名だたるプラントハンターで知られた、英国人フォーチュンのまとめた書物を読む。学識と経験に裏打ちされた知識は驚嘆に値する。しかもなおかつ、日本人、日本文化へのとらえかたの秀抜さに、である。
『幕末日本探訪記(Yedo and Peking,1863)ロバート・フォーチュン 三宅馨訳 講談社学術文庫』
ここで、ついでに特に指摘したいのは、学術的なチェックは無論であるが、この日本語への翻訳の文がとびきり出来がいいことだ。訳者の学生時代の勉学よりも、薬品会社勤務の実学で鍛えられた能力の賜物の故か。
フォーチュンが日本に来たのは1860年(万延元年)10月、明治維新から8年も前のこと、開国した直後、桜田門外の変が3月にあった年である。
このなかで、園芸技術について、とてもよく分かりやすくまとめた短い文章を、ブログ上で勝手に抜き書きする。
他人からの批評でわたし自身の深読みを否定する気にはならないが、ここには植木鉢の栽培管理、植物の繁殖、着果、それに今はやりの屋上緑化の原理さえ触れられているように感じる。
≪第七章 染井村の壮観-植物さがし
植物生理学の原理
盆栽をつくる技術は、一般にシナや日本で行なわれているように、実際非常に簡単で平易に了解できた。それは植物生理学の最も普遍的な原則の一つが基礎になっている。樹液の流れを制限したり、阻害する癖をつけると、ある程度木や葉の形成をさまたげる。接ぎ木をしたり、根を狭い所で押さえつけたり、水をやらずにいたり、枝を曲げるなど、その他多くの方法は、すべて同じ原理である。日本人はこの原理を十分会得している。そして自然に仕立てるために、その原理を利用して、彼らの特殊な盆栽づくりに役立てている。彼らは最小の植物から、最小の種子を選別すると言っているが、それは当然なことだと思う。私はシナの植木屋が、この盆栽づくりには、彼らの庭からしばしば匐枝(ふくし)を選別しているのを見たが、普通はいじけた変種が選ばれた。特に接ぎ木は、その側枝に対生するか、幹の両側にある斉整のものがよく、片側だけの枝は、シナ人でも、日本人の目から見ても価値がないのである。主要な幹はたいていの場合、Z字形にねじ曲げて、樹液の流れを妨げると同時に、幹の側枝でもっと伸ばしたいものを助長する。盆栽の鉢は小さく浅いため、土は植物を養うのに不十分で、水も本当に植物が生きるのに必要以上には与えない。新しい枝が伸び始めると縛りつけたり、種々の方法で曲げられる。伸びすぎる枝の先や、成長のはげしい枝は、あらまし剪定されてしまう。ともかく新芽の持つ生長力の程度に応じて、伸長がはばまれるのであった。ちょっとの間、自然は常にこの処置に対して抵抗するが、やがて人間の力にほとんど疲れはてると見えて、平穏に盆栽づくりの力に屈服する。しかし、盆栽づくりは絶えず注意しなければならない。植木鉢から根が抜け出して地中に入り込んだり、たまたま水分をかけてやったのを吸収したり、しばらく新芽を放置して、伸びるにまかせておくと、それまで抑えらていた植物の生長力が回復して、東洋の最も美しい標本としての盆栽は破滅する。不思議なことには、植物は何かの原因で発育不十分になったり、不健全になると、ほとんど貴重な花や実をつける。こうして繁殖したり、種族の保全に努める。この原則は盆栽の木にとっては、非常に大切なことである。花木は、たとえばモモやウメのように、私が記述した処理を施すと、沢山の花を咲かせる。植物はこの方法で精力を費やして、生育するさかんな能力をほとんどなくしてしまうものである。≫
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