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東京大森のタイ料理店メーサイ

タイ料理レストランメーサイのオーナー、伊藤盛のブログです。

トイレ話ふたたび

2010年11月06日 | 思い出世界
大学時代の友達で、今中国で頑張ってる奴が訪ねて来てくれた。
久しぶりに飲んだ。

「今、大連にいるんだ。色々と大変だけど、中国って
動物園みたいで面白いよ。」

「中国の田舎って、外に仕切りなしのトイレを使ってるって
 ほんとなの?」

「あはは、いやあ、まぁそういうのもあるな。内陸部へいけば。
 用を足してると、わざわざ俺の前にしゃがむやつもいたりして、
 ま、笑っちゃうわ。

 アメリカ人が観光でやってきて、それ見てなんて野蛮なんだ、って
 ぶーたれててさ。」

「ふーん。気にしなくていいじゃんってとこが大陸的と言えば・・
 まぁ言えるか。
 でも、昔ロサンゼルスのビーチの公衆便所に入ったとき、ドアが
 全部なかったよ。
 いや、わざと最初からないんじゃなくて、良く見ると引きちぎったみたいに
 金物が壊れてた。
 直す気ないってあたりはけっこう野蛮かもね。」

「そりゃ、行政に金がないんだろ。
 タイの田舎もトイレは簡素だけど。
 海辺に立てた家のトイレに入れば、そのまま海にぼっちゃんだし、
 川っぺりの家でトイレを借りれば、そのまま川にぼっちゃん。
 で、そこんちの家の前で網で魚とりして、おかずで出たりして。
 お前、それ出されたら食う?」

「うん・・まぁ食うな。とりあえずは。」

トイレってなんか話が盛り上がるもんだなぁ。


伊豆の別荘?廃墟?

2009年07月21日 | 思い出世界
これ、親父の作ったマムシ酒です。

いつのまに?

俺がメーサイを開店する前年ですね。

俺がバンコクで煮詰まってうろうろしている頃です。

場所は伊豆。
親父が隠居する為に俺が13才のときに25年ローンで作った
ささやかな別荘。

俺がタイで有意義なのか無為なのかよくわからん時間と格闘してる
時。
親父はこの家のベランダで、マムシを見つけた。
山育ちの親父はマムシを捕まえてウォッカにぶち込んだ。
なぜわかったか?
ラベルに親父の字で色々書いてあるから。

こんなものがあったとは。
昨日、20年ぶりに・・いや、24年ぶりか。
伊豆の親父の別荘にカミサンとカミサンの姪っ子を連れて
やってきた。
情けなかったのは、別荘分譲地に国道から入る道がわからなかった。
5キロも行き過ぎた。
だって、あまりにも変わっていて、道路も周辺も何もかもが
別の場所だった。

庭は荒れ果てて、トイレや洗面の外壁はくずれて大穴があき、
風呂場は水漏れして、サッシは外れて倒れかけ、屋根は雨漏り、
西側のベランダは崩れ落ちて、半分は廃墟。
わかっていたことだが。
庭の木と竹は近隣に迷惑をかけるし、家に倒れかかって危ないので
処理してあった。
ほとんど見覚えのない家になっていた。近所の家も見覚えなし。

