ロックと台湾を愛す…第2章

音楽と台湾関連を中心とした日々を徒然なるままに

金門島旅行記⑤

2007-03-22 00:15:00 | 台湾旅行記2006年(金門島5月・8月)~10&11回目

馬山觀測站

今回の旅行のハイライトです。対岸の中国大陸まではわずか2kmという観測所です。

Pict0120

Pict0118

観測室から眺める大陸は本当に近いです。泳いで行けそうな距離です!!備え付けの望遠鏡を使って眺めれば、対岸の人の動きまでくっきり見えます。

Pict0117 Pict0119

こんなに近いのに、国交が無く緊張状態。対立の歴史を経て、国と国の距離はこんなには近くないのです。

台湾と中国、果たして将来はどうなるのだろうか?大陸を覗きながらそんなことを考えます。

ちなみに金門島と中国大陸、地図上ではこんなに近いのです。↓

Nlocatoin_1

毋忘在莒

Pict0125

「莒にいることを忘れるな」という意味です。太武山を三分の二まで登った所にある、故蒋介石総統の書いた「毋忘在莒」の四文字を彫った岩です。

これは戦国時代、燕の国に最後の領地まで攻め込まれて、亡国の瀬戸際に立たされた時、よく攻め返して最後の勝利をおさめたという斉の国の故事にちなんで、「今、われわれが莒(金門のこと?)にいることを忘れてはいけない」と戒め励ましている言葉です。

しかし、この山、結構険しく一日の最後に上るにはかなりキツかったです。車で上ることはできないので行くことをためらいましたが、それでもタクシー運ちゃん(おそらく60歳過ぎ?)、見せたいらしく一生懸命歩き、自分を案内してくれました。

有名な岩だけあり、やはり頑張ってでも行く価値ありです。




こうして、タクシーの運ちゃんに案内してもらい、金門島の一日観光を終えることができました。かつては、大陸から砲撃をうける程の最前線だったそうですが、今では南国の島という雰囲気でゆったりとした時間が流れる癒しの空間でした。

しかし、歴史の傷跡は深く、今でも軍事施設が残り、いざという時を想定しているようです。

今回は念願叶っての一日観光ではありましたが、時間があれば是非、宿泊してでもゆっくり観光したいものです。  

最後の運ちゃんの頑張りに、チップを弾んだのは言うまでもありません。ありがとう運ちゃん。 (完)


金門島旅行記④

2007-03-11 00:20:00 | 台湾旅行記2006年(金門島5月・8月)~10&11回目

間が空きましたが、続きです。

翟山坑道

Pict0105 Pict0107

大陸との緊張が高まった1961年、上陸用舟艇発着基地として造られた海に面した秘密の地下水路で、1986年には廃棄となったそうです。

水路は今も観光用施設として残されており、妙な湿気と涼しさが、非日常な空間を醸しだします。

ほんと秘密基地といった感じです。

八二三戰史館

Pict0111 Pict0109

1985年の八二三砲戦の様子を展示しています。敷地内には、当時使用された戦闘機などが展示されています。

山后民俗文化村

Pict0113 Pict0114

1990年に建てられた福建省南部の伝統的な建築様式の建物が並ぶ文化村です。

村には土産物屋があり、覗いてみると、中国製品や、台湾・中国両国旗をデザインしたTシャツなどが売っていました。

このTシャツ買おうかなと思いましたが、持ってると政治的に良くないと思う人もいるだろうなと思い、やめました。

Pict0115 Pict0112

                            (続く)


金門島旅行記③

2006-12-22 20:46:09 | 台湾旅行記2006年(金門島5月・8月)~10&11回目

古寧頭戰史館

タクシー運將(運ちゃん)にガイドをお願いし、まず目指すは「古寧頭戰史館」。空港から15分程で到着。

ここは1949年10月25日に中国の人民解放軍の武力上陸(古寧頭の戦い)を撃退した記念に立てられた記念館。

Pict0098_3

館内には戦いの様子や、使用された武器などが展示されています。

Pict0094

古寧頭の戦いは56時間に及んだが、結局、国民党軍が人民解放軍を撃退。上陸軍を撃退したことは金門島の大きな誇りになっているそうです。

Pict0096

(↑古寧頭の戦いで活躍した「金門の熊」ことM5A1タンク)

