過日、ウチの学校で教育実習生を3週間受け入れた。
昔も今もわが国で教師になるためには、例外なく教員免許が必要で、その教員免許の取得には例外なく現場での実習が必修となっている。なので、学校現場は基本的にどの校種にかかわらず、例外なく実習生を受け入れている。もちろん、特別支援学校も例外ではない。
この教育実習。いつの世にも例外なく実習生は評判が悪い。
で、今年もやっぱり例外なく、職員室からは、教員のボヤキが渦巻いていたのであった…。
教育実習。
私ももちろん、学生の頃に実習をさせてもらっている。私の場合は、幼稚園、小学校、中学校、特別支援学校、高等学校の教員免許を持っているので(すごいでしょ)、高等学校以外の学校に教育実習生として、長いところでは4週間、短くて1週間ほどお世話になった。
で、私の教育実習というのはどういうものだったかのかというと、間違いなく評判の悪い実習生に違いがなかったろう。
4週間の実習に行ったのは、大学3年生の9月で、行った先は幼稚園だった。これは、私の在籍していた課程が幼稚園教員養成課程だったため。けど、私は、幼稚園の教員になりかったわけではなく、大学入試で第3希望に書いた幼稚園課程に何とか引っかかって入学できたので、そこにすべり込んだというわけである。こういう第3希望学生は私だけではなく、当時、幼稚園課程のゼミには23人の同期がいたけど、幼稚園教員の第1希望者は0人だったと記憶している。(なお、このような教員養成大学の課程はどう考えてもおかしいわけで、現在は大きくシステムが変更されている。あしからず)。
なので、幼稚園教員を目指していないけど、幼稚園に実習に行かないと、卒業単位にありつけないので、全員4週間の実習に行くということなのだ。こういう、実習への意識からして低い連中が実習に行くわけで、そりゃあ、どこの幼稚園でも評判はよくなかったろう。
今にして思えば、恥ずかしいこと満載の4週間であったし、受け入れたほうの幼稚園も我慢をしながら実習生の面倒をみたことだろう。にもかかわらず、同期の女子学生は「これだけ、働かすんだったらバイト料をよこせ」などと、うそぶいていた。若気の至りこれに極まりといった感じだが、まわりにいた女子学生も「そうそう」と賛同していたし、私も、声には出さなかったけど、「なるほどなあ」と思っていたので、当時の私たちの学生の気分をあらわしていたといっていいだろう。
そのほかに私は、小学校、中学校、特別支援学校と教育実習に行ったわけであるが、幼稚園に4週間行ったときとさほど意識はかわらない。行かないことには免許が取得できないのであるから、とにかく行ったということなのだ。
当時は、バブルがはじけたといっても、教員採用の門戸は果てしなく開かれていた。私のいた教員養成系の大学では、在籍学生の8割が教員採用試験に合格していた。多分、教員志望者はよほどのことがない限り教職にありつけていただろう(当時も期限付きというのはあったし、とびきり僻地へ赴任してもらうということもあったろうし、養護学校に免許がなくても採用になるなんてこともあった。それもこれも含めて、希望すればみんな教職にありついていたのだ)。だから、誰も教員採用試験に向けた勉強なんてしなかった。そんな時代だもの、誰も表向き「教師になりたい!」なんていう熱いこころざしを見せてはいなかった。こころざしがなくても教師になれたもの。そんな、ゆる~い時代の学生だもの、教育実習に対しても、ゆる~い気分で行っていたのだ。ちなみに、この8割の採用は、3年後には4割以下にまで激減して、現在に至っている。
というわけで、私の来歴からして、職場にやってきた教育実習生に対して「最近の実習生は、まったく…(怒)」というような、他の教員一般のような心象になることはありえない。
自分と比べてみたって、こんなもんだろうと思うので、当時の恥ずかしい自分を思い出すにはあまりある、教育実習の3週間なのである。
特別支援学校に来る実習生というのは、まず間違いなく特別支援学校の教員を第1志望としていない。みな、小学校なり、中学校なりの教員を志望しているし、教員以外の職種を希望しているものだって多い。だから、もともと実習への意欲は低いのは当たり前。それに、今回は12名の実習生を受け入れた。これも、周りに特別支援学校が少ないのだから、1校に多くの実習生を受け入れるのは仕方ないのだが、これだけ実習生がいれば、ついつい大学の学生気分の振る舞いになってしまうというものだろう。
なので、私としては、人生の思い出として3週間の実習をやったらいいでしょうという感じで、実習生の面倒をみた。ちなみに、ここ数年の私の教育実習に対するスタンスはそんな感じ。だから、実習生の振る舞いが、いかに学校現場にそぐわなくてもまわりの教師や子ども達に迷惑が及ばないのであれば、放っている。自分の後輩の面倒をみるというような愛情は全くない。実習が終われば他人になるというはかない関係なのだ。
これは、すべて私自身の教育実習の体験による。実習生のメンタリティなんてそんなもの。それでも、我が身を振り返れば、受け入れる教育実習生は皆、立派に見えるんよ、というところかな。
私の持論として、「デキる教師というのは新卒の頃からデキる教師である」というのがある。
つまり、全教師の割合にして1~2%、つまりせいぜい50人に1人いるかいないかの、デキる教師というのは、努力もさることながら、はじめからデキる教師だったのだ。
そうであるなら、実習生だったときも他の学生と比べて、デキる実習生だったに違いない。
つまり、現場の教員を感心させるような実習生というのは、50人に1人くらいだろうということ。
その他の残りの49人の実習生というのは、そんなそんな立派な学生のわけがないのである。
ただ、毎年、アホな実習生の話題にはこと欠かない。
あいさつのできない実習生というのは、古今東西、ありふれた話題かな?
