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車止めピロー:旧館

  理阿弥の 題詠blog投稿 および 選歌・鑑賞など

佐藤紀子さんの百首から

2011年01月07日 | 五首選 - 題詠2010
100:福
 福の神のやうと皆より慕はれて友は涙を流せずにをり


004:疑
  疑問符のやうに頭を巻き込みて五月のわらび首をもたげる
067:匿名
  日本に一番多き「佐藤」なり 匿名性あるわが本名は
070:白衣
  薄紅の「白衣」を着たる女医もゐて和やかさうな神経内科
083:孤独
  「孤独っていったいなあに?」青豆が身を寄せ合ひて莢に並べり


立場や役職が人を創る、とよく言われる。
妻から「パパ」と呼ばれて父となる。母君から「殿」と呼ばれて一城の主となる。
暗示の効果というのは馬鹿にならない。
周囲に言われることで、だんだん、だんだんとそのような人間性が実際に形作られていく。
梨園に生まれた子を「坊ちゃん、坊ちゃん」と呼び、不自由なく甘やかして育てれば、
もちろんそういう人間が出来上がるわけで、問題を起こした当人だけを責めるのは妥当でない。

古代の人々が呪術を恐れたのも故なきことではなく、
彼らは「ことば」が現実の事象を動かすことを本能的、また経験的に知っていて、
その業を言霊と呼んだ。
「わたし、本番に弱いんだ~」などと冗談めかして言っていると、
実際にその人はイザといった場面で緊張するようになってしまうし、
「スズキさんは穏やかな人だよね」と仲間に言われ続ければ、
スズキさんは人前で怒ることを躊躇うようになる。
「まじないは非科学的だ」と断じるのは虚しい。
実際に及ぼされる影響、その可能性について考えるべきだろう。

こういった人間性を規定していく外的な要因は、集団ごとに別々に働き、
そのそれぞれで同じ人間を違うふうに振舞わせるのが通常である。
ビジュアル系バンドの森くんも、大学では目立たない。
家では女房の尻に敷かれている坂崎さんは、勤め先ではコワモテで通っている。
誰もが複数のペルソナを使い分けるのが当たり前。そんな時代が長く続いてきた。
たくさんの仮面を持つことで救われる人もいれば、
自己を引き裂かれて苦しんでいるひともいる。

もう少し時代が進んで、我々が小さなムラ意識から脱し、
「私は私だ」と、胸を張って言えるようになるにはまだ時間がかかる。
だから「福の神」と慕われ疲れ、創り上げられた自己イメージに縛られてしまった彼には、
どうか心置きなく涙を流せるときと場所を、どこかに見つけてほしい。
手遅れになる前に。

  年月は涙のかたち神々の峠を越えて落つるを見たり   理阿弥

EXYさんの百首から

2010年12月23日 | 五首選 - 題詠2010
007:決
 目指すのは 決勝戦の スタジアム 去年の借りを 返しにきたぜ!


085:訛
  名古屋弁 訛って悪い?ケッタマシン! 全国区へと 流行らせたいぜ
062:ネクタイ
  ついに俺 ネクタイ締めて スーツ着る 自由が少し 減るのがヤだな
033:みかん
  青春の シンボル称す ニキビ面 みかんの皮を 連想するぞ
024:相撲
  相撲部屋 特製ちゃんこ 召し上がれ 心身ともに 満足するぜ!


シンプルなEXYさんの百首から。
元気のいい五首を選ばせていただきました!