母がかなり前から一人頑張って、中を掃除してなんとか泊まれる状態。
頭が下がる。

そんな部屋の中で呆然としていて、ふと思い出した。
親父がこの家が出来た時に梅酒をつけた。
今なら36年ものだ。

押し入れを探したらでてきた。
梅酒とこのマムシ酒が・・・




タイの若者、挫折中

2008年12月06日 | 思い出世界
大変真面目な、カミサンの甥っ子。

一生懸命ウチで働きながら、日本語学校へ行って、
次の専門学校への奨学金も獲得して、やれうれしやと
思っていたんですけどね。

どうやら挫折しかかってます。

一年以上、ものすごく勉強してきたのに、最近、いきなり
勉強意欲を失った。
明日、日本語二級の能力試験なのに、まったく勉強していない。

・・いったいどうしたのか。

「次の専門学校はビジネススクールですけど、やりたいわけではなく、
 他に選ぶものがなかった。
 わたしには将来がないみたい。」

やれやれ、青春の門だ。

ああ、彼に成人式の案内がきている。
渡してやっても行かないだろうな。
まず間違いなくいかない。

さぁて、どう引っ張っていったもんか。

・・・トー、日本人の彼女作れば?
それが一番意欲が湧くなっ

ビルマでのおやつ・・

2008年10月08日 | 思い出世界
数年前、ウチの店にいたビルマ人のところに遊びに行った。
ニンニンさんという。

一番最初にウチに働きに来たのは、ニンニンさんの一番下の弟の
恋人ビルマ人。
で、彼女が恋人もウチに連れて来た。

その次に、ニンニンさんの別の弟がウチに働きに来た。

その次に、その弟がケイちゃんという可愛いビルマ人を連れてきた。

その次に、・・その次に・・ニンニンさんが来た。
ニンニンさんはウチに9年いた。
もはや家族に近い。

兄弟で稼いだお金を元にして、家族で協力しながら、喧嘩しながら、
ビジネスを大きくした。

初めは中古車を日本からビルマへもっていき、売った。
その次は、海老の商売を始めた。

冷凍倉庫の設備を、中古で少しずつそろえて、そこで漁師さんたちが
取ってきた海老を買い取り、加工して冷凍、日本の商社に売った。

この部屋は、その海老加工工場のオフィスである。
そこで、とれたての海老をごちそうになった。

なんか、感無量だった。
日本に出稼ぎにきて、稼いだお金を国に帰って使い果たす人ばっかり
見てきたけど、ここまで頑張った。
凄い人たちですわ。

良かったねー

思いでの一枚

2008年09月16日 | 思い出世界
神保町でタイ語の勉強を終えた後。
ぷらぷらと周りをお散歩していた。

本の町。
スケベ系のDVDチェーン、スケベ系に限定したような古本屋さん。
昔ながらの古書を置く店、古書の中でも専門分野をしぼったような渋い店、
眼鏡レンズのちょっとマニアックな店、三省堂の様な一つのビルがまるごと
ずっぽり三省堂、てなのもあるし、アジア文庫の様なジャンルをしぼっちゃった
お店もある。
「いもや」の様な老舗てんぷら屋さん、単なるチケット屋さんかと思ったら、
面白いグッズを売ってたり。昭和のおもちゃシリーズとか。アトムTシャツとか。
武道家のための武具を売る店、オリジナルの筆を売るような書の店。

個性を求める人たちが、散策するには面白い町。
靖国神社が近いから、TLNの授業中には右翼の街宣車が最大音量で
がなりながら走り去る町。
終戦記念日前後には、学校の近辺では色んな方達がメガホンでがなり、
その周りには機動隊が群がっていた。

ああ、しばらくはこの町に来れそうだな、とホテホテ歩いていたら、
中古のCD屋さんがあった。
玄関周りが思いっきり古いもんばっかりで、思わずはいる。

とにかく40年くらい前からちょっとこっち側?くらいな品揃えで
なんともいえん、たまらん。
松岡きっこのセクシーアイドル時代のがあったり、岡林信康全盛時代の
ライブ系とか、RCサクセションデビュー時代とか。
長距離トラック運ちゃん向けの喘ぎ声だけのロマンポルノ女優ものとか。
落語のCDなんかは、立川談志の30代後半のとか、小さん全盛期とか。
よくこんなんばっかし集めたなぁ。

ジャズコーナーを覗いたら、うう、マイルスデイビスの懐かしいのとか。
ああ。。。。キースジャレットのケルンコンサートがあった。。。。

引っ越しの繰り返しで無くしちゃったレコード。
高校時代から20代後半まで聞き続けたレコードが、あ、そっか、今や
アマゾンとかでもCDであっさり手に入るんだよね。。

思わず買いました。
握りしめちゃいました。
当分、毎晩聞き続けると思います


おおっ、落ちた

2008年06月05日 | 思い出世界
ふと東京レストランガイドを見たら、あらま、
東南アジア料理部門2位に落ちてる。

4~5年前に1位から落ちたときは、その後の落ち方もすばやくて、
けっこうショックだったりした。
でも、もうなにも感じないなぁ~

感じ方は人それぞれですもんねぇ。

車椅子の世界

2007年05月06日 | 思い出世界
カミさんがタイで足を折って帰ってきたので、車椅子を借りた。

車椅子に乗った人たちの視点、世界が少しわかった。

電車に乗るとき、改札で介護を頼むと、乗車するときにホームと電車の間に
板を置いて、スムーズに乗れるようにしてくれ、下車駅に連絡して渡し板を
用意させてくれる。

不便な駅もあるけれども、大体の駅にはたどり着けるし、なんとかエレベーターを
使って移動していける。

車椅子に乗っていることで、ディズニーランドでは随分と優待してくれて、
良いこともあるな、と思うし、ディズニーランドの基本的なサービスに対する
凄さというか、底力を知ることになった。

八景島シーパラダイスでも、花火は優先席に案内してくれたりした。
車椅子に乗っていると、ちょっとの段差でも乗り越える事が出来ない事もある。
ちょっとの段差で、転倒もする。