あるいは、過去の話では、担当教師が、指導案について指導したら次の日休んだ女子学生というのがいた。これも、近年増えてきているようですね。実習がモタない学生、モったとしても、担当教師の多大なフォローが必要になっているケース。
ああ、それから、実習生控え室に、スナック菓子の袋を散乱させていたというのもあった。
今年はというと、給食の一品食いの女子学生が出現した。特別支援学校にかかわらず、給食時間も指導の一つだから、一品食いというのはなあ。やはり教師はご飯、おかず、汁物の三角食べができなきゃなあ。けど、それは給食指導以前の、社会人としての飯を食うときの常識じゃあないかしら。
そうそう、最近になって私が思うのは、教育実習というのは、教師になるための実習期間ではなく、大学生が社会人になるための実習期間なのだろうなあということである。
つまり、正しいあいさつのし方、とか、食べたあとのゴミは持ち帰る、とか、食事は一つの皿をいっぺんに食べないで少しずつ食べていくとか、そういう社会人として必要なスキルを身に付ける場なのだろうと思うようになった。
だから、言葉遣いがおかしければ教えてあげればいいし、実習日誌の書き方がわからなければ教えてあげたらいいのである。彼らを教師の卵と思うから腹がたったりボヤいたりするのであって、大学生の社会人実習と思えばいいのである。
けれど、そうなると、実習生を担当する教師としては、授業や学級経営や生活指導を教えるだけでも忙しいのに、何でそんなことまで教えなくちゃならんのかとも思いますが。
こうなりますと、今は教員になっている私の同期の女子学生は、「バイト料よこせ」ならぬ「これだけ、面倒かけるんだったら手当よこせ」と言っているんじゃありませんかね。
昔も今もわが国で教師になるためには、例外なく教員免許が必要で、その教員免許の取得には例外なく現場での実習が必修となっている。なので、学校現場は基本的にどの校種にかかわらず、例外なく実習生を受け入れている。もちろん、特別支援学校も例外ではない。
この教育実習。いつの世にも例外なく実習生は評判が悪い。
で、今年もやっぱり例外なく、職員室からは、教員のボヤキが渦巻いていたのであった…。
教育実習。
私ももちろん、学生の頃に実習をさせてもらっている。私の場合は、幼稚園、小学校、中学校、特別支援学校、高等学校の教員免許を持っているので(すごいでしょ)、高等学校以外の学校に教育実習生として、長いところでは4週間、短くて1週間ほどお世話になった。
で、私の教育実習というのはどういうものだったかのかというと、間違いなく評判の悪い実習生に違いがなかったろう。
4週間の実習に行ったのは、大学3年生の9月で、行った先は幼稚園だった。これは、私の在籍していた課程が幼稚園教員養成課程だったため。けど、私は、幼稚園の教員になりかったわけではなく、大学入試で第3希望に書いた幼稚園課程に何とか引っかかって入学できたので、そこにすべり込んだというわけである。こういう第3希望学生は私だけではなく、当時、幼稚園課程のゼミには23人の同期がいたけど、幼稚園教員の第1希望者は0人だったと記憶している。(なお、このような教員養成大学の課程はどう考えてもおかしいわけで、現在は大きくシステムが変更されている。あしからず)。
なので、幼稚園教員を目指していないけど、幼稚園に実習に行かないと、卒業単位にありつけないので、全員4週間の実習に行くということなのだ。こういう、実習への意識からして低い連中が実習に行くわけで、そりゃあ、どこの幼稚園でも評判はよくなかったろう。
今にして思えば、恥ずかしいこと満載の4週間であったし、受け入れたほうの幼稚園も我慢をしながら実習生の面倒をみたことだろう。にもかかわらず、同期の女子学生は「これだけ、働かすんだったらバイト料をよこせ」などと、うそぶいていた。若気の至りこれに極まりといった感じだが、まわりにいた女子学生も「そうそう」と賛同していたし、私も、声には出さなかったけど、「なるほどなあ」と思っていたので、当時の私たちの学生の気分をあらわしていたといっていいだろう。
そのほかに私は、小学校、中学校、特別支援学校と教育実習に行ったわけであるが、幼稚園に4週間行ったときとさほど意識はかわらない。行かないことには免許が取得できないのであるから、とにかく行ったということなのだ。
