ウォーキングの「グループわらじ」活動紹介

主に宮城県内で、楽しく歩いて自然に親しむをテーマに、毎月一回徒歩定例会を実施中。2024年6月で600回を数えました。

グループわらじ 第577回徒歩定例会報告 山形五堰ウォーク

2022-08-15 20:43:59 | グループわらじ徒歩定例会

山形五堰ウォーク

2022年7月24日(日) 晴れ 15.0km 参加者26名(会員25名、一般1名)

 山形市の五堰をめぐった。今年は厳しい暑さがつづき、山形は特に猛暑になる事で知られているので心配であったが、離脱者もなく歩き通せたのは良かった。昔、あちこちに流れていた小川や堀が、車社会と共に消えて行ったのは残念だが、山形市に今もこうして姿をとどめているのは、市民の強い思いがあっての事だろう。

 藩政時代、馬見ヶ崎川から取られた水は、市中を放射状に流れていたらしい。霞城のお堀にもその水は使われていた。始めに霞城を訪ねた。その堰を御殿堰と言う。最上義光の勇壮な騎馬像を見、再建された大手門をぬけ、メインストーリーの七日町に出る。そこには短い流れではあるが御殿堰が整備され、街に潤いを与えている。

 

 次に旧県庁である文翔館に向かった。大正時代のレンガ造りの堂々たる歴史的建造物である。街の中心地に建物と敷地をそのまま残し、新庁舎を少し離れた郊外に置いたのは、称賛される判断である。その文翔館裏手に流れているのが八ヶ郷堰である。一回りしてからその先の旧師範学校に行った。こちらは明治の建築で、これも取り壊さず使用保存されている。ここから馬見ヶ崎川に出る。河川敷には市の北西部に引かれた宮町堰が流れるが、日差しが強く下には降りず、並行する桜並木の道を上流に向かった。この先に笹堰の取水口があるが、そこまでは行かず、途中の親水公園で昼食とした。さほど広くはないが、自然の姿を活かした緑豊かな心地良い公園だ。

 食事後は今来た道を戻り、専称寺に向かった。この寺は最上義光の娘、駒姫の菩提寺である。豊臣秀次の側室に召され京に上ったが、謀反の嫌疑をかけられた秀次に連座して処刑された。わずか十五歳であった。辞世の歌

     罪をきる弥陀の剣にかかる身の

        なにか五つのさわりあるべき

門をくぐると笹堰が清らかに流れている。その先にある本堂は最上家の往時の権勢が偲ばれる壮大なたたずまいであった。

 

 その後は山形大を囲むように流れる堰を歩いた。手持ちの資料には梅花藻の花が見られるとあったが、残念ながら確認出来なかった。最後は堰ではなく、霞城の三の丸土塁に向かう。西日の照りつける大通りに、疲れもピークになる。土塁までは直ぐそこだったが、諏訪神社の木陰で汗をぬぐった。残っている土塁の長さは50m足らすだが、それでも駅前の一等地に残している事に感服した。今朝訪ねた本丸からはかなりの距離だ、どこまで広がっていたのだろう。市中にくまなく張り巡らされた五堰と霞城は、共に庶民の過酷な労役によって成ったものだ。城はまた人の手により取り壊されてしまったが、この五堰だけはこの先も末永く残し伝えてほしいものだ。そこから山形駅までは5分ばかり、予定していた電車にも間に合って今回の例会を終えた。 (YD)

 今回寄れなかったが、歩いた馬見ヶ崎川を少し下った所に日本一の芋煮鍋と河川敷があります。写真のみ載せておきます。また見出し画像は下見時の「嶋堰せせらぎ緑道」です。少し遠いので本番では歩けませんでした。(TK) 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