雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

ブログ代筆サービスなどいかが?

2009年07月27日 | ウェブの雑談
最近、ブログのネタに困っている利用者のために、種々のネタ支援サービスが用意されているようだ。gooだけでなく、他社のブログサービスでも大概同様のサービスがある。記事が書きやすいように、ニュースと連動して直ぐにブログが書けるようになっていたりする。

しかし、ネタまで用意してもらわなければならないとは、あまりに創造性が低すぎやしませんかね? 何もアイデアが浮かんでこないのに、そこまでしてブログを更新しなければならない理由って、何なんでしょう? 結局、「今流行りのブログなるものをやっている」という、ステータスが欲しいんでしょうか? 昔、筆者が若かりし頃、冬はスキーかスノーボードをやってないと恥ずかしい、みたいな風潮がありましたけれども。それと同じようなもんですかね。

そう言えば、大学生のレポートや卒業論文の代筆とか、小学生の夏休みの宿題(自由研究や読書感想文)の代行などが、ビジネスとして立派に(?)成立しているという話を聞いたことがある。「一般の学生」あるいは「普通の小学生」であり続けるためなら、手段を選ばないということですか。やる気も能力もないのなら、それ相応の低レベルな創作物をやっつけ仕事でこしらえるか、いっそやめてしまえばいいのに。それでも「それなりのもの」を、何としても自作として発表しようとするのは、何やら強迫観念の様で、どこか病んでいるような気がする。

ネタなど何だっていいのに、「ちゃんと用意されたお墨付きのネタ」でないと安心できない理由は、日本人特有の「同調圧力」のせいだと筆者は見ている。つまり、「無難な内容にまとめないとイジメに遭う」という同調圧力ゆえに、突拍子もないことは徹底的に頭から排除してきたので、終いには思考停止に陥ってしまっているのである。無論、つまらな過ぎてもダメである。クラスの人気者になるには、「適度に」面白くなくてはならない。会社で一目置かれるためには、頭の固い上司や理解力の低い同僚にも十分理解できる範囲で「個性的」でなくてはならない。面白過ぎたり、個性的過ぎたりすると、イジメの格好のターゲットになってしまうのだ。

皆、元から創造性がなかったわけではない。ただ、幼少時から刷り込まれている「こんなことを言ったら、変なヤツだと思われるのでは……」という恐怖心に打ちのめされてしまったのだ。匿名ゆえに、自分を解放できるのがネットのいいところなのだが、それも活かされていない。あたかも突然首輪をはずされて、「さぁ、もう自由だよ! どこへでもお行き!」と言われても、どこへ行って良いかも分からず、途方にくれる飼い犬のような状態になってしまうのも、仕方のない話だ。今日も勝手知ったる電柱にオシッコをひっかけるぐらいしか、何も思いつかない。いや、行きつけの電柱があるならまだマシか。「ここにもちょうどいい電柱があるよ!」とネタを示してもらわないと、安心してオシッコもできないワンちゃん……。今さら野性を取り戻そうったって、もう無理な話ではある。

ブログ業者もネタ支援なんてセコイことをしてないで、いっそ本格的に「ブログ代筆サービス」を始めたらどうですかね。「年齢」「性別」「口調(文体)」「更新頻度」「テーマ」「記事の長さ」など、基本的な項目を決めておくだけで、後はゴーストライター(あるいはコンピューターの自動執筆プログラム)が無難な内容にまとめてくれるのである。ご本人はサボっても、定期的に更新してくれる。お気に入りの絵文字もバンバン使ってくれる。時々ちょっぴり面白い記事が出てくる。「ペット」をテーマに選ぶと、カワイイ動物マンガなんか出てきたりして。そうそう、オプション料金を払うと、気の利いたコメント&トラックバックも毎回ついてきますよ!…え? 既に、そういうサービスあるぞって…? こりゃまた失礼いたしましたw。


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