goo blog サービス終了のお知らせ 

車止めピロー:旧館

  理阿弥の 題詠blog投稿 および 選歌・鑑賞など

「地下」

2009年10月01日 | 鑑賞:題詠2008
2008「地下」より好きな歌6首。


 地下足袋にペダルこぐ老いわれを抜く荷台に鍬を一本積みて
  梅田啓子

 体育館倉庫に地下への階段があるのは事実したのも事実
  柚木 良

 地下室の博士にもまた夏がきて暦めくれば海とひまわり
  野良ゆうき

 「何処にゐても死ぬときは死ぬ」つぶやいてけふも下りゆく地下駅ホーム
  近藤かすみ

 この三日地下に潜めるわが車に閉ぢ込めし蚊をおもふ蒼穹
  本田鈴雨

 地下室の手帖の皮の罅現(あ)れて従軍の伯父の日録凛(さむ)き
  寒竹茄子夫

   ◇

 地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとくに忘られ、自由
  寺山修司

「おやすみ」

2009年09月27日 | 鑑賞:題詠2008
2008題詠「おやすみ」から好きな歌4首。


 おはようからおやすみまでを見守られ生体認証さびしくはない
  岩井聡

テクノロジー肯定でも、安易な否定でもないこの結句に惹かれました。
さびしい、さびしくない、さびしくはない。
テクノロジーの全てを自ら求めたワケではないけれど、生活に密着しすぎて
それが無ければ生きるのもままならない。息つく暇も無く技術に見張られつつ、
「さびしくはない」と呟かざるをえない、この侘しきアイロニー。



 幸せに暮らしました で終われない僕らは明日へ向かう おやすみ
  南 葦太

「終わりなき日常」というフレーズが流行ったことがありましたが、
実際には流行り廃りで片付けられるようなことではなく、
日々の営みはこれから先いつだって延々と続くのです。
小説のようにも、ゲームのようにもエンディングを迎えられない、
その明日を生きる力を蓄えるための「おやすみ」。



 「三びきのくま」読み終へて本おけば子ぐまらのいふ「おやすみなさい」
  泉

三びきのくまといえば、やんちゃな少女に熊たちがちょっぴり困っちゃう話ですよね。
人間と獣、モラルのあるものと無いものが逆転してるところが楽しくて、好きなお話です。
普段はやんちゃな子供たち、絵本を読んでもらって道徳のあるクマになったんでしょうか、
素直に「おやすみなさい」って(笑)。とても可愛い。



 永眠せる人へ言いたるおやすみに安堵のにじむこと哀しけれ
  瑞紀

生の終わり。同時に終わる苦しみ。去る者、残る者、双方の。

「宝くじ」

2009年09月26日 | 鑑賞:題詠2008
2008題詠「宝くじ」から好きな3首。


 そしてなほ希望は捨てぬゑひどれて宝くじ売る傍らを過ぐ
  野州

 宝くじ売り場の中で宝くじ売る人のごと地蔵微笑む
  中村成志

 玻璃窓の箱に笑まひて宝くじ売るをみなあり金魚にも似る
  寺田ゆたか



この手のお題、私はすごく苦手なんですよね・・・。
ベタの極致ともいえるお題、どう詠むか。
当たりハズレや願掛けに絡めると、類型化はどうしても避けられない。
ハズして詠むか、あえてベタに詠んで茶化す方向にもって行くのか。

採らせていただいた3首は、宝くじそのものの性質を詠まず、
ちょうどいい距離感をもって、小道具として詠み込んでいる。そう感じました。
「宝くじ」そのものを詠む方が、題詠としては潔いのかな、と思うこともありますが、
しかしこの三首、宝くじの語が他の何かと交換可能かといえば、そうではない。
宝くじという、一攫千金の欲望が集まる対象を詠んでこその、それぞれのお歌だと思います。
今後、題詠を続けるうえで、お手本としたい歌ですね。



 結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから
    - バーナード・ショウ -

「鱗」

2009年09月21日 | 鑑賞:題詠2008
2008題詠のお題「鱗」からお気に入りを2首。


ただ耐えるだけの日もあり鱗雲千切れる音を裡に聴きつつ
 原 梓

やわらかき鱗茎こわす椀の中 いつもいつも笑まうは苦し
 瑞紀



鱗粉の紋涼やかな迷い蛾の水葬をせり頼子とともに
 拙作

「粘」

2009年09月02日 | 鑑賞:題詠2008
題詠2008のお題「粘」から気になった歌3首。


 死にちかき猫の泪をぬぐひしに粘性かそかありてかなしき
  本田鈴雨

もう自分で顔を洗うことも出来ない飼い猫の、目やにを含んだ涙。
そのわずかな粘り気は生の証であり、同時に老いの象徴でもあります。
かなし、という直接的なことばが、けして陳腐に響かないのは、
当事者でなければ描き得ない状況と行為が、きちんと掬い取られているからでしょう。
とても好きな一首です。


