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ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

文鮮明 ウィキペディア(2)・・・経歴詐称・犯罪歴・家族・動画『 わが父-文鮮明の正体 』

2015年09月21日 | 好きな歌

評価

経歴詐称

  • 本名は「文龍明」だが、統一教会/統一協会では龍はサタン(悪魔)だと教えており、都合が悪いので文鮮明と名乗ることにしたといい、信者のほとんどは本名を知らない。
  • 出身は現在の北朝鮮定州市にあたる平安北道定州郡であるが、北朝鮮地域の出身である事実は「北朝鮮はサタンの国」とする統一教会/統一協会の教義上都合が悪いため、内部誌では「韓国の平安北道出身」としている。
  • 早稲田大学で学んだと称していたがこれは古くから使っていた学歴詐称であり、統一教会/統一協会自身が経歴を公式に訂正したにもかかわらず、現場では未だそのように教えられている。

犯罪歴

  • 1946年北朝鮮平壌で混淫による社会秩序混乱の容疑で3ヶ月拘留された。
  • 1948年には信者の人妻との強制結婚現行犯で懲役5年の実刑判決を受けた。
  • 1955年女性信者を監禁、貞操を奪った梨花女子大事件で逮捕された。
  • 1984年アメリカ合衆国にて、日本の統一教会/統一協会から送金された年間1億ドル(約240億円)に及ぶ莫大な献金にからむ脱税と文書偽造の罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けた。
  • 日本では統一教会/統一協会を通じて信者を洗脳し、献金のノルマを課し、「文鮮明に逆らうと地獄の一番下に落とされる」「壷を粗末にすると不幸になる」などと霊界と祟りの恐怖で人間の心を支配し、価値のない壷や多宝塔を何百万円、あるいは何千万円で販売したと批判を浴びた。献金ノルマは毎年厳しくなっている。
  • キリスト教原理主義が強い米国をはじめとする各国で統一教会/統一協会が異端視されている。また若者たちを洗脳して家庭から離反させ、街頭にて法外な値段でキャンディや花束を売らせるなどの商業営利事業や、右翼政治活動などに向けさせているなどのことから世論も批判的である。

来日

  • 1975年2月 - 通過査証で入国し、武道館で布教公演を行った。通過目的で入国したのに宗教活動をしたためこれは出入国管理及び難民認定法違反である。
  • 1979年 - 入国が許可されなかった。
  • 1978年 - 埼玉県神川村(現神川町)で国際合同結婚式のため1,600組の指名婚約を行なった。
  • 1981年 - 当時東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの行動を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた。当時の法務大臣奥野誠亮が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった。
  • 1982年 - 入国が許可されなかった。
  • 1984年 - アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号の規定「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある外国人は、本邦に上陸することができない。」に該当し上陸拒否者となった。
  • 1992年3月26日 - 3月16日に日本統一教会/日本統一協会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請し、「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出し、当時の法務大臣田原隆が「国際情勢の変化」「実刑判決から時間が経っている」などを理由とし、出入国管理及び難民認定法第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。
  • この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったという。3月29日に中曽根康弘元首相と会談、3月30日夜には「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想」「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。
  • 3月31日金丸信と2時間半に渡り会談、うち1時間は2人だけの密室会見だった。4月1日午前大韓航空機で韓国に向かった。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社ハッピーワールドなど統一教会/統一協会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった。

家族

自らの家庭を「神の家庭」「真の家庭」「全人類の父母の家庭」とし、全人類が模範とすべき「モデル家庭」だと主張しているが、文鮮明自身不貞を認めている他、実際の家庭は以下の状態である。

崔先吉との子供

1944年結婚、1957年離婚。

  • 文聖進(1946年生) - 男性。

金明煕との子供

文鮮明と金明煕は婚姻していないこと、文喜進の出生が崔先吉との婚姻中であることに留意。

  • 文喜進(1954年生) - 男性。列車事故で死亡。

韓鶴子との子供

1960年結婚。これが公式に認められているだけでも4度目の結婚である。

  • 文誉進(ぶんえいじん、女性、1960年生) - 組織を脱会。
  • 文孝進(ぶんひょうじん、男性、1962年生) - 19歳で文鮮明が選んだ洪蘭淑と結婚し21歳で原理研究会初代会長に就任するなど後継者として期待されていたが、ロック音楽や銃器などの趣味に没頭し、アルコール依存症、薬物依存症に陥った。不品行や暴力により結婚生活は破綻、1997年離婚した。その後洪蘭淑は『わが父文鮮明の正体』という文鮮明一族の内情を描いた暴露手記を出版している。再婚したが2008年45歳で死亡した。
  • 文恵進(ぶんへじん、女性、1963年生) - 生後1週間で死亡。
  • 文仁進(ぶんいんじん、女性、1965年生) - 合同結婚式の前に付き合っていた男性信者が文鮮明の隠し子であることが判明、強いショックを受けている。結婚したが離婚[15]
  • 文興進(ぶんふんじん、男性、1966年生) - 男性。1984年1月17歳の時、米国で改造自動車を無免許で暴走運転中に事故死した。その死の1ヶ月後文鮮明は、統一教会/統一協会が洗脳に利用する聖書やキリスト教では全く説明がつかない事柄ながら、文興進を統一教会/統一協会幹部の娘だった22歳の女性と「霊魂結婚」させ、霊感商法を正当化する内容の「興進様の啓示」が霊感商法販売全店舗に出されるようになった。
  • 文恩進(ぶんうんじん、女性、1967年生) - 組織を脱会し一般男性と結婚。父親である文鮮明に隠し子が存在することを証言した。
  • 文顕進(ぶんひゅんじん、1969年生) - 男性。文孝進のスキャンダルを受けて文鮮明の後継者とされ世界原理研究会の会長になったが、2011年自分の活動が統一教会/統一協会とは関連がないことを宣言した。
  • 文國進(ぶんくっちん、男性、1970年生) - 統一教会/統一協会系企業の総まとめ役で銃器製造工場責任者。拳銃のコレクター。
  • 文權進(ぶんごんじん、男性、1975年生) - 組織の役職に就かず表立った活動をしていない。
  • 文善進(ぶんそんじん、女性、1977年生) - 合同結婚式を忌避した後、精神疾患に陥った。
  • 文榮進(ぶんゆんじん、男性、1978年生) - 組織の役職に就かず表立った活動をしていない。1999年10月、旅先のネバダ州でホテルの17階から飛び降り自殺。統一教会/統一協会は事故と発表している。
  • 文亨進(ぶんひゅんじん、男性、1979年生) - 文顕進と統一教会/統一協会の間の対立を受けて宗教面での後継者とされた。
  • 文妍進(ぶんよんじん、女性、1981年生) - 組織の役職に就かず表立った活動をしていない。
  • 文情進(ぶんじょんじん、女性、1982年生) - 自殺未遂歴あり。

また洪蘭淑の証言では文鮮明・韓鶴子夫妻は子どもが生まれるとすぐに統一教会/統一協会の『兄弟姉妹』に預けてしまって乳母や子守りをさせ、自身は養育にはあまり関わらず、具体的には洪蘭淑が文鮮明の家にいた14年間の間に、文鮮明夫婦が子どもの鼻を拭いてやったりゲームをして遊んでやったりしているのを一度も見たことがないという。

洪蘭淑自身も親が統一教会/統一協会草創期の信者だったため放置されたが、文鮮明はこれについて「大衆を改宗するのが第一で、個人的な幸福を追求するのはわがまま」と説明している。

関連項目

外部リンク

文鮮明師の生涯と業績 世界基督教統一神霊協会公式サイト


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