  一敗地に塗れた彼ら梅茶漬かき込む仕草ことにおおきく   理阿弥

生田亜々子さんの百首から

2010年12月22日 | 五首選 - 題詠2010
049:袋
 一枚の袋となれり猛りたるやさしきものを受け入れた夜


099:イコール
  イコールで話が終わるものばかり手元に置いてカーワーイーイー
094:底
  母さんが骨盤底筋体操にいそしんでいる夜のいりぐち
010:かけら
  先端にわれのかけらを付着させ鼻から煙吐き出しおりぬ
009:菜
  菜の花の一輪の中一本のおしべとなって月を見ている


日々、様々なものが私たちの体に入ってきて、少しだけ留まり、変化を与えて、
いろんな方法で出ていってしまう。
身体が袋や筒の生物学的シノニムであるというのは、忘れられがちな事実だ。
いつの間にかうまれた「意識」が、自分という個を引き止めるようになって、
私たちはやがて、自分が堅固な核をもった「個人」であると信じ、
自分を構成するすべてが、「個」に属する自分由来のものであると思いこんでしまう。
「生かされている袋」であることを忘れてしまう程に「個」の意識が肥大してしまった私たちが、
そのことを思い出すのは、食事、排泄、生殖のような原始的な行為をするときである。
これらの欲求は我々の頭の最奥にある、原初の形をとどめた小さな脳に支配されている。

そのような、外界との関わりのなかで生かし生かされているという喜びを、
特権的かつ本能的に知るのは女性だ。
一方、男は学習によってその喜びを知るしかない。個を撒き散らすことに懸命だからだ。
そう考えると、共同体に依って生きることがなにより大切であった古代の国々に、
女系の王族が多いことや、日本の太陽神アマテラスが女神であるのにも納得がいく。
男が幅をきかせるようになるのは、時代がくだり「蓄える」ことを知って、
個人が少しずつ豊かになってからのことだ。

産道を通って初めて世界を眩しく思った瞬間のことを、
私たち大人が記憶していないのは本当に残念なことだ。
その喜びを覚えていれば、一人で生きているのではないということを、度々忘れたりはしないだろうに。
大御神だって岩戸を開けて、眩しく照らされたファミリーの顔をみたときに、
喜びと共に再生したのである。

食事や排泄、生殖などの原初的行為のおおくで、快感や痛みを伴うのは、
「つながっている」という喜びを思い出させるために、天が与えた仕組みのように思う。

…男が妊娠・出産を経験できるようになったら、世界は一体どんなふうに変わるのだろう…

  膨らんだお腹に話す声を背に葛根湯を飲む年の暮れ   理阿弥

おっ さんの百首から

2010年12月19日 | 五首選 - 題詠2010
014:接
 首筋にぽこぽこ並ぶなめらかな溶接箇所を触るのが好き


079:第
  安全が第一でした好きだけど好きだったけど立ち入り禁止
043:剥
  理科室にある剥製は人間の模型以外はすべて本物
036:正義
  それぞれに抱く正義が違うので足を踏みあうヒーローの群れ
017:最近
  水分が失われていく片思い最近はよくさみだれがふる


五感で得る感触は儚いもの。
いま・ここで・あなたに触っている。
その「いま・ここ」という性質は体験を替えがたいものにします。
そこから「いま・ここ」の感覚が取り去られてしまうと今度は、
後に想起される記憶が、どんどん甘美なものになっていきます。

そっと触れてみた肉体がもつ性を、美しく、かけがえなく思う…
そう感じるように脳が進化してきたと言ってしまえばそうなのかもしれません。
しかし、そう考えるだけでは少し寂しい。
いまここにある、肉体の不思議。
やがて崩れ、地上から消え去る運命であるのに、
時間をかけて組み上げられた、二つの身体。
その出逢い。

私たちは、自分たちの一過的な性質を知っています。
だから世界のいろんな場所で、たくさんの人々が、
「いま・ここ」に存在しているあなたとわたしを確認するのでしょう。
ぽこぽこ並んだ奇跡のカーブに、すっすっと手を滑らせて。

