韓国国内ではベストセラーになったと聞いて、予約しておいた『反日種族主義』編著・李栄薫 文藝春秋 という本がやっと日本語訳されて出版された。amazonから11/15日に宅配便で、早速、届く。
意外にも読みやすくて、これでいいのかどうか、なんだかこちらの予測していた内容になっている。わたしは、韓国や北朝鮮については以前から関心があり書物を集めて、数年間読み続けてきた。妙にその韓国の国情や韓国民族の特徴に興味を持ったもので、何故に国民はあんなに大げさで、感情の起伏が激しいのだろう、それから色々な観念や作り話を持ち出しそれを繰り返していって事実として既定のものにする国民性がある。それらは国際関係間で特に顕著になる。儒教でいう正義が一番重要であり善悪の判断が一番でありそれ以外の事柄はないと、生活上必要だと思われるグレイでニュートラルな選択肢はない。そして、自分たちだけが被害を受けたと思い込む。その最大なものは恨(ハン)という意識という形になって残る。物事の認識と行動は事大主義的で、激しい討論はあるが対話の基盤がない国と思う。この気質がかたくななのである。世間の通り相場では大体のところ、オープンなところはいいが討論は大きくて巧みな声と身勝手なロジックで勝つのだ。
なぜ、その行動パターンが変てこりんなのだろう。韓国国内で通用することは、日本にも通用するとどうして簡単に思えるのだろう。彼らはあまりにそのことに無頓着なのである。はっきり言って噓をついたという認識すらもない。どうやら社会全体のすべての物事は戦いと駆け引きだけ、それに勝てさえすればいい、と思っているらしい。だから、悪い一面で恩を仇で返すとか、手のひら返しということになり功利的にしか判断できないものらしい。したがって、必要もないから相手の心情を推し量ることがない。
韓国はどうやら、社会全体が生存競争の激しい生きにくい国のようだ。個人主義的傾向がはなはだしい。今でも、朝鮮王朝時代からつづく社会の、両班、という身分制度が国民の深層意識のなかに居座っているらしいのだ。そして、その背景にあるのはシャーマニズムと風水・運気の判断する気風が残っており、そこには祈祷師がいて十分に職業として成り立っているらしい。
結論から申し上げると、日本にとって、韓国は着かず離れず距離を置いて付き合う国だ。韓国人の心情をおもんばかり良心的な行動や同情心で親切に対応すると誤った印象を与えるのだ。悪く言えば笠に着る場合があるのだ。韓国に対してわたしたちは言う、わが国内のことはほっといてくれ。ごく日常的に言えば、一般的にははた迷惑なご近所さんである。
イザベラ・バードの「朝鮮紀行」講談社学術文庫 について、明治時代中頃、同じ「日本奥地紀行」の時の日本と比べてよりも朝鮮に好意的な印象を与える。この本を並行して読んでいたが、旅先の社会はそれより遅れて日本統治時代になるが、シャーマニズムと宗教についてルポルタージュよろしく詳しい。韓国のこの社会的な背景は、多分現代でも変わらない。日本訪問の場合はアイヌ民族への文化人類学的な関心がのみが高くて女史にとってそれが主目的だろう。
「赤い韓国」産経新聞出版、呉善花氏と櫻井よしこさんとの座談集が以前から発売されている。この本でわたしはその呉善花の言い方を繰り返し再確認する。彼女は韓国の済州島出身、兵役経験がある。自身が苦くて悲しい色々な実体験を踏まえた同氏は、結果的に日本へ帰化した。変わった読み方だが、わたしにとって韓国人の感情の流れが理解不能に陥った場合は、彼女の発言内容を何度も読む。