大変なことなんだ、と改めて知る。
半数くらいの人たちが、遠慮してくれたり、場所を譲ってくれたりする。
半数くらいの人たちが、完全に無視する。

「良いこともあれば、悪いこともあるね。」

かみさんの言葉は重かった。

娘が帰りますが

2007年05月04日 | 思い出世界
そろそろ娘がタイに戻る日が近づいてきた。

なかなかうるさくて邪魔で、うっとうしくて、こ憎らしくて、
で、可愛い。

自宅に一人で置いておけないので、仕方なく店に連れてきて
メシを食わせる。
当然、動き回って邪魔をする。
しかしまぁ、思っていたよりも素直である。

頼みもしないのに、テーブルを片付けたり拭いたりしようとする。
ほとんど邪魔だが・・

今日、ミャンマー人女性の面接をした。

彼女いわく、

「旦那さんは日本人で、子供ができたけども日本で育てる気にはならないです。
 英語を教える塾とかもミャンマーの方がレベルが高くて安いし、
 周りの子供を見ていると、家族を大事にしない冷たい子供が出来上がりそう。
 だからミャンマーで育てていますよ。
 いじめも心配だし。
 親や兄弟を大事にしない子にしたくないし。」

考え込んでしまった・・


ああ、知床旅情

2005年08月05日 | 思い出世界
1987年6月28日

また,いきなり昔のバイクツーリングの話です・・(^_^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝,8時に起きて,のんびりと身支度した。
知床横断道路を通ってウトロに向かう日だ。
北海道に入った時から,知床がこの旅のピークなんだろうな,と
思っていた。
なんといっても,当時,ヒグマの生息数はこの地域だけでも3000頭!!
秘境だらけの地域だと聞いていたから。

しかし寒いなぁ。
もう6月も終わりなのに,ダウンジャケットと防寒ズボンを
着込む。

知床横断道路は冬季は5カ月にわたって封鎖される。
あまりの地吹雪の凄さ,低温,降雪量の多さで危険な為だ。
つまり冬季は知床の羅臼側からウトロ側に行くことはできない。

羅臼の街から出ると即,横断道路がスタートする。
左側に羅臼温泉の看板。
無料温泉としては,凄く人気が高い。
でもまだ走り出したばかりだし,通り過ぎた。

道路は快適そのもの。
綺麗に舗装されて,道幅も十分にある。
タイヤもよくグリップするし,コーナーも高速・中速コーナーが
バランス良くあって,楽しい。

横断道路の真ん中あたりを過ぎたあたりで,なんだか暑くなってきた。
バイクを止めて,ダウンジャケットと防寒ズボンを脱ぐ。
そしてまた走り出した。
この気温変化は半端じゃないなぁ。
一気に20度くらい変わった感じだ。

ウトロの海が近づいてきたあたりで,右折する。
岩尾別ユースはすぐにわかった。
流石にまだ部屋には入れないから,荷物を置かせてもらった。
ついでにこのあたりの見所を教えてもらえませんか?というと,

「今晩,ゆっくりみなさんにお話しするから,今日はこの先の
 カムイワッカの滝か,ウトロ側に戻る方向に行った乙女の涙と
 男の涙あたりが良いと思うよ。」

と,アイヌの人っぽい髭のおっさんが教えてくれた。
乙女の涙?男の涙?
滝の名前らしい。いいネーミングだなぁ。
たぶん頭の切れる地元のリーダーが,観光客狙いで後から
名付けたのではなかろうか。

とりあえずカムイワッカの滝にいく,というと,その場にいた
バイク旅行者二人も一緒に行くという。
一人は京都から来たカワサキFX400 のお兄さん。
もう一人は埼玉からきたホンダCB400F のお兄さん。

岩尾別から知床半島の先端に向かって10キロほど
走ると,カムイワッカの滝があった。
車が沢山止まっていて,滝の上を眺めると人がいっぱい水着で
沢登りしている。

ここは当時,週刊誌などで紹介され始めた露天温泉で,なにしろ
岩の上を沢登りして,上部に数カ所あるお湯だまりに入浴する。

水着など持ってないので,タオルを腰に巻いて入る覚悟をきめ,
沢登りを始めた。
沢の水にじゃぶんと足を踏み込むと,あらま,生あたたかい。
で,皮膚にビリビリとかゆみと刺激を感じる。
そう,ここの温泉は超酸性。
火山地帯でもろにきついお湯なのだ。

もう,ほんとに暑い。
Tシャツに薄いズボンを膝までたくし上げて登ってると,
汗が猛烈に出てくる。日差しも夏の光線だ。
さっきまでの羅臼側の寒さは一体なんだったんだろう。
峠を越えただけで別の世界になってしまった。

100メートルほど登ると,10メートル四方くらいのお湯だまりが
あった。
そこに,沢山の女性が水着でキャアキャア言いながら入っている。

京都のFX400 君が言った。
「なんか,自然発生的な女湯ってやつですかねぇ。」

・・すると,この上の野郎ばっかしのお湯だまりが男湯かな。

その「女湯」からまたしばらく登ると,一回り小さい「野郎湯」が
あった。
各自,あたふたと服を脱いで素っ裸。
手ぬぐい一丁腰にまいて,おそるおそる入ってみる。
なにしろ,すねの蚊に食われたところが,酸性湯でびりびりしてる
くらいだ。ちょっと恐い。

