出典→軍歌
日本の代表的な軍歌
明治初年〜日清戦争
明治維新を迎えた明治時代初期の大日本帝国の軍歌は、古来からの長い古風な歌詞と、西洋風の旋律が組み合わさった古雅なものが多い。また日清戦争以前の古い曲の中には、唱歌や童謡と同じように、欧米の曲を流用して歌詞をつけた例もまま見られる。
- 見渡せば 作詞:鳥居忱 作曲:ジャン=ジャック・ルソー
- 敵は幾万 作詞:山田美妙斎 作曲:小山作之助
日清戦争後
軍歌としての目的以外に、一般国民に対する戦況報道も兼ねていたため叙事詩的なものが多い。曲も洋式音楽が煮詰まってきた時期であり、後世に歌い継がれる秀逸なものが増えてきた。
- 如何に狂風 作詞:佐戦児 作曲:田中穂積
- 雪の進軍(歌詞(ウィキソース)) 作詞・作曲:永井建子
- 軍艦行進曲 作詞:鳥山啓 作曲;瀬戸口藤吉
- 婦人従軍歌 作詞:加藤義清 作曲:奥好義
- 日本陸軍 作詞:大和田建樹 作曲:深沢登代吉
- 日本海軍 作詞:大和田建樹 作曲:小山作之助
日露戦争後
こちらも叙事詩的な性格のものが多いが、同時に将兵に対する訓戒のような軍歌も増えてきた。全体的にさらに曲が洗練され、七五調・文語体の長大優美な歌詞のものが多い。なお、海軍省は佐佐木信綱や大和田建樹などに制式海軍軍歌の制作依頼を出しており、このため一連の海軍軍歌の制作年代は明治末であるが、軍歌集による公布は大正時代初めとなっている。
- 歩兵の本領 作詞:加藤明勝 作曲:永井建子
大正時代
日独戦争(第一次世界大戦)を迎えるものの、大正時代の日本は全体的に平和な時代であり、この時期作られた軍歌は少ない。兵科ごとの曲や、軍学校の校歌や寮歌の類が目立つ。
昭和初期
中国大陸での紛争・戦争が始まったため、軍歌が急速に作られるようになってきた。時代に合わせて口語体のものも多少出てきており、また曲は歌謡曲に近いものになってきている。戦局の泥沼化を反映してか、後期には悲壮な曲調のものが多い。レコードの大衆への普及に伴いヒット曲となる速度が非常に速くなっており、数十万枚単位で売れるベストセラー作がいくつも誕生している。
- 青年日本の歌(昭和維新の歌) 作詞作曲:三上卓
露営の歌 作詞:藪内喜一郎 作曲:古関裕而
爆弾三勇士 作詞:与謝野鉄幹 作曲:辻順治
愛国行進曲 作詞:森川幸雄 作曲:瀬戸口藤吉
海ゆかば 作詞:大伴家持 作曲:信時潔
愛馬進軍歌 作詞:久保井信夫 作曲:新城正一
暁に祈る 作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而- 1940年(昭和15年)の松竹映画「征戦愛馬譜 暁に祈る」の主題歌
出征兵士を送る歌 作詞:生田大三郎 作曲:林伊佐緒
- 燃ゆる大空 作詞:佐藤惣之助 作曲:山田耕作
加藤隼戦闘隊(飛行第六十四戦隊歌) 作詞:田中林平 旭六郎 作曲:森屋五郎 原田喜一 岡野正幸- 空の軍神となった加藤建夫陸軍少将が、戦隊長として率いた一式戦「隼」装備の陸軍航空部隊の精鋭、飛行第64戦隊の部隊歌。
太平洋戦争期
太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られた。支那事変時とは打って変わり、明るく軽快もしくは勇壮な歌詞・曲のものも多い。ただし、優秀な曲が多く生まれたと同時に、時局に合わせただけの粗製濫造の曲も非常に多く、その多くは歌い継がれることなく消滅していった。また、「勇壮でない」と睨らまれた曲はたとえ軍歌でも弾圧を受け、明治以来の優秀な軍歌がいくつも歌詞改訂・歌唱禁止にされるなど、暗い面も残している。
- 比島決戦の歌 作詞:西條八十 作曲:古関裕而
軍歌の終焉
1945年(昭和20年)8月15日の終戦、その年の11月30日をもって、明治以来の大日本帝国陸海軍は解体・消滅。軍歌が新たに作られることは少なくなった。しかし、戦前中の歌に慣れ親しんだ国民により引き続き歌唱され、パチンコ店で軍艦行進曲が流されるなど軍歌自体の寿命はまだまだ続いていた。
- ああモンテンルパの夜は更けて 作詞:代田銀太郎 作曲:伊東正康
日本の軍歌は、その支配権から独立した韓国、北朝鮮、ミャンマーなどの軍歌のルーツになったとする見方もある。朝鮮人民軍は日本統治時代の旧日本軍出身者が多く、軍歌の作り方もそれに沿ったものであったとされている。また、前述の「日本海軍」や「鉄道唱歌」などから曲を流用している例も散見される。
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