北川の岩場 オレンジは目立つけど太って見えるなぁ・・・
○パートナー:木戸先生 運転、ビレイ、フォトありがとう。
M氏 ビレイどうもありがとう。
勝井スクール 生徒さんお一人
○ようやく身体も動くようになってきました。まだ、起床時の腰の痛みはありますが。
○今日はゆっくりと聖人岩で5.11でもやろうと思っていたのですが、出発前に木戸先生より北川へ変更とのこと。M氏に連絡すると北川でもいいとのお返事でした。
○昨日の雨の影響も強いと思ったのですが、気温が高く岩は熱をもっていて乾きが早かったかと思われます。
★北川の岩場
・もうすぐ七夕 5.8 TR
・天の川 5.10b TR
・謙譲の美徳 5.11a
・ルンルン・ヒロシ君 5.12a 3Try next
要所、要所のホールドが濡れています。RPまでまだまだかかりそうです。
・謙譲の美徳 5.11a TR ダウン
○遠くで雷が鳴っていましたが岩場には降りませんでした。今日は陽の下はかなり暑かったのではないでしょうか。気持ちの良い緑でした。帰り箱根ヶ崎辺りで雨の跡が見られました。
○北川の岩場の上には秋葉大権現が祀られています。
秋葉大権現
秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に位置する、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社。
日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社)、秋葉大権現および秋葉寺の殆どについて、その事実上の起源となった神社である。
現在の祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。江戸時代以前は、三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)を祀(まつ)る秋葉社(あきはしゃ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(あきはでら、しゅうようじ)とが同じ境内にある神仏混淆(しんふつこんこう)で、人々はこれらを事実上ひとつの神として秋葉大権現(あきはだいごんげん)や秋葉山(あきはさん)などと呼んだ。
古くは霊雲院(りょううんいん)や岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)などの呼び名があったという。徳川綱吉の治世の頃から、三尺坊大権現は神道、仏教および修験道が混淆(こんこう)した「火防(ひぶせ)の神」として日本全国で爆発的な信仰を集めるようになり、広く秋葉大権現という名が定着した。
特に度重なる大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、大勢の参詣者が秋葉大権現を目指すようになった。この頃山頂には本社と観音堂を中心に本坊・多宝塔など多くの建物が建ち並び、十七坊から三十六坊の修験や禰宜(ねぎ)家が配下にあったと伝えられる。参詣者による賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものであったと言われ、各地から秋葉大権現に通じる道は秋葉路(あきはみち)や秋葉街道と呼ばれて、信仰の証や道標として多くの常夜灯が建てられた。また、全国各地に神仏混淆の分社として多くの秋葉大権現や秋葉社が設けられた。
1868年(明治元年)に明治政府によって神仏分離令が、1872年(明治5年)には修験宗廃止令が強行され、山内の修験派と僧派の対立も手伝って、三尺坊大権現は萬松山可睡斎(静岡県袋井市)に遷座、秋葉寺は寺領や宝物を没収され廃寺とされた。
秋葉社も一旦は廃社とされたが、翌1873年(明治6年)、地元の人々の強い願いにより、祭神を火之迦具土大神とする秋葉神社として再建された。これに伴って各地に設けられた分社は分社としての地位を失い、それぞれの土地の事情で神仏分離令に従い、神社または寺として独立の道を歩むこととなった。