 いくら転校しても世界が脛を蹴る 粘着テープで小犬を縛る
  岩井聡

歌意はそのまんまだと思うんです。転校を重ねざるを得ず、
鬱々とした少年は、子犬をガムテープでぐるぐる巻きにしたと。
作中主体の行為はさすがに共感は呼ばないだろうけど、でもこの一首はもともと
共感を求めてる歌ではなくて、力の関係を描写したある種の構造図なんですね。
実際にテープで巻いたかどうかは、まあぜんぜん問題ではない。
突然出てきた子犬ってなんなのか。これは少年自身ですよね。
大人の事情に縛られている、作中主体の姿の投影。
蹴られているだけではなくて、自分はがんじがらめになっているんだと、
そう感じている。だけど叫べないから行動で示すのだと・・・
「世界に蹴られる」・「子犬を縛る」と、行為を二つ並べただけの歌ですが、
見過ごせない一首だと思いました。


 粘性が高すぎるのだ君といる時間は なんだか  このまま   で       い
  あおゆき

こういう視覚に訴える歌も、私は好きです。
相手に話しかけながら、ネバーッと引き伸ばされていく時間を感じている作中主体。
それを詠み手が追体験できるような感覚がある。
この一首を活字として印刷した場合、短歌というのはたいてい縦書きで印字しますから、
今度は加速しながら落ちていく感じになるかもしれません。
ネット短歌は当然なべて横書き。このことが歌に与えた影響を考えても面白いでしょうね。

そういえば2009のお題のひとつ「→」。
縦書きにしたときに、矢印を下向きにするのか、そのまま右向きで通用するのか。
「順路→」「→標識」なんて場合は右向きのままのほうがいい気がするし、
そのほかの場合は・・・

これ以上はまた項を改めて。

「湯気」

2009年08月01日 | 鑑賞:題詠2008
お題「湯気」から、好きな四首。


 温かき湯気に煙らふ春浅き道後湯之町底冷えのして
  船坂圭之介

底冷えのする季節の寒さを体感している人物の姿が見えてきます。
固有名詞が一首に強度をあたえていますよね。
この歌のように、作者のセンサーを通った「そこにある具体」を
丁寧に詠むことが出来るか、歌人は常に問われるのではないでしょうか。


 湯気のぼる風炉に一杓みず注(さ)せば小間の茶室にしづもる刹那
  今泉洋子

茶を点てるのに沸き立たせた湯に差し水をすると、束の間の静寂がおとずれた、
という情景でしょうか。
私は茶道にはくらいので、自分の体験に照らせず歯がゆいですが、
それでもこの歌が「わかる」と感じられるのは、日本人だから・・・なのでしょうか。
Web短歌という性質からか、自分の内面を描写した「恋の歌」の比率が高いように
思われますが、このような写生歌をもっと我々は詠むべきではないかなぁ。
自戒も込めて。


 ほそき脚たたみて鳥の眠りをり水さへ湯気となる冬の地に
  夏椿

鳥は片足で器用に立ちますよねぇ。
順番こに足を引っ込めています。あれは足を暖めてるのかな?
鳥の種類を絞らず限定しなかったことが、ここではいい効果を
生んでいるように思います。とても大きな歌ですね。
湯気というと、すぐに温かいもの、熱いものを思い浮かべますが、
冷たいものによって相対的に発生している湯気、ってなかなか出てこない。


 珈琲の湯気立ち昇る窓際の時を止めます栞を挟む
  なゆら

読んでいた本に栞をはさむことで時間を止める、という発想が面白い。
物語世界の時間がいったん止まり、熱いコーヒーを味わうことが出来る
現実世界が動き出す。
「湯気」ってすごく時間的な存在ですね、そういわれれば。
とまることなく常にゆらゆらと動いていて、やがて必ず消えてしまう。
考えてみると、湯気は停まっているものからは発生しないですよね。
だから運動や生命のメタファーともいえるのかもしれないなぁ。