  雪吊りをする庭師なぞ眺めつつなぞるミチコの中斜角筋   理阿弥

只野ハルさんの百首から

2010年11月29日 | 五首選 - 題詠2010
044:ペット
 寂しいとひとりごと聞かせてたペットショップの猫たちぼくを見てない


086:水たまり
  みずたまり悲しい恋の夢の跡ジャンプインして弾けて跳ばす
011:青
  倒れた赤い自転車が青い街路灯に照らされ不安な夜
009:菜
  春菜という名前を見ると思い出す幸せになっているよねきっと
006:サイン
  そのサインわからないよと泣き笑いしながら言うのわかったからでしょ


「人間とは全てに慣れ得るものである」
と、ロシアの文豪は言った。

自らをごまかす、というやり方で寂しさに慣れる術を身につけたので、
人はかえって、寂しいことがいかに辛いのかを知ってしまった。
さらに残念なことに我々はいま、
お金があれば一人でも生きられるのだ、
という思い込みが許される世界に生きている。

一方動物たちは、「社会的」なつながりが無いと生きられないということ、
そして恥ずかしさなど何の役にもたちはしないと知っている。
その分我々よりも甘え上手である。

寂しさを口にできずに一人ひきこもり、年間三万人を越している自死を選ぶ者たち、
その仲間入りをする前に、目の前の動物を連れて帰って名前をつけて、
まずはその一匹のために、生きてみるのも悪くはない。

  孤独死のニュースを余所に小綺麗なロップイヤーが顔洗ひをり   理阿弥

草間 環さんの百首から

2010年11月26日 | 五首選 - 題詠2010
095:黒
 さよならと動画のきみにいう時の黒い影には花が咲かない


024:相撲
  北の町女相撲の季節には妻を誇りて男は生きる
022:カレンダー
  月齢を数えた青いカレンダーわたしもやがて満ちて欠けゆく
009:菜
  菜園の片隅にいる虫たちにくれてやりたい豆一粒を
006:サイン
  小荷物を受け取りサインした後で母の思いが花になり降る


この歌を十分に語るだけの言葉が、自分の中にはない、
そう分かってはいたのですが、取り上げずにおくことは出来ませんでした。

黒い影とはなんだろう。動画の中の?それとも自分の心に差した影?
歌意は様々に取れるでしょう。
いずれにしてもここにあるのは、コミュニケーションの一方通行性、
届かなさ、実らなさ。
動画の君は、生の質感を濃く残している分だけ、
絵画や写真の中にいるよりも、罪深いのかもしれません。

咲くべきは、何色の花だったんでしょう。
鮮やかな赤色の花、私にはそう思えます。
多くの読み手の心に、引っ掛かる一首ではないでしょうか。

  モノクロの街路にひとははや遠く鎮まる胸の赤き一輪   理阿弥

新田瑛さんの百首から

2010年10月23日 | 五首選 - 題詠2010
024:相撲
 指相撲しようよまるで行く先を忘れかけてる天使のように


085:訛
  各地から訛りを乗せたトラックが来ては幾らかこぼして帰る
030:秤
  吐き出した声の重みを示すため秤に乗ってみようじゃないか
022:カレンダー
  先月のカレンダーから液体が染み出してくるので剥がせない
010:かけら
  サイダーの瓶を揺すればかけらかけらきれいな骨の鳴る音がした


忘却は美しい。
悲しみは、忘れ去られる側のみに残り、涙もまた同じだ。
老人の目は子供と同じ色をしていて、
それは多くのしがらみを持つものには、
残酷な光を放って映る。

二人連れの天使はどこへ?