当時は、バブルがはじけたといっても、教員採用の門戸は果てしなく開かれていた。私のいた教員養成系の大学では、在籍学生の8割が教員採用試験に合格していた。多分、教員志望者はよほどのことがない限り教職にありつけていただろう(当時も期限付きというのはあったし、とびきり僻地へ赴任してもらうということもあったろうし、養護学校に免許がなくても採用になるなんてこともあった。それもこれも含めて、希望すればみんな教職にありついていたのだ)。だから、誰も教員採用試験に向けた勉強なんてしなかった。そんな時代だもの、誰も表向き「教師になりたい!」なんていう熱いこころざしを見せてはいなかった。こころざしがなくても教師になれたもの。そんな、ゆる~い時代の学生だもの、教育実習に対しても、ゆる~い気分で行っていたのだ。ちなみに、この8割の採用は、3年後には4割以下にまで激減して、現在に至っている。
というわけで、私の来歴からして、職場にやってきた教育実習生に対して「最近の実習生は、まったく…(怒)」というような、他の教員一般のような心象になることはありえない。
自分と比べてみたって、こんなもんだろうと思うので、当時の恥ずかしい自分を思い出すにはあまりある、教育実習の3週間なのである。
特別支援学校に来る実習生というのは、まず間違いなく特別支援学校の教員を第1志望としていない。みな、小学校なり、中学校なりの教員を志望しているし、教員以外の職種を希望しているものだって多い。だから、もともと実習への意欲は低いのは当たり前。それに、今回は12名の実習生を受け入れた。これも、周りに特別支援学校が少ないのだから、1校に多くの実習生を受け入れるのは仕方ないのだが、これだけ実習生がいれば、ついつい大学の学生気分の振る舞いになってしまうというものだろう。
なので、私としては、人生の思い出として3週間の実習をやったらいいでしょうという感じで、実習生の面倒をみた。ちなみに、ここ数年の私の教育実習に対するスタンスはそんな感じ。だから、実習生の振る舞いが、いかに学校現場にそぐわなくてもまわりの教師や子ども達に迷惑が及ばないのであれば、放っている。自分の後輩の面倒をみるというような愛情は全くない。実習が終われば他人になるというはかない関係なのだ。
これは、すべて私自身の教育実習の体験による。実習生のメンタリティなんてそんなもの。それでも、我が身を振り返れば、受け入れる教育実習生は皆、立派に見えるんよ、というところかな。
私の持論として、「デキる教師というのは新卒の頃からデキる教師である」というのがある。
つまり、全教師の割合にして1~2%、つまりせいぜい50人に1人いるかいないかの、デキる教師というのは、努力もさることながら、はじめからデキる教師だったのだ。
そうであるなら、実習生だったときも他の学生と比べて、デキる実習生だったに違いない。
つまり、現場の教員を感心させるような実習生というのは、50人に1人くらいだろうということ。
その他の残りの49人の実習生というのは、そんなそんな立派な学生のわけがないのである。
ただ、毎年、アホな実習生の話題にはこと欠かない。
あいさつのできない実習生というのは、古今東西、ありふれた話題かな?
あるいは、過去の話では、担当教師が、指導案について指導したら次の日休んだ女子学生というのがいた。これも、近年増えてきているようですね。実習がモタない学生、モったとしても、担当教師の多大なフォローが必要になっているケース。
ああ、それから、実習生控え室に、スナック菓子の袋を散乱させていたというのもあった。
今年はというと、給食の一品食いの女子学生が出現した。特別支援学校にかかわらず、給食時間も指導の一つだから、一品食いというのはなあ。やはり教師はご飯、おかず、汁物の三角食べができなきゃなあ。けど、それは給食指導以前の、社会人としての飯を食うときの常識じゃあないかしら。
そうそう、最近になって私が思うのは、教育実習というのは、教師になるための実習期間ではなく、大学生が社会人になるための実習期間なのだろうなあということである。
つまり、正しいあいさつのし方、とか、食べたあとのゴミは持ち帰る、とか、食事は一つの皿をいっぺんに食べないで少しずつ食べていくとか、そういう社会人として必要なスキルを身に付ける場なのだろうと思うようになった。
だから、言葉遣いがおかしければ教えてあげればいいし、実習日誌の書き方がわからなければ教えてあげたらいいのである。彼らを教師の卵と思うから腹がたったりボヤいたりするのであって、大学生の社会人実習と思えばいいのである。
けれど、そうなると、実習生を担当する教師としては、授業や学級経営や生活指導を教えるだけでも忙しいのに、何でそんなことまで教えなくちゃならんのかとも思いますが。
こうなりますと、今は教員になっている私の同期の女子学生は、「バイト料よこせ」ならぬ「これだけ、面倒かけるんだったら手当よこせ」と言っているんじゃありませんかね。