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  理阿弥の 題詠blog投稿 および 選歌・鑑賞など

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生田亜々子さんの百首から

2010年12月22日 | 五首選 - 題詠2010
049:袋
 一枚の袋となれり猛りたるやさしきものを受け入れた夜


099:イコール
  イコールで話が終わるものばかり手元に置いてカーワーイーイー
094:底
  母さんが骨盤底筋体操にいそしんでいる夜のいりぐち
010:かけら
  先端にわれのかけらを付着させ鼻から煙吐き出しおりぬ
009:菜
  菜の花の一輪の中一本のおしべとなって月を見ている


日々、様々なものが私たちの体に入ってきて、少しだけ留まり、変化を与えて、
いろんな方法で出ていってしまう。
身体が袋や筒の生物学的シノニムであるというのは、忘れられがちな事実だ。
いつの間にかうまれた「意識」が、自分という個を引き止めるようになって、
私たちはやがて、自分が堅固な核をもった「個人」であると信じ、
自分を構成するすべてが、「個」に属する自分由来のものであると思いこんでしまう。
「生かされている袋」であることを忘れてしまう程に「個」の意識が肥大してしまった私たちが、
そのことを思い出すのは、食事、排泄、生殖のような原始的な行為をするときである。
これらの欲求は我々の頭の最奥にある、原初の形をとどめた小さな脳に支配されている。

そのような、外界との関わりのなかで生かし生かされているという喜びを、
特権的かつ本能的に知るのは女性だ。
一方、男は学習によってその喜びを知るしかない。個を撒き散らすことに懸命だからだ。
そう考えると、共同体に依って生きることがなにより大切であった古代の国々に、
女系の王族が多いことや、日本の太陽神アマテラスが女神であるのにも納得がいく。
男が幅をきかせるようになるのは、時代がくだり「蓄える」ことを知って、
個人が少しずつ豊かになってからのことだ。

産道を通って初めて世界を眩しく思った瞬間のことを、
私たち大人が記憶していないのは本当に残念なことだ。
その喜びを覚えていれば、一人で生きているのではないということを、度々忘れたりはしないだろうに。
大御神だって岩戸を開けて、眩しく照らされたファミリーの顔をみたときに、
喜びと共に再生したのである。

食事や排泄、生殖などの原初的行為のおおくで、快感や痛みを伴うのは、
「つながっている」という喜びを思い出させるために、天が与えた仕組みのように思う。

…男が妊娠・出産を経験できるようになったら、世界は一体どんなふうに変わるのだろう…

  膨らんだお腹に話す声を背に葛根湯を飲む年の暮れ   理阿弥
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