 そなへたる飯(いひ)の湯気にてつつまるる小さき位牌を今日も見守る
  木俣修


 ◇
自分の作歌がまたさぼりがちに・・・
鑑賞はしばらくお休みするかも

「消毒」

2009年07月14日 | 鑑賞:題詠2008
2008のお題「消毒」から好きな歌を。今回は一首だけ。


 たどきなき夜の記憶に哺乳瓶の消毒の湯の滾(たぎ)るを待ちき
  吉浦玲子


ひとはとんでもなく幼かったころの記憶を覚えている(と思い込んでいる)ことが
あります。
家の車庫のそばで二歳の夏、金盥に張った水に放って置かれたときの心細さ。
なかなか戻ってこない母親、そのときの光線の加減や車庫の壁の色・・・
そんなことを私は鮮やかに思い出すのですが、人に話しても笑われるばかりです。
(確かに二歳時の記憶がそんなにハッキリしているかは、かなり疑問ですね。
 きっと多くの部分を、人の話や残っている写真から補完しているのでしょう。)

そんなわけで、私はこの一首を読んだとき、この「記憶」は授乳を待つ乳児本人の
記憶なんじゃないか、と思ったのです。
夜、ひとりでいるときに、ふっと蘇ってくる湯を沸かす母の後姿。
自分はとても幼かったけれど、しかしはっきりと覚えているその記憶・・・

と、ここまで書いて、自信がなくなりました(笑)。
やっぱり吾が子のために哺乳瓶を消毒する、母の記憶と取るのが自然なんでしょうかね。
授乳を済ませて子供はスヤスヤと寝ている。
使い終わった哺乳瓶を片付ける前に、いつものようにお湯を沸かした、そんな夜。
どちらと読んでもいい、多重的な共通の夜の記憶かもしれませんね。

「待つ」というその美しい行為をしていたことを、母が息子に、娘に語って聞かせる。
やがて母の記憶は、いつの間にか子供たち自身の記憶になっていく。
私が金盥の夏を覚えていると錯覚しているように。
これはあながち的外れではないように思えます。
「待って」いたとき、その時間は決して一人だけのものではなかったはずですからね。

「消毒する」という行為のみにフォーカスを当てた歌がおおいなか、
ちょっとほっとした、とても豊かな一首に出会えたと思います。

「あられ」

2009年07月05日 | 鑑賞:題詠2008
「あられ」から好きな歌7首。

 マネキンの倉庫にあまた並び居るあられもなくて切なきポーズ
  たちつぼすみれ

 揚げてゆくそばからつまむあられ餅 むつききさらぎさみしかったよ
  村上きわみ

 雛あられのお砂糖がけの大豆だけ食べてもいぃい ねぇおかあさん
  青野ことり

 うすもものあられ散らばる六畳のあねいもうとの癇癪のあと
  ひぐらしひなつ

 山桜 手折らるるままあられなき姿晒して里山に朽ち
  水風抱月

 初霜も粉雪降るも興あれどあられ降る日は稚児の如くに
  きくこ

 ひとつふたつ星がまぎれているだろうゆくりなく降るあられの中に
  瑞紀


ちょっと時間が無くて今回は選のみです、すいません

「豆腐」

2009年06月24日 | 鑑賞:題詠2008
「豆腐」より、好きな歌4首。


 アルバムのチャーリー・ミンガス聴きてのちゆふべしみじみ豆腐分けあふ
  野州

日本って、趣味と食が多様なことにかけては世界に類を見ない、とても恵まれた国ですよね。
ジャズ聴いて湯豆腐食べて、ロック聴いてギョーザ食べて、シャンソン聴いてパスタ食べて、
演歌聴いてボルシチ食べて、クラシック聴いてハンバーガー食べて・・・
一首は、趣味を共有できる相手と夕飯を食べたという、いわゆるただごと歌ですが、
頑固なベーシストと柔らかな豆腐の取り合わせが絶妙と思います。
自分もしみじみしたくなる、幸せのかたち。


 冷水に豆腐一丁掬ひたるおじさんの手のまだらのむらさき
  梅田啓子

その手の特徴を端的に述べるだけで、一日に幾つもの豆腐を客にとりわけ、
それを何年も続けてきた豆腐屋さんの姿が、鮮やかに伝わってきます。
銘々の体に、銘々の職の歴史が刻まれている。
この方の歌は描写がとても丁寧で素晴らしい。
お手本にしたい。