入ってびっくり。
足がつかない!!
ものすごく深いので,みなさんお湯だまりのへりにつかまって
入っている。

うわぁ,何だか全身が消毒されてるみたいな感じだ。
しかしびりびり感はすぐに慣れて消え,凄く気持ちいい。
なにしろまわりは知床の大自然のまっただ中。
トイレも着替えする小屋さえない。
トイレは周りの原生林の中に入ってすます。

「おお~,なんだか凄いところやな! よしゃ,はいろか!」

なんだか声の大きい変なやつが来た。
見ると,背中に見事な入れ墨。
あら,ヤクザ屋さんですね(^_^)

ヤクザ屋さんの出現に,みんなびっくりして視線を合わせないように
している。
急にみんな喋らなくなった。

ヤクザ屋さん,威勢良く空いている湯船のど真ん中に飛び込んだ!
(足がつかないんだから,真ん中は空いてるよね。)

どぼーん・・・・ブクブクブク・・

そう,あたしは数えてました。
1秒・・2秒・・3秒・・
「ブワァ~ッ,ゲホォッ,グヘホッ,なんじゃこりゃぁぁぁぁ~!!」
松田の勇ちゃんか,あんたは(^_^)

おかげでみんな笑いをこらえるのに必死。
ヤクザ屋さんは,なんだかその後,何も喋らずに
おとなしく入浴してました,とさ。
チャンチャン。






和琴から羅臼へ

2005年06月28日 | 思い出世界
1987年6月27日

朝えらく寒くて目が覚めた。
起きると,頭が痛い。
しっかりと二日酔いをしている。
掘ったて小屋の中には野郎が三人,折り重なって同じ毛布を
使って寝ていた。

「わぁぁ・・飲み過ぎたっす。」

・・レストハウスの仕込みとか,手伝わなくていいの?

「うう・・そうっすね。いかねば。」

昨日は貧乏ライダー君,関西ライダー君としたたかに
安焼酎を飲んだ。
酔っぱらうまではくらーい顔をしていた貧乏ライダー君も,
酔ってからは元気いっぱい。
レストハウスのご主人は優しいし,まぁなんとかなるであろう。

とりあえず今日は知床に泊まろう。
掘ったて小屋の前で,二人に別れを告げて,エンジンをかける。

さぁてね,どう行くかな。
一度標津の海側に出ないと,羅臼には行けないようだ。
標津に戻ることにする。
とにかく車の流れは速い。

でも交通量がほとんど無いに等しいので,安心してとばせる。
だけど寒いわぁ!
6月末なのに、半端な寒さではない。
昨日の夜,テレビで北海道の道北,道東,道央,道南の
天気予報をやっていた。

気温が道南の函館では32度。晴天。
道東,道北は最高気温で16度。曇り時々雨。
ずっとこんな感じだ。
同じ北海道でももの凄く違う。
函館あたりではクーラー使ってるのに,知床あたりまでくると
ストーブを焚いている。北海道は広い。

「知床へいくぅ?キャンプはやめとけよ。あそこはクマの巣だぁ。」

和琴レストハウスのご主人が忠告してくれた。
突っ張る気持ちはないよ。 素直にユースに泊まりますよぉ。
ヒグマの前足パンチ,恐いもん。
クマも人間が恐いから襲うんだそうだけど。

羅臼町まで来るが,あまりの寒さに持っていた防寒具を全部着込む。
それでも寒くて,合羽も着る。
羅臼の街のイメージは灰色だった。
何しろ,街が寂れた雰囲気で暗い。
同じ知床でもウトロ側は暖かくて明るい雰囲気なのだそうだ。

羅臼町をつっきって,そのまま知床半島を道路が切れるまで走ってみた。
先端までははるかに及ばず、道路は消滅。
突き当たるあたりに,名物のトド肉を食わせてくれる高砂食堂がある。
主が猟銃でしとめて,それを食わせてくれるのだそうで。

トドねぇ・・あまり食いたいとも思わないが。
美味しいのかなぁ。

その近くの海岸の岩礁地に,天然温泉がある。
しきりも看板もない。
ただ,潮だまりに温泉がわき,物好きな温泉好きが勝手に入る。
道路からは丸みえだぞ。
うう,なにやら秘境っぽくなってきた。

羅臼町に戻り,羅臼ユースホステルに泊まる。
ここ,相泊から知床岬までは道がない。海っぺりはがけが続き,
内陸に入れば完全に原生林で山が直接海へなだれ込む感じで,
踏み分け道すらない。

夕食後,ユースの旅人ノートや知床の有志で作ったオリジナルの
冒険地図を眺めてみた。
メインは相泊から知床岬まで海に出たり,内陸に踏み分けたりして
二泊三日から三泊四日でウトロ側に抜けるか,相泊に戻るか。
いや,とんでもないコースだ。

ノートを読むと,途中で岩場にキャンプしていたら,テントの
上に蝦夷鹿が落ちてきてテントがダメになってしまった,とか。
自分が寝ている上に鹿が落ちてたら、即死だよね。400キロくらい
の重さはあるだろうし。