生まれ持った残酷さで、偶然にすれ違ったものたちへ、
気まぐれに矢を射掛けながら、どこまでも堕ちていく。
手に手をとって。

無邪気な戯れは、きっと長くは続かないことだろう。
外界は、何人にも無垢で居続けることを許さないのだから。

  楽園はまだなの八十七発の雨がそそげば遊戯もおわり   理阿弥

新井蜜さんの百首から

2010年10月17日 | 五首選 - 題詠2010
063:仏 
 人形の小さな首の喉仏 男はいつも暴力が好き


083:孤独 
  日盛りの五条坂にて無防備に孤独をさらし陶器買ふ人
049:袋 
  胃袋に笹の葉つめた心地して雷雨の中を母に会ひにゆく
039:怠 
  怠け者と言はれたくないドーナツを口にくはへてきみの手にぎる
032:苦 
  腰痛のきみを迎へにゆく坂の右手の藪に生ふる苦艾


「性」について考えると、神秘的な思いに囚われる。
なぜ、オスとメスなのだろう。なぜ、二種類なのだろう。
生物学的に考えれば納得のいく答えはある。
しかしその仕組みを知ったあとでも、自然の驚異と奇跡を感ぜずにはいられない。

生きとし生けるものは、その違いと類似に、喜びと苦しみを与えられてきた。
一方、この二種類の狭間には、無数の点からなるグラデーションも存在し、
我々は自分の色に属さないものを、社会的な通念に従いレッテルを張り、
持ち上げたり貶めたりしている。

掲げさせていただいた一首は様々に読むことが出来る。
人形のように華奢な女性に接して膨れ上がる、自らの感情を詠んだ歌。
私はそう読んだのだが、それでは単純に過ぎるだろうか。
それとも男を模した人形(喉仏ゆえ)を眺めている、
女性の(あるいは男性の)思考なのだろうか。

多くの優れた歌がそうであるように、この一首も各々の境遇や思想、
生き方が読み手に跳ね返ってくる、鏡のような懐の深い作品だと言えるが、
それは内容ばかりではなく、喉仏や暴力といった、はっとさせる単語の選び方、
さらには説明過多に陥らない作歌力にもよっているのだろう。

二つの性に、多用なジェンダー/セクシャリティを持つ我々。
そのそれぞれがこの歌をどのように読むか、とても興味深い。
みなさんはどのように読まれただろうか。

  後朝に天窓ながむるひとの眼の虚ろでありてあはれ人形   理阿弥    人形=ひとがた

こすぎさんの百首から

2010年09月20日 | 五首選 - 題詠2010
055:アメリカ
 憧れのアメリカ製クロームグリーンシューズ履かぬまま父逝く


079:第
  なんでだか第二校舎は煉瓦色歴史にきっと負けているのに
077:対
  見上げれば落ちてく気分と対称な息吹に救われ赤色巨星
064:ふたご
  たべ過ぎてふたごのチェリーおもちゃにしても赤い帽子の叱る声なし
052:婆
  確かシゲ婆ちゃんの骨乳白色 でも父の骨硬質の白


生きとし生けるものは、はじまりを知らない。終りも知らない。
認識可能なのは常に途中、途中、途中だけだ。
「限り有る生」に、絶望し切れない理由はそこにある。
死の正体は、逝ったものに尋ねること能わず、
生まれ来る子に教えることも出来ない。

可能な唯一のことは、祈りだけだ。
私自身は宗教的な人間ではないから、祈りといっても
いまも側にいる人々、そしていなくなった人々のことを、
おりにふれ、静かに考えるだけだけれど。
それしか出来ないし、今はそれでいいのだろう。

死を、恒久的な不在と呼ぶとすれば、
生前の不在は、一時的な死と言えるだろう。
その時その時に、身近にいない人物の生存を保証するものは何も無い。
ただ個々人の胸の中に思い起こされることで、その人物は生かされる。
そう考えれば、生者が心に思い起こすことで、
故人はいつまでも生きてゆくことが出来る。
そんな風にときおり考える。

  濃緑の坂なかばにて目をつむれば父母ともに歩めると知る   理阿弥    濃緑=こみどり

櫻井ひなたさんの百首から

2010年09月17日 | 五首選 - 題詠2010
010:かけら
 思い出の手前くらいのかけらがいいあのひとになる一部であれば


095:黒
  真っ黒にして笑ったね初めてのイカスミパスタがハルとでよかった
079:第
  コータより第一関節短くて並んだ小指もあたしたちみたい
029:利用
  再利用出来なくなった山積みの便箋の裏 初恋の跡
022:カレンダー
  カレンダー上では『ケンシュウ』だったけど書けないことももちろんあった