 こだわりの豆腐の棚のその横にこだわりのない豆腐が並ぶ
  野良ゆうき

キャッチフレーズって、どのくらい売り上げに影響するんでしょうね。
産地偽装問題が珍しくない昨今に、シニカルで鋭い視点の一首。
おもわず笑ってしまいました。
私はといえば、手間をかけてないカレーを食べて、
選び抜かれてない豆のコーヒーを飲んで、
カリスマじゃない美容師に髪を切らせています(笑)


 一丁の豆腐の含む水ありておのがおもさに潰れゆきたり
  夏椿

写生歌というんでしょうか、あるがままに事物を詠んだ歌。
そんな歌の中でも、心に残る歌とそうでない歌があります。
この一首はもちろん前者なんですけど、その違いがどこから生まれるのか、
自分にはまだよくわかりません。
私が写実的な歌を詠もうとすると「だからなんなの?」という作品になりがちです・・・
この歌に関しては、水に言及しているところがポイントじゃないかな、
と直感的には感じるんですが。
音韻も美しく口に出して読みたい。定型の威力を感じさせてくれる一首です。

「壁」

2009年06月22日 | 鑑賞:題詠2008
(2008年の題詠blogからお題を選んで鑑賞しています)
お題「壁」から好きな歌を3首。


 トイレの壁に撲(う)ちし凹みのある家の息子はこの春結婚するとふ
  梅田啓子

子供部屋や居間の壁じゃないところが、リアルに感じられますね。
登場人物については、「結婚するらしい」という最低限の情報提示。
なぜトイレの壁が撲たれたのか。この息子がいまどんな大人なのか。
説明しないことで、歌の世界が豊かになるというお手本だと思います。
鑑賞者の性格や経験が息子像に反映される、そんな一首。


 ステージに主役が登場したあとも壁際に立つ人を見ている
  佐原みつる

この感覚、非常によく分かります。
戦隊モノだと、レッドよりイエローが気になるような。
飲み会で、ほとんど喋らず隅に座っている人に目がいくような。
たぶんその時、自分の一部分をその対象に重ね合わせている。
壁際の人が気になる自分も決して主役ではない。この一首を読むとき、
『「壁際に立つ人を見ている作中主体」を見ている読み手』
という合わせ鏡のような構造がみえます。


 見えにくき壁こつそりと生徒らの間につくるは教師の作法
  桑原憂太郎

学校や教師に対する反発の歌とも読めますが、
生徒との関係を教師の側からドライに詠った、
奥村晃作的世界とみる方が面白い気がします。
この「壁」がどんな効果を発揮するのか。
ちょっと空恐ろしい感じすら受ける一首です。



 北の壁に一枚の肖像かけており彼の血をみな領ち老ゆ
  寺山修司

「塩」

2009年06月13日 | 鑑賞:題詠2008
塩味のキャラメルっていうのがあるんですね(有名?)。
八人の方が詠まれていました。
どんな味かと、コンビニを二軒巡りましたが、売ってませんでした。
残念。

では、お題「塩」の投稿歌から。


 塩分を制限されゐる子と彼はひとつ小皿に醤油つけ合ふ
  梅田啓子

奇をてらわず、日常を丹念に描写する。
そんな風に家族を詠った歌には、秀歌が多いと思います。
食べているのはお寿司でしょうか。餃子かな?
説明が簡潔で最低限であるがゆえ、読み手の想像がそれぞれに広がります。


 古の塩の道とふ国道に融雪塩を大量に撒く
  夏実麦太朗

「塩の道」とは、かつて信濃に海から塩を運んだ街道を指すそうです。
内陸部では貴重品だっただろう塩。その塩を(今は塩化カルシウムかな?)、
雪を溶かすためだけに撒くと聞いたら、当時の運び人は驚くでしょうね(笑)


 natureに発表されるF(エフメジャー)弾けない人の塩基配列
  市川周

ギター初心者はF major のコードで挫折する人が多いとか。
でもそれって、努力が足りないから?あるいはもともとの才能のせい?
遺伝子マッピングなどの、人体の謎が解明されつつある今、
どこまでをDNAのせいだと考えるのか?そんな問題提起の一首。
肥満は?ハゲは?遅刻ばっかりしている人に共通の遺伝情報はあるの?
引き籠りは自分のせいじゃないの?犯罪は?
「短歌が下手な人の塩基配列」が自分に潜んでたらどうしよう(笑)


 背伸びして額の塩を舐めてみるあなたの赤い味にしびれた
  雨谷佳以

林檎甘いか酸っぱいか、ではありませんが、塩の味といえば
しょっぱい、辛い、あるいは苦い。
しかし、塩がしょっぱいというのでは、歌として身も蓋も無さすぎる。
そこで赤ですよ!
赤い味って一体どんな味?
とにかくなにか、ビビっと全身を走る感覚があったんだろうな。