莒光樓

次に向かうは「莒光樓」。1953年に金門防衛司令官が立てた宮殿様式の建物で、「大陸反攻」のシンボル。

館内の展示室には金門島を紹介する様々な展示があります。行ったときはちょうど、映画館のような上映室で、金門島の歴史を紹介するビデオが上映されており、映像付きで歴史を知ることができました。

Pict0101

Pict0102_1

(↑莒光樓そばにあった「電話亭」、珍しくて思わず撮影)

ちなみにこの日はめちくちゃ暑い日でしたが、駐車場に車を停めておく際、タクシーの運將、車のクーラーを消したくないらしく、車のキーさしっぱなし、エンジンかけっぱなし、もちろんドアの鍵は開いたまま30分くらい駐車してました。

盗られないのか金門島では…?なんて平和な島。     (続く)


金門島旅行記②~リベンジ編~

2006-12-10 22:12:28 | 台湾旅行記2006年(金門島5月・8月)~10&11回目

そんなわけでリベンジを誓った金門島。その雪辱(?)を晴らす日はそう遠くはありませんでした。

前回の渡航から3ヵ月後の2006年8月11日。再び金門島へ向かう機会を得ました。

今回は10:00発、立榮航空B7885での日帰り旅行。前回は1時間半待っても飛べなかっただけに、果たして今回は行けるのか?!緊張が走ります。

チェックインカウンターでの手続きは順調。搭乗口でも「延誤」の表示は無し。

今回こそ行けるか?!…いや、油断はしては行けません。何といっても、中国大陸との最前線、少しでも天候が悪ければ飛行機は飛びません。

着々とフライトの時間は近づいてきます。そこへ「現在開始登機了(ただいまより搭乗を開始します)」のアナウンス。

お、乗れる!…いやいやまだまだ、油断は禁物…ってさすがにここまできたら安心しましょう。今回は意外と簡単に出発できたのでした。

離陸、約一時間後、ついに金門・尚義機場へ到着。

Pict0126_1

8月ということもあり飛行機を降りると、そこは灼熱の南国。肌が痛いくらいです。空港前には「風獅爺」という守り神が鎮座。旅行者を出迎えます。

Pict0093

(↑前回乗れなかった念願の立榮航空)

金門島での交通は島内バスはありますが、一人旅行者、しかも日帰りでの観光にはやはり少し不便。そこで、タクシーをチャーターし、一日観光をお願いしました。

早速、空港出口付近の「運將(運ちゃん=運転手)」を捕まえて、値段交渉。

「1時間450元=約1,620円」とのこと(1元=約3,6円)、まずまずと思い早速お願いする。タクシーへ乗り込み、まず、目指すは「古寧頭戰史館」。

こうして、念願の金門島観光はスタートしたのでした。

コメント (1)

金門島旅行記①~序章~

2006-12-10 02:24:42 | 台湾旅行記2006年(金門島5月・8月)~10&11回目

金門島、いつか訪れて見たい場所のひとつでした。

中国大陸・廈門との距離は、一番近いところで2㎞。かつては戦争状態の中国との最前線でした。

戦争状態は完全に終結していなく、今でも島内には軍の施設が点在しています。

そんな中、人々はどんな生活を送っているのか?また、文化的に中国大陸の影響はどうなのか?

興味は尽きません。気になる、金門島…

そんなわけで、いつかは行きたいと思っていた金門島に、ついに行く機会を得ました。

20065月6日。立榮航空B7883700発の便に乗って日帰り旅行の計画を立てました。

一時間前の600には松山機場に到着し、チェックインを済ませ、搭乗口へ。

Pict0042_3

しかし、様子がおかしい。どうやら金門の天候が悪いらしく、フライトが遅れている模様。

Pict0044

待つこと一時間、いつまでたっても、「因天氣影響金門機場關閉(天候の影響で現在閉鎖中)」。

この日は霧のため、視界が悪く、金門着陸が不可能との判断だった模様。

さらに待つこと20分。なんと「因天候不佳取消起飛(悪天候のためフライトキャンセル)」のアナウンスが!!金門は中国大陸との最前線なので、ほんの少しでも航路がずれて飛行機が大陸側に流されてしまうと、「領空侵犯」になってしまう可能性があるそう。それほど緊張を要する場所なのです。

こうして、初の金門行きは阻まれてしまったのでした。うーん気になる金門島…

「いつか絶対に行ってみせる」と、さらに想いをつのらせるのでした。。

ちなみに、この日は替わりに烏來へ日帰りで行くことにしました。烏來の様子はまた今度。