磯場に降りようとしたらヒグマが数頭いて,立ち往生して,
結局前進する事が出来なくなって相泊に戻った,とか。

岩場で寝たらでかいダニにやられまくって痕が消えない,とか。

岩場から落ちて骨折して,救援隊に助けてもらった,とか。

だめ~。これは俺には出来ない。単独行だし。
しかもそこまでのキャンプ用具も持っていない。
素直に道路を走ることにする。

「お客さん,明日は知床岬にいくの?」

ユースのおばさんが聞いてきた。

・・そうだね,軟弱な一般人ですから・・こんなハードなのは無理ですよ。
 知床横断道路を走って,ウトロ側に近い岩尾別ユースに泊まります。

「何を言ってるの,若いのに。岬まで行くなら,おにぎり作ってあげるのに。
 ウトロなんかなんも面白くないっしょ。明日も羅臼にいなさいよ。」

・・うーん,そう言われてもねぇ。

後でウトロの町に行ってわかったのだが,同じ知床半島でも羅臼側と
ウトロ側は仲がとても良くないのだそうだ。
昔からの色々な事があるのだろうなぁ。





妄想シリーズ

2005年06月26日 | 思い出世界
2005年6月26日

数年前のパソ通から引用、妄想シリーズ(^_^)
手抜きするな!!と怒られるかも。
でも,なかなか我ながら面白かったので,
コピベしてみませう。

これは,パソ通末期の、あと1カ月でパソ通のその部屋が
閉鎖,という時にみんなで最後の勝手な盛り上がりを
していた時のものです。

削除されてもいいやとみんなやけくそだったので,
少々暴走していた。
でも,今の2チャンネルなど匿名性の強い板はこれよりも
はるかにひどいことになってるものねぇ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

##さん,こんばんは。伊藤 盛です。

妄想;;;
大森のタイ料理店を畳んでタイに行く。
カミサンとしばらくミャンマー旅行なんかに行っちゃったりする。

で,ミャンマーの片田舎でとても可愛いガイドさんと知り合う。
心の優しい人で,恋に落ちる。
で,カミサンとその娘もとても気が合い,その娘を私の愛人にしたら
どうか,と私にもちかける。
私,マンモスハッピー(死語)

ヤンゴンに戻って,しばらくゆっくりした後,働くことにする。
ミャンマーで水商売(アルカリイオン水)を精製して売る商売を始める。
軍事政権のお偉いさんとはつかず離れずで利用しあう。

おりから,ヤンゴンの水質不安が世に出回り,それなりに儲かる。
そのうちにNGO活動でミャンマーに来ていたタイ系アメリカ人の娘と
知り合い,恋に落ちる。

当初、すったもんだするけど、結局カミサンと愛人,それを認める。
同じ家で三人の女と暮らすことになる。

で,飽きる。
一人になりたくなる。

会社の経営権も含めて持っていた金,全部慰謝料で三人に渡す。
その足で,友人に紹介して貰った偉いお坊さんを訪ねて,
アラカン(ミャンマーの地方。ど田舎)へ。

着いたその日に出家。
自分の中に愛など存在しないことを知る。
自分だけを愛していることを知る。
現在修行中。
ラーブラーブラーブ~

・・・スケールちっちゃーいなー,俺の妄想^_^;・・・

和琴レストハウスの貧乏ライダー2

2005年06月16日 | 思い出世界
1987年6月26日

心臓をバクバクいわせながら,本日の林道走りは終わった。
そうね・・鹿も移動するのに楽な道を歩きたいのかも。
森の中は鹿にも歩きにくいんであろう。

でも,たまたまぶつからなかっただけで,運の悪い鹿は
ずいぶん車にはねられてるだろうなぁ。
もし,バイクでまともにぶつかっていたら,バイクの運転者も
無事に済むはずがない。
ヒグマだったら?
ぶつかって致命傷を与えられなかったら,手負いで凶暴になって
前足でペーンって殴られて頭が吹っ飛びそう。

そろそろ6時になる。
和琴レストハウスに戻って,夕飯をいただこう。
宿に戻り,湖畔の食堂に行くと例の貧乏ライダー君が食堂の
おねーさんに指図されながらノロノロと動いていた。
宿の人もこんな余分な働き手はいらないだろうに,優しいから
置いてあげてる状態なんだろうな。

ジンギスカンがイヤってくらいの量が出た。
北海道の人はジンギが本当に好きらしい。
食べた後,掘ったて小屋に戻ると別のXR250乗りの関西人が
同部屋になっていた。
二人で付近の林道の話をあれこれ喋っていると,なんだかくらーい顔を
して貧乏ライダー君が戻ってきた。