 塩田は白く輝く 泣くことは簡単そうで簡単じゃない
  あおゆき

なにか思うところがあって旅に出て、いま彼は真っ白に光り
シミひとつない塩田を目の前にしている。
つきあげるものはあるけど、その答えが涙かどうかはわからない・・・

塩から連想される、涙、汗。それを詠んだ歌が多かった中、
この一首を選ばせてもらいました。
涙はしおからい、ってことを直接的に表現してないのが良いです。


 塩ふって清めるなんてじいちゃんに悪い気がした葬式の後
  Re:

大人が習慣として、疑問にも思わずやっている行為に、
子どもは本当に敏感で繊細です。どうしてこんなことするんだろう、って。
そのことでぐずって、大人を困らせたりする。
そのまま大きくなるといい科学者になります。
科学者じゃなかったら、いい歌人になります(笑)
どんなことにも「そんなもんだよね」って、不思議にも思わず
生きてきちゃったなぁ・・・



 「空豆の塩ゆで好き」におどる心 崖っぷちすでに
  やまだりよこ

「理由」

2009年06月12日 | 鑑賞:題詠2008
お題「理由」。
人間が苦しみながらも生きる理由・・・、という風に大上段に構えてしまうと
とたんに難しくなるテーマじゃないでしょうか。
(もちろん上手くいく例もあると思いますが)
反対に身の回りの小さな具体を詠む事で、それが時に生きる真理を感じさせる。
それが短歌のサイズ。そんな気がします。

好きな歌、今回はちょっと多め。

 むかうがはの窓が翳らふ理由さへさだめなき日の風のありやう
  大辻隆弘

初句の「向こう側」。
窓の場所を示すことで、「こちら側」にいる作者の立ち位置を示すことができる。
なんでもない言葉ですが、こういう言葉こそが一首を決定付けるのではないでしょうか。
他の単語にいろいろと入れ替えてみると、その効果が分かると思います。

 隣人がエレベーターで泣いていた理由を僕は知らなくていい
  矢島かずのり

結句が反語的な響きを帯びています。本当は知りたい、声をかけてあげたい、
でも名前しか分からない、言葉を交わしたことも無い隣に住むひと。
よく知らない人に対する潜在的な怯えは、誰もが持っている。
「エレベーター」が都会のマンション生活を思わせてベストマッチ。

 「シャーペンの芯がぶちまかっちゃったの」挫折をしたのはそういう理由?
  伊藤真也

ぶちまかっちゃいましたか(笑)。なにか大切な試験を失敗した言い訳なのかなぁ。
「芯が」じゃなくて「芯をぶちまけちゃった」だろ!と突っ込みたくなりますね。
責任の所在を自分ではなくて、対象にあずけちゃってる(笑)
北海道ではこういう言い方、よくします(方言)。
「スイッチが勝手に押ささっちゃった」←おまえが押したんだろ!
言い訳に便利♪みんな使って。

 この鼻がひくい理由まで なんとなくいとおしくなる家族写真
  さくら♪

家族の描写をまったくしなくても、みんな同じ鼻をしてるんだな、と
情景がありあり浮かんできます。うまいなぁ。
それぞれの家族に、それぞれの家族の集合写真。

 猟犬が一匹 猟犬が二匹 猟犬が理由もなくふえてゆく
  我妻俊樹

歌意はよく分からない、でも見過ごせない。そんな歌ってありますよね。
寝入りばなに羊の代わりに数えているようでもあるし、
ヒッチコックの「鳥」的な恐怖感もある。
「猟犬」=「気に入らない意見にすぐ噛み付くネチズン」かもしれない。
世の中には理で割り切れない、得体の知れない現実がある、
それを表現するのもアートの役割。

 わたしにも子を産む理由が見つかるね 首のみじかいキリンがいれば
  幸くみこ

誰しも克服しがたいコンプレックスを抱えているもの。
首の短いキリン。端的な表現が見事です。
作中主体の言葉は一見ポジティブに見えて、しかし「産まないための言い訳」を
探しているようにもとれる、両極の色を帯びています。
だって、首のみじかいキリンを発見できる可能性はすごく低いから。
こういうことを悩みながら、みんな生きている。

