ご無沙汰してますー。
先月末、島を留守にしたまま仕事やら何やらバタバタ続き☆
バタバタは続いているのですが、今日は「記念すべき日」なので、ちょと書きます。
@鎌倉 での、おはなし。
。。。
知る人ぞ知る、鎌倉ホームヘルプ協会「ベルの会」の活動が、今日で全て終わった。
「ベルの会」とは「住み慣れた家で最後まで」の趣旨のもと、
高齢者向けの配食サービスと、ヘルパー事業を行っていた主婦たちの会だ。
もともとは、都庁にお勤めでいらした「た」さんが音頭取りをしたそうだが、
母や仲間たち、後に議員になる「こ」さんらが中心となり、1990年に発足。
「主婦が出来る事は美味しいご飯を作ること」
「週に一度でも心のこもった美味しいご飯を高齢者に届けよう」
と、鎌倉駅近くの教会の厨房を借りてボランティアでの配食を始めたのが始まりの始まり。
・・・と、なぜ母らに声が掛かったのかな?とずっと不思議に思っていたけど、
そう言えば、母らはその頃、いろんな市民運動に身を投じていたのだっけ。
多分、私が高校生頃からそのような行動をしていたので、市役所でも市内でも目立った存在だったのかもしれない。
なので白羽の矢が刺さったのかもしれないね。
さて、いざ「ベルの会」は立ち上がった訳だったが、教会で始められた配食サービス、最初は週1回30食だったらしい。
それでも、二年目には週二日各100食を超えるようになり、きちんとした栄養計算もなされるようになり2002年にはNPO法人化、
公的な団体として介護保険事業にも手を広げるようになる。
2001、2005年にはお弁当のレシピを本にまとめ、出版した。
法人化したことにより、各種助成で、出版、コピー機、お弁当箱などの購入に役立ったらしい。
以来、四半世紀以上に渡り、鎌倉の高齢者になくてはならない存在になる。
毎日ご飯は作るけれど、そんなに大勢の食事作りは初めてな主婦の集まり。
味付け盛り付け、メニュー作りに研鑽を積み、毎週作られるお弁当がこれ。
風呂敷をほどくと…
会報など主に広報を担当していた母の、手書きの献立表が必ず付く。
金八百円也。ほぼ原価。
おいしそうな松花堂だよねぇ(注:写真が赤いわピンぼけだわ de すいませんー;;;)
予め献立係が悩みに悩み組み立て予習したメニューは、当日朝九時頃から作り始められ、
出来上がったお弁当は、誰がどの家庭を回るのか当番を決め、自家用車で配られる。
各家庭を回り必ず「顔を見てお弁当を手渡す」と決められたやり方は、実際、利用者の見守りも兼ねていて、
お洒落をして待っていて下さる方や、三つ指をついて送って下さる方々が居たと聞く。
週に一度、又は二度、おいしい手作りのお弁当が届く。
午後三時頃、お弁当と共に、ひと言二言話を交せる顔見知りが訪れることが、独居の高齢者にとってどんなに楽しみだっただろうか。
独りで暮らしているのに慣れているお年寄りたちの生きる力を、いったいどのくらい励ましたろうか。
長い活動の中で、利用者の方から1000万円もの寄付が寄せられたこともあったと聞く。
遺産を全て役立てて欲しいと言う申し出もあったと聞く。
すべては心のカタチであったろうと思う。
毎回朝イチで包丁を研ぐ人、卵焼きが得意な人は卵焼き係、写真が生業だった人は出来上がったお弁当を写真に撮り、運転が得意な人は…
それぞれが自分の役割を決めて関わり続けてきた。
そうしてベルの会は回り続けて来たんだと思う。
そしてしかし、そんな素晴らしい活動を続けてきたベルの会は、残念なことに今日終わった。
より良い老後を迎えてもらおう、そんな想いと共に、自分たちの未来を見据え、自分の居場所を確保しつつ、
地域に根差した活動をと、願い、立ち上がったひとつの貴重なカタチは、立ち上げた本人たちが、その恩恵に与れぬまま閉じられる。
ベルの会が発足した頃の鎌倉市は、市民の要望を受け厨房設備を整えた給食センターを営繕してくれるなど、福祉先進市としてその名を轟かせていた訳だが、
それから四半世紀経ち、その市は補助を打ち切り、その活動の拠点である給食センターでの使用料を払えと言ってきたのだそうだ。
利用者からお弁当代は頂いているとは言え、内情は潤沢な訳ではない。
調理する人には交通費は出る、お弁当を配る人にはガソリン代くらいは出る、母ら理事たちは交通費も出ていない・・・
と、いうくらいのボランティアの会。
利用者の高齢化=亡くなる方々もいる訳で「100食を超えないと赤字」の会が、毎回の使用料を払える訳なかろう。
議員に陳情、その他、涙ぐましい会員の努力で、3年間の執行猶予が決まったが、直後、給食センターを取り壊すと決めたのも市だ。
2018年4月、保育所として再オープンのため、年内での活動打ち切りが自動的に決まったらしい。
鎌倉市内の高齢者の食を担ってきた給食センターは閉じられ、年明けから改築とのこと。
時流と言っていいのか、時流に乗るベキではなかろうと思うのだが、老人福祉はもうお仕舞いということなのか?
実際、今はコンビニでも何処でもちょっとした食事は手に入り易くなったかもしれない。
中食だらけの世の中、手を伸ばせば簡単に食にありつけるだろ?と、オカミは思っているのかもしれないが、
そんな風に簡単にはいかないのは考えるまでもないこと。
利用会員さんの中には、本当に終わりなのか?なんとか続けてもらえないか頼んで来られた方多数、市役所に苦情の電話をかけた方多数・・・。
「今まで毎週届いていたご飯が、もう手に入らなくなってしまう」
そんな思いをさせることが姨捨山もいいところだと思うのは、決して私だけでは無いはずだ。
何度も言うが、立ち上げた本人たちが、その恩恵に与れぬまま、この素晴らしいシステムは閉じられる。
昨日と今日配られた最後の会報には、調理、配達各々の何人かが、各々の思いを綴っている。
関わった人たちの、この活動に対する想いが溢れていて、思わずもらい泣きをしてしまうくらい温かい。
ファンも多かった、母の手書きの献立表と添えられたひと言。
ここまで続けて来られたのも皆様がおいしいと召し上がって下さったからこそです
本当に有り難うございました
どうぞ今後とも、お健やかにお過ごし下さいませ
「市井の主婦たちのボランティアによる心のこもった家庭の味のお弁当が、この鎌倉にあった」その記録。
願わくばこの御縁が何らかの活動に、再び繋がっていくように。
ベルの会の皆さま、四半世紀、お疲れさまでした。