない。
バテシバ Bathsheba で書いたが、ダビデ王は自分の部下の妻を一目見て、みそめてしまった。
残忍で酷薄な策をめぐらして、バテシバを自分の妻にしてしまった。
このような西欧文化の流れの中で鑑賞すれば、彼女の美しさの影にある陰謀の暗さを偲ばれる。
良人を殺されて、自分はその妻になる。
古代の物語によれば、最初に身ごもった赤ん坊は神の怒りによって、死んだという。そして後からできた子が、かの有名なソロモン王だという。穿ってみれば、最初の子は麾下の武将の子だったかも知れない。つまり物語の中にも、プロットが仕込まれている。
瞞される方が悪い。上手に味方さえも欺いて、自分の思いを遂げることが、地中海の風土の中では、あたりまえのことなのだろうか。一般の民草は羊にたとえられ、教説を垂れる指導者は牧童にたとえられる。異民族同士の抗争に明け暮れ、打ち負かした相手の民族を奴隷としてつかう。このような社会だからこそ、うまれる美意識なのだろう。
ルーブルの彫像は頭部を失い、乳房や下腹部を隠す両の手も失われている。
何かに驚いて振り向く肢体はそのままに、乳房もふくよかな腹部もあらわである。
なにも知らないわれわれは、純粋にトルソの美しさを愛でるのみ。
蹲るヴィーナスのポーズは、股間をとじた姿勢です。これだと両足が一直線上になるため、バランスをとるのが難しい。モデルのようにまたを開けば重心が安定する。しかしこれでは、誘惑のポーズになってしまう。覗かれる視線を感じて膝をとじて、気配をさぐる。バテシバはソロモン王の父ダビデが、強引な手法で奪った愛妃。
大股をひらいた怪しげなポーズの絵画は、マドモアゼル・オミュルフィが描かせた。目出度くルイ15世の愛唱となったが、ふとした言葉の綾がわざわい。彼女は兵士の妻として、下げ渡された。
快楽に奉仕するブーシェ はただいま準備中。宜しかったら覗いてください。
Artist Coysevox, Antoine (1640-1720)
Keywords Neo-Classical Aphrodite Venus accroupie kneeling female goddess agenouillee
Artwork location Louvre, Paris, France