 理由なく殺されるのが蟻だからえんえんとえんえんと蟻を踏む
  西巻真

ひらがなで繰り返される「えんえんと」が怖い。
蟻を踏んでいるのか、殺されるという宿命を持つ蟻に「踏まされて」いるのか。
主客転倒が起こっているとも言えます。
なぜ蟻を踏むのか。はっきりとした理由は本人にも分からない。
ただ蟻が歩いているから、としか・・・

 真偽問わず理由まみれになりたくて書棚に増殖する羅針盤
  紺乃卓海

マニュアル本、ハウツー本の氾濫。
この世界を泳いでいくための方法を、誰でもいいから教えてほしいという感覚。
なぜそうしたのか、という問いへの答えをとりあえず用意する。
でもその問いを発するのは、ほかならぬ自分なのでしょう。

 笛吹きについてゆかない理由などとっくになくて手帳を埋める
  里坂季夜

日記と違って、手帳にはこれからの予定や指針が書いてある。
それを捨てて、ハーメルンの笛吹き男が現れるのを待っている。
男の笛が聞こえると、考える必要はもう何もなく、体の赴くままに
連れて行かれるのを待つだけなんですね。全部放棄してしまえる。
男が来なかったら?埋めた手帳を掘り返すのです。

 スイカ ウリ 嫌いな理由第一位 『カブトムシのえさ食ってるみたい』
  イチコ

声を出して笑ってしまう歌というのがあります。この方の「おはよう」の一首

 おはように ございやすって付ける人 別にいいけど 「や」ってなに

これにもやられました・・・(笑)
気取らなさ、シニカルさに◎。


さてこのお題、「あなたを愛する理由」「別れの理由」などの歌がとても多かったです。
全投稿歌の半分くらい?
「そうなんだよなぁ」と納得することもしばしばでしたが、
その作者ならではの手触りのする歌は少なかった気がしました。


 サキサキとセロリを嚙みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
  佐佐木幸綱

「おはよう」

2009年06月10日 | 鑑賞:題詠2008
私は参加していませんが、2008年の題詠blogの鑑賞を始めてみます。
ひとつのお題から好きな歌をいくつか選んで、好き勝手に感想など書くことになると思います。
続けられるかな?

 ◇

題「おはよう」。
大変むずかしいお題と思います。
投稿歌の八割くらいが「キミへのおはよう」「キミからのおはよう」を詠んでいる印象。
しかし「おはよう」と惚れた腫れたは、相性が良すぎないでしょうか・・・?
とりあえず類型に陥るのを避けるため、「相聞歌にしない」のもひとつの手段かも(逃げかな?)。


 ハンドルに錆またひとつ浮きあがり霜は蠢く海よ、おはよう
  中村成志

「自然」へのおはよう。
海沿いに住むと、潮風がいろいろなものを錆びさせていくと聞きますね。
自転車に新しい錆がまたひとつ。
海への朝の挨拶は、そこにこれからも住んでいくという決意表明とも読めます。


 二十年ともに生き越しオウム逝く去り際に言う「おはやう」悲し
  船坂圭之介

「おやすみ」とも「さよなら」とも、絶対に交換できない一首。
これこそ題詠の醍醐味のように思われます。
オウムは喋ることで何かを伝えたいのか、それとも全ては人間の感情の投影に過ぎないのか・・・
つたないカタコト。それだけ余計に様々な思いが去来するのでしょう。


 おはようとただそれだけの君からのメールが来ない はじまったんだ
  伊藤なつと

何が始まったのか。明示しないことで、不安感、ある種の予感が
かえって明確に迫ってきます。こういう不吉なドキドキは誰しも経験があるはず。
相聞歌を詠むならこんな風に詠みたい一首。


 「サルモネラ菌が怖い」と半熟を拒むお前と交わすおはよう
  小林ミイ

朝の食卓のイメージにそぐわない「サルモネラ菌」。
そんな言葉を発して一日の始まりをぶち壊した、そんな相手に
とりあえずの挨拶をするときの顔を思うとおかしい(笑)
非凡な言葉のチョイスが◎。


 おはようを蓄えるためぷふぷふと眠りつく子の肩にある闇
  やや

寝息の可愛いオノマトペが的確で印象的。
しかし「闇」の一語は何を暗示しているのか。
一筋縄ではいかない歌だと思います。
子をもって幸福を感じつつ、そのゆく先に不安も感じている母の想いを
詠んでいるのでしょうか。


作者独自の表現が素晴らしいなぁ、と感じた五首を選ばせていただきました。


 いつもより半音高いおはようできょう一日の退路を断って
  斉藤斎藤