憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

発達障害と児童虐待

2008-09-05 23:30:30 | 発達障害の窓
■親から虐待を受けた子どもは,発達に障害を持ってしまいがちになるという。
■乳幼児期に受けた虐待の心的外傷体験がもとになって高機能自閉症を誘発したり,解離性障害に悩まされるということは,十分にありえることだろう。また,虐待によって脳の発達に障害が生じ,結果,ADHDと診断されるというデータも出てきている(杉山登志郎「『発達障害』をどう捉えるか」『発達』115号,ミネルヴァ書房,2008年)。虐待と発達障害を結びつけるこのようなデータは,誰しもが予想できることでもあり,そうだろうなあとアッサリ納得できるものだろうとも思う。
■そこで思い出されるのは,私が研修で訪問した養育園の園長さんによる講話である。養育園とは,何らかの事情で親が育てられなくなった子どもを養育する施設のことで,昔で言うところの孤児院だ。そこの子どもも,昔で言えば「施設の子」なんていう言い方もあった,あの施設のことである。
■この園長さんの話が,私にとっては意外な内容だった。園長さんによれば,ここで養育する子どもというのは,経済的な事情や親の死別で身寄りがなくなった子どもよりも,親の育児放棄によるものが圧倒的だという。そして,施設では,各地域の児童相談所からの要請によって子どもを受け入れるわけであるが,もう対応できない状況にあるという。ここまでは意外でもなんでもなく,私としても,そうだろうなあと思いつつ聞いていた。
■しかし,その続きが意外だったのだ。園長さんは言う。「昔は反抗的で不良と言われるような子どもが多くやってきました。しかし,最近はLDやADHDが増えてきました。まあ,こういう子どもだから,親は育てるのを放棄して,ここの施設にあずけるのかもしれません」。園長さんは,サラリと言ったのであるが,私は,なるほどなあと思わず感嘆してしまった。
■この園長さんは,虐待を受けたから発達障害になるのではなく,発達障害だから虐待(ここではネグレクトをいう)を受けたという議論を展開している。これが私には,意外だったのだ。ただし,この議論は「ニワトリと卵」であり,どちらが正しいか鑑別するのは,不可能であるし,意義があるとは思っていない。私が感嘆したのは,ともすれば虐待した親を擁護するような議論を展開しつつも,言われてみれば十分に予想できてアッサリと納得できる内容だったということと,それを話したのが,子どもを保護する立場である園長さんであったということである。こういう発言は,普通一般になかなか言えない。子どもを保護する立場の人だから,言えるのだと思う。なので,こういう立場の人の発言というのは,シビアであればあるほど,重いなあと感じたのでありました。