うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

とんぼ返りで盛岡へ

2007年06月02日 07時49分48秒 | 地方・故郷・方言
先日の日曜日。
 今日はなんとか天気は良さそうだ。快晴の予感がする。
 地元の駅を特急しおさい2号 06:19で、東京駅は07:17着で東北新幹線ではやて25号 07:56 に乗り換える。あらかじめ指定席券は押さえてある。岩手県の盛岡駅着 10:40になる。一枚厚着をしてきたのだが、さすがにやや寒い。近くの ホテルの結婚式場(盛岡メトロポリタンホテルWING) に11:00頃に着く。

 結婚式は予定を10分近くおくれて15:40 に終了する。指定席が取れていなかったので急ぎ「みどりの窓口」に駆けつける。そこで係員に急かされ、出発のアナウンスを聞きながら盛岡駅始発のやまびこ62号 16:09 に乗り込み、空席を車両を移動しながら見つけてなんとかすわる。土産を買う時間もない。<冷麺>も<まるごとリンゴ>も<餅菓子>も買えずじまい。そう言えば、宮城県の<小牛田饅頭>も一ノ関の<胡麻摺り団子>も買わずじまい。
 東京駅には19:24 に到着 。やや余裕を持って乗り換えて、始発の特急しおさい13号 20:10にすわることができて、やっと21:09八街駅に帰り着いた。
 この日、所要12時間半の内、8時間は車中移動であった。これは先立つものと、JR東日本の‘大人の休日倶楽部’「一日乗り放題パス」の利用によるものである。
 なんだかわたしには、体そのものが無骨な棒になり単純に時間移動したような架空のもののような感じがする。この旅行では、帰郷時にかつてあった旅情と感慨は無縁なものになった。

 教会式のセレモニーでは、賛美歌斉唱とともに、牧師の東北訛りのイエス・キリストの旧約聖書の言葉の読み上げに内心は微苦笑であった。“うん、姪は目に涙を浮かべ本当に嬉しそうだ、心から良かったな、だって、普通は緊張気味で終始する筈だものとうなずく”、“しかしそうだな、こういうふうに時代はかわるのだな”、とも。
 つづいて、披露宴が始まり、会場は盛り上がっていく。地元が多い招待客たちのメッセージ・挨拶が進行し、ホテルの演出であろう地元、唄と太鼓からなる遠い郷愁を感じさせる「盛岡さんさ踊り」で宴の締めに近づく。

 そんな光景を見つつ思う。
 百年以上も前に戊辰戦争後の薩長の明治政府からは、「白河以北は、ひと山十文」と嘲りの言葉を言われたのだが、今でもみちのく、東北地方ではおとなしい人々が多い。わたしには昨年来、仕事上で経験している西日本の大阪の人間の腹蔵のない物言いと積極性とか、自分以外の人間は競争相手という福岡県人の徹底した負けず嫌いの多い個人主義には、索漠とした思いを感じさせたもの。人情味が皆無である。それは生存競争の激しさゆえか。この県は成功した有名人も多いが、殺伐とした事件、凶悪な殺人犯罪の発生も多い。
 以前、このブログの、4/10.12の『壬生義士伝の暗さ』、『ふるさとと自立』で触れているが、わたしはつくづくその土地の風土と県民性を感じる。岩手県人が他県の人達からしばしば言われている牧歌的な性質は、実にやむにやまれないところから来ている。ここ北東北(青森・秋田・岩手)は長い冬の寒さ、積雪地帯で土地が肥えている訳でもなく、その厳しい自然に耐える性格をつくってきた。人の往来の少なさ、人事の交遊の貧しさは他人に対してやさしくなる。それは争いを避ける温和な性格をつくるのだ。
 残念なことに、今回は性急で殺風景な道中ではあったがあらためてそんなことを思った。
      
コメント
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