094:底 ためらひのごとき間をおき潰れゆくわが靴底の青き梅の実 098:腕 息つめて電話のベルを待ちし日のわが腕に毛はくろぐろありき 043:剥 ポンカンを剥けば果汁のほとばしり高知は娘のふるさとになる 009:菜 菜の花のたばね棄てられたる中にそこより伸びる一本のあり 007:決 <スト決行>文字薄らぎて岡林信康の髭ととのひてをり 『今日のうた』 |
東京に出て、六畳一間のアパート暮らしを始めたとき、
一階には初老の大家さん夫婦が住んでいた。
ひと駅先は、もう二十三区という立地だったけれど、
そのアパートの裏庭には健やかな梅の木があり、
季節が来ると、大家のおばさんがご自分で漬けた梅干を、
瓶に詰めて差し入れてくれたのだった。
市販のものよりずっと塩っぱく私好みの梅干で、
一粒でご飯三杯くらい食べられた。
トイレや玄関が共同という、ずいぶん古びたアパートだったが、
二年半ほど住んだ頃、大家さんの息子夫婦が建替えを主張し、
間借り人はみな退去せざるを得なくなった。
大家さん夫婦はずいぶん反対したようだけれど、強行されてしまったのだ。
若く稼ぎのある子どもたちには逆らえなかったのかもしれない。
そんなわけで、美味しい梅干しにはありつけなくなってしまった。
さて、私の拙い想い出話が梅田さんの素晴らしい一首とどういう関係があるのか、
自分でもよく分からない。ただ、ぱっとよみがえって来たのだ。
初夏、まだ熟しきらない梅の実を、知ってか知らずか踏んでしまった。
その瞬間のはっとした感覚、しかしもう避けようにも避けられない、
その僅かな時間が「ためらひのごとき間」なのだ。
若い梅の実がわずかな抵抗をみせる刹那。
為してしまったこと。取り返しの付かないこと。
潰れた実に、何が重なって見えたのだろうか。
数年して懐かしい場所を通りかかると、あの老朽アパートは、
一階に駐車スペースのある、三階建ての大きな建物に姿を変えていた。
裏庭の梅の木はどうなったろうか。
おばあちゃんの梅干を、お孫さんたちが喜んで食べているといいのだけれど。
マリームの広口瓶に漬けられし梅の実たちよ明日ながらふべし 理阿弥