「ひどいんです。帯広ユースに電話したら,もうスタッフが補充されてて
 俺はいらない,って言われた・・。
 どうしよう。」

・・約束してたのに?可哀想に。
 しかしそんな片道のガソリン代と食費だけで北海道にくるなよ。
 親に電話して送金してもらうしかないな。

「そうですねぇ。それだけはしたくなかったんだけど,仕方ないですね。
 怒鳴られるだろうなぁ。」

・・よーし,じゃあ今日はおごるから酒のもうか。
 ビンボー君,これで焼酎とか買ってきて。安いやつねー。

ビンボー君が買ってきてくれた酒を,氷魚の干物をつまみにかじりながら
三人で飲み始めた。
初めは元気が無かったビンボー君も,酔っぱらったら喋る,喋る。

「いやぁ~,北海道にバイクで来た奴で一番貧乏なのは俺かなぁ。
 どう?」

「当然やな。(XR250氏)
 俺も色々旅したけど,こんな無茶な奴,はじめてみたわ。
 金がなくなるまで何をしとったんや。」

・・テント生活しながらツーリングしてる奴にも会ったけど,
 帯広に電話する金もないなんて,信じられないなぁ。

「いやぁ~,そうだよねぇ。
 北海道にくれば,なんとかなると思ったんだけど,なんとも
 ならなかったなぁ。
 でも,優しい人も多いし,ここ良いところでよねん・・」

呂律が回らなくなっているビンボー君,まぁ無事に家に帰ってくれい。




和琴レストハウスの貧乏ライダー

2005年06月15日 | 思い出世界
1987年6月26日

朝7時,嵐の中を苦労してテントをたたみ,開陽台を
脱出した。
まったく一睡も出来ず。
雨は小雨だけど,風は以前として凄い。

しかし,開陽台を少し離れたら風はぴたりと止んだ。
あらら・・なんだか台風の目のような場所なんだな。

気を取り直して,摩周湖に向かう。
霧の摩周湖。 観光バスに乗ると,バスガイドさんの
決まり文句が,

「こちらは霧が深くて,滅多に湖を見ることが出来ないことで
 有名な摩周湖でございます。
 霧が晴れるのは年に数週間しかありません。
 晴れても霧がかかるので,今日,湖を見ることが出来たのは,
 それは皆様方の行いが日頃とても素晴らしかったからですね。」

てなわけらしい。
本日はお日柄も悪く,朝から雨だったのに,展望台でもないところから
いきなり湖を見ることが出来た俺は,よほど行いが良かったのか?(^_^)
霧がかかっていても,しばらく待つと見ることが出来る。
霧の時間帯があるらしくて,観光バスは到着時間をその時間帯から
出来るだけ外すそうである。

裏摩周から湖に降りることが出来るらしいけど,今日はそんな元気はない。
完徹しちゃったし・・
摩周湖の水はとても透明度が高いらしい。
そのまま飲める,と人はいうが・・
まぁ東京から今掘や植木が来たら一緒に行くことにしよう。

屈斜路湖についた。
温泉で有名だ。
砂風呂もある。湖畔の砂を掘ると,温泉が出てくるのだそうだ。

まだ昼すぎである。
和琴レストハウス・・という看板が見えた。
知り合ったライダーたちに聞いた,1000円で泊まれる宿である。

食堂経営者がやっているらしい。
店の裏が湖畔で,湖畔沿いに掘ったて小屋がいくつか並んでいる。
一つの小屋に案内されて,入ると先客の若者が寝ている。

「いやあ,バイクで北海道に来て,ここで完全に金がなくなっちゃった。
 実は帯広YHの人に,明日から仕事を頼んでるんです。
 ユース・スタッフね。
 帯広YHに泊まった時に誘ってくれたんで・・
 今日,電話するつもりなんだけど・・」

驚いたことに,電話代すらないという。
良い度胸してるわ,まったく。

・・ここの宿代くらいはあるの?

「それがないんですよ。
 でもここのご主人が優しい人で,夕飯の準備とか手伝って
 くれればただでいいって。
 いやぁー,ここは北海道で一番良いところだなぁ!!」

ここは1000円で泊まれて,夕食がジンギスカン定食(ボリュームたっぷり),
連泊すると毛ガニを付けてくれるし,歩いて3分のところに無料露天風呂の
和琴温泉がある。
こりゃ,居心地がいいわぁ。

まだ日が高いし,荷物を置かせてもらって,このあたりの林道を走りに行くことに
した。
藻琴林道を走りにいく。
宿から30分もかからない。

林道の登り口の巨木が,綺麗な枝葉を風になびかせて,ついでに
雨の残り,葉についた水滴をザァァッとプレゼントしてくれた。
びっくりしたが,少し晴れて木漏れ日が美しい。
少し覗いた青空が葉の間から透けて見える。

あまりに綺麗なので,急いでカメラを取り出し,三脚をたてて
写してみたけど・・あーあ,こんな時に一眼レフがあったらなぁ。
でも重いしでかいし,高いし。

林道はあまり飛ばさないでお気楽に流して走り,写真を撮ってまわった。
綺麗な森だ。
屈斜路湖にいったん戻って,まだ時間があるので今度は沼湯林道を
走ってみる。
これはけっこう面白かった。

ダートが始まってすぐ,森が凄く深くなって,周りに日が射さない。
暗い。とても暗い。
でもワインディング自体は面白くて,地面は固くしまった土。
調子に乗ってとばし始める。

忘れもしない。絶対に忘れられない。かなりのってきて,
ブラインドの右コーナー。
暗い林道のコーナー出口に,でかい動物!!

