田の字の家に暮らす

日々思うこと

牡丹の花が咲き始めた  2010年頃からの記憶をたどる 

2021-04-14 | 家が建つまで
父は沢山の牡丹を植えていた。
4月末頃になると「牡丹が咲くよ」と、嬉しそうに教えてくれた。

今この庭には牡丹は一本だけ。
去年は咲かなかったので、ダメになってしまったのかと心配していたので、
よけいに嬉しい。


ずっと、この家が建つまでの事を記録に留めておきたいと思っていたのだが、
なかなかその気になれずにいた。
ふと思い出すと、記憶がだんだん曖昧になっていることに気付き、焦った。

多くの人にとって2011年が特別な年であるように、でも、私には違う意味で2010年からの数年は特別な年であった。
忘れたくないけれど、思い出したくもない数年の出来事。

今なら、まだ正確に思い出すことが出来るだろう。



2012年(平成24年)

2020-11-01 | 家が建つまで
この年の少し前に手相とか占いに興味を持ったことが有った。
と言っても、何回か手相を見てもらっただけだが…

よく当たっているので驚く事が多かった。

しばらくすると関心も薄れてしまっていた。

それから何年か経って
正月の初詣に家族で出かけた時
久しぶりに辻占に寄ってみようかということになった。

夫が見てもらうと意味不明なことを言われた。
「あなたは4月5日に亡くなって生まれ変わっていますね。」
その場にいた娘がブルブルして言った。
「あの日だよ!」

あの日、家族4人で食事をしていた。
突然、長女が「父さん変!」と言う。
いつも寡黙な夫なので何の不信も抱いていなかったが
隣を見ると夫がうなだれている。
息もしていない。その頃亡くなった人を見慣れている私には夫も死んでいるようにしか見えなかった。
こういう状態になって何分くらい経つのか?

馬を蘇生させたという前田さんから聞いた祝詞を上げている間に、
娘が救急車を呼んだ。

救急車が来た途端、夫が起き上がって
どうしたんだ?という感じ。

取りあえず病院に行ったが、医者は迷惑そうに
「なんともありませんよ」

この日のことは笑い話になっていた。
ただ不思議なことに私の携帯にこの日の祝詞の声だけ!入っていた。
何時? 誰が? どの様に入れたのか?
今だ分からないが…

何時思い出しても不思議な話だ。

こういうことはちっとも不思議じゃないという人もいるが。

2011(平23)年 から 2012(平24)年

2020-05-23 | 家が建つまで
何度も書いて重複する内容ですが、気持ちの整理の為に書きます。

3・11
父に言われて、お寺さん回りをしていました。
近づくお彼岸の為に、ご先祖様や叔父叔母の塔婆を書いて頂くためです。

駐車場で車から出たとたん、グラッときて立っていられなくなりました。
私自身の具合が悪化して平衡感覚が無くなり、いよいよダメかと思いました。
周囲に人気は無く、見えているのはお墓だけ。 怖かった。

それでも用事を済ませ、父の待つ家に帰りました。
父は、もう一軒お寺に行くと言います。
父を乗せてグラグラ揺れる道路を走ってお寺に向かいました。
東京方面の空が真っ黒と真っ赤に染まっています。
父に言うと「天変地異の時はこうだ」と、平然と答えます。
父は目も見えず、耳もほとんど聞こえません。

家路についたのは夕方で、家にたどり着いたのは翌朝でした。

この時から、私は携帯を持つようになりました。


余震は続きました。
次女夫婦はドイツの命令?で関西、広島?の方へ移転してしまいました。

私は特定宗教の信仰は無いけれど、”本当の神様”はいらっしゃると信じています。
それで、福島周辺ばかり余震が起こるのを見て、神の怒りだと思ったのです。

そのことに関しての本が有るのではないかと、図書館で探しました。

それからです。私の神社巡りが始まったのは。

4月9月に従兄夫婦が相次いで亡くなりました。
12月には父が亡くなりました。葬式は翌1月5日。
その日に近所で一番親しいおばさんが亡くなりました。

本当に沢山の方が亡くなったと思いました。

実は2012年、夫が亡くなっているという説も有るのです。
心の整理をしてまた書きます。

暮らし方の変化が始まる

2020-04-13 | 家が建つまで
私と夫は、60歳になったら一年間海外で暮らすという夢があり、
それに備えて着々と準備を進めていた。

ところが、親の手伝い、家業を継ぐ・・・・・予定はすべて没。
それはそれで新しい展開も楽しいものではあったが。


3・11から人生が変わったという人が多いが、我々もその口かもしれない。
いや、私の場合その前年から大きく変わりつつあった。

2010年秋ごろ、夫が突然”肉食をやめる”宣言をしたのだ。
子供たちは不満の声を上げた。
夫「やめるのは私だけで、皆は今まで通りでどうぞ」
私と次女は、もともと肉好きではないので問題はないのだが。
結婚してから努力して、肉料理はかなり上達していたのに…残念。
夫は言い出したら聞かない人なので、これから両方の支度をするのか?

その日から、野菜 魚 せめての鶏肉料理の研究を始めることになった。


そして 3・11.
この年
津波によるものではないが、一番頼りにしていた従兄夫婦と父が亡くなった。
姉がいらないと言うので、父の相棒だったリース犬を我が家で引き取った。