こういうはかない想いを抱くのが、
いちばん切ない生き方なのかもしれないですね。
あぁ、ほんとは一部どころか、
同体になってしまいたいくらいなのに・・・

「手前くらい」という表現が、思い出のかけらという
フレーズを類型化からすくっています。
「かけらでいい」じゃなくて「かけらがいい」ってところに、
想いの強さを感じるなぁ。

  あしたには互いの一部になるんだろうルマンドひとつ分けてつまんで   理阿弥

鮎美さんの百首から

2010年09月11日 | 五首選 - 題詠2010
086:水たまり
 祖母逝きて祖母をらぬ秋へちま水たまりし瓶の蓋きつく閉め


096:交差
  烈日に灼かれゐるらむ我が通ひし大学前の交差点はも
085:訛
  しりとりを一語一語とたぐり寄せつつ思ひだす君の訛も
077:対
  対旋律奏づるごとし梅雨明けて百日紅に舞ふ黒揚羽蝶
010:かけら
  西陽差すヴァイオリン工房しめやかに掃き寄せらるる楽器のかけら


手もとに、銀色のエッグスタンドがある。
祖母の形見なんだけど、もらったのはこれだけ。
何故これを殊更に選んだのか、よく分からない。
ゆで卵もそんなに食べないし。

一身上の理由で、葬式には出られなかった。
自分でもまさかそんなことになるとは思ってなかったけれど。
おかげで四年を経ても、いまだに喪失の実感がぜんぜん無い。

それでも思い出の縁と呼べるものにふと出会うと―――
たとえばエッグスタンドとか、オジギソウとか、小さな黒いラジオとか、
でっかいルーペとか、雪の坂道とか、なめらかな敷石とか―――
否応なく気持ちは、もう二度と取り返せない日々へと吸い寄せられてゆく。

そういえば玉子をエッグスタンドとスプーンで食べるのは、祖母の家でだけだった。
銀色の光を眺めていれば、味や匂いや音を伴った記憶が、
食卓を用意している祖母の姿とともに蘇ってくる。
その祖母のいろいろな所作は、少なかれ私にも影響を与えているのかもしれない。
母が年を重ねるに連れて、祖母に似てきているように。

  江別市の雪に転べば祖父祖母の既に亡き坂。坐したり、しばし   理阿弥

Yoshさんの百首から

2010年09月05日 | 五首選 - 題詠2010
033:みかん
 雪合戦 形勢不利でポケットに入れてた冷凍みかんを投げる


084:千
  千の風数えたことがあるのかよ! それでも雨が降るように逝く
080:夜
  夜昼がバク転したる生活は通常世界と切り離される
066:雛
  巣の中の親と雛との殺し合い ホモサピエンスの恩の字薄く
037:奥
  内面の奥のそのまた奥の院 淀が100人 棲み続けるなり


小学校のスケート授業、最後の日の恒例行事がミカン拾いだった。
校庭に作られたスケートリンクに、ミカンを沢山ばら撒いて、
スケートではなく長靴のままで、取り合った数を競うのだ。
滑ったり転んだりが楽しく、冷たいスケート靴を一年間は
見なくて済むのだ、という解放感もまた嬉しかった。

そして雪が本格的に積もり始め、授業はスキー場へと移行する。
みなスキーの方が大好きで、校庭はとても寂しくなる。

やがてスキーシーズンも終わりに近づき、寒さが緩んだころ、
使われなくなったスケートリンク脇の雪山からは、
数個の凍ったミカンが、給食の牛乳パックや缶ジュースなどと一緒に顔を出す。