あっ!!・・
車体はまだバンクしている。
急ブレーキをかければ大転倒?? しかしかけなければ
でかいアレに激突?
思いっきりフルブレーキをかけた・・後はどう体勢を立て直したか
覚えていないが転倒せずに,そのアレに急接近していく!! ア~レ~まー!

でかい角を持った蝦夷鹿だった!
目をまんまるにして,びっくりして硬直したのか動かない。
もう,はっきりと,手を伸ばせば触れるくらいの距離までタイヤロックしながら接近,
やっとバイクが止まる。
1秒・・2秒・・
我に返った鹿が身をひるがえして森の中に飛び込んで行った。
「わぁぁぁぁ~!!」
鹿が消えた森に,思いきり怒鳴った。

そうさ,一瞬、ヒグマだと思ったさ。
心臓が飛び出すかと思った。








開陽台の嵐

2005年06月14日 | 思い出世界
1987年6月25日

ピレリにタイヤを換えたあと,試しにわざとバンク角度を深くして
コーナーを回ってみた。
すごくアスファルトに食いつく。
明らかにオフよりもロード側に振ったトレールタイヤだ。
でも北海道の林道ツーリングには合っているかもしれない。

開陽台についた。
キャンプする人間が多く,テントがたくさんある。
水場もあるし,近くに温泉がある,と知り合った人から情報を
もらっている。
長くそこに住んでいる若者達が多いらしい。

しかし,地元の人たちから見ればどうなんだろうねぇ。
汚いカッコした若者が長期間あたりをうろうろするわけで・・
でも当時の北海道はそういう若者を歓迎する風潮があった。
ど田舎で人も近所にほとんど住んでいないし,
とにかく人は人口密度がうすいと優しく寛大になるようである。

バイクを止めて,チェーンを少し引く。
そんなに無理な走りはしてないので,さほど伸びてないけど
気持ち引くだけでアクセルによく反応するような・・気がする^_^;
今夜の寝床の確保をせねばなるまい。

一人用テントを張った。
今回の旅で初めてテントを張る。
寝るだけのスペースしかないけど,十分だ。
隣にカワサキZ400FX の兄ちゃんがやはり一人用テントを張った。
Z兄ちゃん,

「いやあ,近場のお店でラーメンと野菜を買ったんですよ。
 そしたらこれ,くれました。」

・・わぁ,毛ガニじゃん。
 流石は北海道の田舎だねぇ。

「信じられないオマケですよねぇ。うれしー。
 今日はインスタントラーメンに毛ガニ入れて,カニラーメン食べようっと。」

実は毛ガニじゃないけど,彼が喜んでいるので言わなかった。
小さい,地元ではクリガニとか呼ばれているカニだ。
地元のスーパーで見かけたけど一山何百円,で売られていた。
味はそれなりにとても美味しいけど,小さいから食べるのがめんどくさい。

「ボイルしてスープとろうっと。3匹あるから一緒に食べませんか?」

・・ごめーん,もうパンを食べちゃったんだ。有り難うね。

サッポロ塩ラーメンにカニを入れて,彼は嬉しそうに食べていた。
ちゃんとカニをボイルしてスープを取って,それに麺を入れている。
マメな男だ。
悪いけど,小さいカニは食べるのがほんとにめんどくさい。
この旅で,魚介類に関しては贅沢になっちまった。

暗くなったので、缶ビールを一本飲んで寝た。
外は強い風が吹き始めた。
少しうとうと・・とすると,ごぉぉーっとものすごい風でテントがゆがむ。
ごぉぉー,ごぉぉー,右から吹いたり左から吹いたり,いやまぁ,なんとも
ものすごい。

パラパラパラ~と嫌な音がして,テントに雨が当たり始めた。
うわぁ,これは大変。
一応うすっぺらいフライをテントの上にかぶせてあるけど,なんの意味もない
かもしれない。
これは眠れるはずがないなぁ。
開陽台の強風をなめてはいけない。

朝まで風と雨は続いて,びしょぬれの夜明けとなるのでありました・・





野付半島のトドワラ

2005年06月07日 | 思い出世界
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1987年6月25日

早朝,トイレに行きたくなって目が覚めた。
民宿のの部屋を出て,共同トイレで用を足していると,
トイレの窓から霧にけむる野付半島が見える。

霧のなかで,何か動いている。
ああ・・鶴みたい。ていうか,どう見ても鶴だなぁ。
ゆっくりと一歩・・また一歩・・下を見ながら時々嘴を湿地の足下あたりに
突き刺す。
遠くて,魚かエビかわからないけど,捕まえた生き物をせわしなく飲み込む。
そしてまた、ゆっくりと歩き始める。
いつのまにか,鶴のゆっくりとした歩き方に取り込まれてしまった。
見とれている。