あ、そうか、春はすぐそこなんだ。

そうして小学生たちは、新しい学年になる準備を始める。

  納戸より出したスケートバッグからミドリの球が。去年のミカン   理阿弥

すくすくさんの百首から

2010年09月04日 | 五首選 - 題詠2010
082:弾
 街路樹をくぐる散弾銃ほどの陽射しと蝉時雨を浴びながら


098:腕
  黄金のまどろみの中落ちてゆき胎児退行する腕枕
079:第
  中指の第一関節ふやふやとふやけてしまうほどの愛情
044:ペット
  どうしても君を失いたくなくて埋めてしまおうペットセメタリ
015:ガール
  スティーブン・セガールみたいな少女来て沈黙だらけで終わったコンパ


木漏れ日が、散弾につけられた傷のようにあたっている。
人類の斜陽に、太陽が厳しく照りつけているイメージが浮かんだ。
昨今の異常気象や、日本の経済状況のせいかしら。
木陰に走りこんでも、強い紫外線が容赦なく刺し貫く。
蝉たちも生命の最期を感じて、声を限りに歌っている。
そんな日々。

アシモフの短編集『われはロボット』(1950) に、
「堂々めぐり」という一篇がある。
2015年の水星で、鉱山技師たちが太陽光に焼かれそうになり、
右往左往するという、スリルにあふれた話なんだけど、
さて、五年後の日本はどう変わってるだろう。
もちろん水星になんか降り立つべくもないし…
「完全に日の没した国」なんて、世界からは言われているのかな。

  アベニューの光の斑を粧えばジャガー。駆け行く陽の沈むまで   理阿弥    粧う=よそおう

じゅじゅ。さんの百首から

2010年09月03日 | 五首選 - 題詠2010
066:雛
 道のべで小さく揺れる雛桔梗 降りみ降らずみリズムを刻み


093:全部
  大丈夫ここなら安全部屋の中 鍵かけてるし女装してるし
039:怠
  夕霞月はおぼろに傾いてそろそろ沈む倦怠期かな
024:相撲
  母としたおおばこ相撲思い出し踏まずに歩く公園の脇
009:菜
  大きめの傘にポツンと花菜雨いつも遅れて来るひとを待つ


なかなか来ないバスを待つバス停でのヒトコマ、
そんな風景が浮かんできました。

下の句が、古風な言い回しと口語表現の組み合わせで
テンポの良い音韻を完成させています。
しかし、一首のポイントは「小さく揺れる」だと思うのです。
日々の生活の、見過ごしてしまいそうなささやかな一瞬が、
雛桔梗に託されて詠まれています。

  雨音の届かぬ部屋にポツポツとコークの炭酸息づきはじめ   理阿弥

空音さんの百首から

2010年08月28日 | 五首選 - 題詠2010
062:ネクタイ
 ときどきは秘密の恋のスリルをくれた例えばネクタイの色とかで


089:泡
  あの泡の記憶はきっと残るだろう路地裏の濃密なビールの
081:シェフ
  三ツ星のリストランテのシェフの名を声高に言う君のアサハカ
063:仏
  あんなにも別れで泣いた葬式でのど仏の骨冷静に見る
008:南北
  ipod10曲ほどの君の街南北線で繋がれている


読みすごしてしまえない、不思議な一首。
韻律としてはちょっと破天荒なかんじ。
分析してみると、
ときどきは・秘密の恋の・スリルをくれた<例えば>ネクタイの・色とかで
5・7・7<4>5・5、となるのかな。

二三回目を通すと、引っ掛かりなく読めるようになる。
体内に定型のリズムが無いと、こういう自由な詠み方は出来ないと思う。
作者の空音さん自身は、意識せずに詠まれているのかもしれないなぁ。
このような遊びがすっと出来ることこそ、
生来の詩人の資質なのではないか、という気がする。

  九谷焼の黄色いピアスを頑なに付けてはくれず破れて、やがて   理阿弥