鳥はきれいだなぁ。
鶴は優雅だ。
以前,ハンググライダーをマスターしたくて,富士の練習場に毎週,車で
通ったことがある。
小さな丘から滑空するだけでも,ぞくぞくするくらい気持ちよかった。
ハンググライダーを持ち上げて、斜面を二三歩走り出すだけで、
ふわり、と身体がうきあがる・・
あれぇ~,今俺,飛んでるよ・・

時間がとれなくなって,やめてしまったけど,空を飛ぶって気持ちよかった。
鳥ってすごい。自力で飛べるんだからねぇ。

野付半島の先端部分は,トドワラの枯れ木で有名だ。
もうすぐ全て枯れて,無くなってしまうそうなので,今のウチに見て
おくことにする。

民宿は半島の付け根にある。
そこから野付半島トドワラ遊歩道の駐車場まではほんとに近い。

走り始めると,あらあ,この道って・・半島といっても,ものすごく
細くて,道路の両側にほとんど陸地がない。
こりゃ面白いねぇ。アメリカのキーウエストみたいだな。
ガァァっとでかいカラスがバイクの鼻先をかすめて飛んだ。
降り出しそうな曇り空。
なんとなく恐山を思い出す雰囲気。

トドワラのある湿地帯が始まるあたりに駐車場がある。
そこにバイクを止めて歩くことにした。
ピィピィピィピィ・・チチチチチジジィッって字にするのが大変困難な
鳴き声でヒバリのような鳥が急降下と上昇を繰り返す。

「あれは縄張りを主張してんのさ。忙しいこっちゃ。
 大体直径500メートルくらいが縄張りらしいよ。
 自分の飯を探す時間よりずっとああしてる時間の方が長い。
 変な奴だろ?」

ぼぉっと鳥の動きを眺めていた俺に,敷地内の管理の仕事をしてるおっさんが
話しかける。

「この先は道をはずれないとトドワラの情緒のある風景は見えないよ。
 靴を濡らして歩いちゃう方が面白いぞ。」

・・ありがと,おじさん。
 そうしますよ。

歩けるところまで歩いてみよう。
砂利を敷いた道を外れて,芦のような草が枯れて倒れて,
絨毯の様になり,それが海水でひたひたになっている海岸を歩いていく。
びちゃびちゃと踏みしめて歩いて行く。
もの凄い遠浅の様だ。相当な所まで歩いていけそうである。

下をよく見ると,小さな巻き貝が無数にいる。
なんというか,ほとんどびっしりといる。
ここの海が豊かだ,ということなのかな。
ここの名物は北海シマエビだそうだ。
車エビより大きくて,味は甘えびみたいに甘い。
鶴も食事に事欠かないのだろう。

トドワラが点在している。
もう死にかけているトドワラ,もう死んで倒れようとしているトドワラ。
白樺のような,幽霊のような木だ。
そういえば,地図で見ると野付半島そのものが幽霊がうらめしや~と
出てくる時の形にそっくり。なんじゃこりゃ。

歩いている陸地は冗談の様に細く,両側は海。海が荒れれば水浸しに
なってしまうのだろうな。
海抜ははてしなくゼロメートルに近い。

冷たい潮風がびょうびょうと吹きつけてくる。
曇り空の中,遠くのトドワラが続く半島(と言えるのか?この細さで)の
先を眺めていると,なんだか賽の河原を連想した。
あの世とこの世の境目みたいで,つくづく寂しく不安になる。
珍しい光景だし,面白いけど・・今度くるときには・・ツレが要るなぁ・・

歩ける先端まで行き,何もない海を眺めた。
右手をみると陸地が霞んで見える。
いずれこのへんてこな半島も,海に浸食されて消えてしまうのだろうか・・

野付半島にバイバイして,ドルンっとエンジンをかける。
このまま少しだけ北上して,国道272号を左折,開陽台に向かうことにした。
今日は開陽台にテントを張るつもり。
ものすごく見晴らしが良い,と行き会うライダー達が勧めてくれたから。
(・・実は痛い目をみるのだけど。)

途中にタイヤの安売りをしているバイク屋を見つけて,値段を聞いてみた。
「オフロード車なら,今日はお得なのがあるよ。 ピレリの前後で12000円で
 いいや。自分で換えてね?」

・・んー,出来ると思うけど、フロントフォークの調整とかも見て欲しいから
 お願いします。

少し値段を交渉して,まとめて21,400円也。
けっこう大きい出費だけど,ロードでリアが滑り始める前に換えておきたい。
走行距離6600キロ。このうち東京近辺での慣らし運転を1500キロほどしてるから
ここまで5100キロ走ったことになる。
・・まだまだ走るぞ!