ある「世捨て人」のたわごと

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疑似科学  ウィキペディア(3)・・・影響に関する指摘・統計とバイアス・合理的な思考

2015年09月17日 | 好きな歌

集団心理・政治・学界権威等の影響に関する指摘

上記のパラダイムシフトに関連することだが、社会学における多くの実証的な研究によって、人間というのは集団の場では集団心理というものが働いていて、多数派の意見に追随して安心したい、とか、少数派になることは怖い、という心理・バイアスがかかり行動・言説が変化してしまうということが明らかにされている。そして、科学者というのも科学界という閉鎖的な集団の場で活動している人間であるので、その例外ではなく、ある科学者の集団(学会など)である理論体系を採用する人が多数派になると、それによってバイアスがかかり、それに追随したいという心理が働き、別の説は支持しにくくなるという心理が働く、ということは指摘されている。また、さらには少数派の説を非難することで自分が多数派に属してることを誇示することでバッシングに合わないようにする心理が科学者にも働く、ということは指摘されることがある(ちょうど、小・中学校の教室で起きている、いじめの行動、および、いじめられ回避の行動と、似たようなことが科学者の狭い世界でも起きているという)。ある科学者集団で新たな理論が登場した時など、その理論を多数の科学者がさんざん否定するのだが、その理論を支持する人が増え支持者が多数になりそうになると、それまで否定していた科学者がまるで手のひらを返したように、(しかも事実と異なって)「実は私も最初からこの理論は正しいと確信して支持していましたよ」などとしらじらしいことを言いだすようになり、しばらくすると、反対者は最初から学会にいなかったかのように言う嘘がほぼ全員でまことしやかに語られる、といったことを、指摘している研究者もいる。

人間関係における力学や政治的な動機などで、説の「正しさ」が“決定される”ことについては、マイケル・フリードランダーも指摘しており、旧ソ連におけるルイセンコ説を例として挙げている。このケースなどでは、スターリンが“弁証法的唯物論”の証明になる、などという、間違った主義を間違った方法で根拠づけようとする動機でルイセンコ説を保護・優遇され、反対にルイセンコ説の間違いを指摘した科学者はスターリンに弾圧され殺され(粛清され)た、結果、当時の学会では支持者で埋め尽くされた、と歴史学者によって明らかにされている。科学者も自分の身が可愛いので権力者におもねった説を支持しがちになる、ということである。

統計とバイアス

反証主義以降に、ある頻度で起こるというように確率的にものごとを検証する方法としての統計学が発達していった。集団遺伝学を築いたロナルド・フィッシャーによる統計学的な実験計画法が発展していった。こうした統計に従った場合、線引きではなく、ある方法は再現性がどの程度あるかという程度の問題として捉えられる。

統計の際にも、人間の心理的な作用によって認知バイアスが起こり、例えば、自分の都合のいいように証拠を集める、測定するという確証バイアスがある。こうしたことを避けるため、1948年には、観察者にも誰に偽薬を渡したのか分からない計測方法である二重盲検法がはじめて行われた。また1955年に偽薬や偽治療によっても心理作用によって効果が出るというプラシーボ効果が発表され、従来認められていた効果が単なるバイアスやプラシーボ効果である可能性が指摘された。

1990年には医学分野で根拠に基づいた医療が提唱され、よりバイアスを排除できる研究や、複数の文献をもとに評価したものほど科学的根拠が強いとし、科学的根拠の強弱の概念を採用している。こうした統計によって有効性が認められなかった方法や理論は、効果のない疑似科学であると批判されることがある。

根拠に基づいた合理的な思考

2000年以降は、医学の分野では根拠に基づいた医療(Evidence Based Medicine)が大きく展開され、統計的な有効性といった科学的根拠に基づいた診療ガイドラインが作成されるに至った。現在の文脈では、専門家の意見は最も証拠としては弱いものとされる。ランダム化比較試験によって実際に得られた結果はより高い証拠であるとされ、こうした試験を結合して統計的に解析したメタ・アナリシスが最も証拠として強い。こうした審査の過程には、文献を網羅的に収集し吟味していくことが含まれる。

2011年には、イギリスの科学の理解を促進する団体である科学のセンス(Sense About Science)は「根拠を尋ねよう」(Ask for evidence)キャンペーンを行った。 キャンペーンは、科学的証拠が公の議論の最前線にあることを確認したり、非科学的な誤情報を修正するために科学者と協働できることを目的としている。キャンペーンの賛同には、イギリス上院科学技術委員会長、王立協会長、ロイヤル統計学会、ロイヤル気象学会、、生物学会、一般微生物学会、オックスフォード大学教授、インペリアル·カレッジ·ロンドン教授、食品基準庁主任、キャンサーリサーチUK、内分泌学会、国立リウマチ学会、多発性硬化症協会、サイエンスライターの賛同がある。2012年4月には、一般大衆による誤情報や曲解、科学についての基本的な理解不足のために団体を立ち上げたTaverne卿は、「根拠を尋ねよう」キャンペーンも大きな運動となり、団体の立ち上げ当初の2002年の状況では科学者も公衆とはほとんど議論をしたがらなかったが、現在では議論をするための5000人以上の科学者のリストがあるとしている。

疑似科学の特徴・傾向

疑似科学の特徴や傾向について包括的に把握する試みはあるが、過不足なくリストなどに提示することは難しい。 以下は提唱された例である。

統計学以前のもの

これらは、前述の反証主義を疑似科学と決定する根拠としていたり、現在これを疑似科学を判定する基準とするには時代遅れの様相があることに注意が必要である。

マーティン・ガードナーによる指摘

1952年、アメリカ合衆国懐疑論マーティン・ガードナーは、その著書において、疑似科学者の傾向として以下の5項目を挙げた。原著は1952年初版であり、この分野の古典ともされるが、同時に、すでに50年前の本なので、その著作には現代の統計学を通した科学の状況とはあまり一致しない記述も多々見うけられる。

  1. 自分を天才だと考えている。
  2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
  3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
  4. 最も偉大な科学者や確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
  5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

マリオ・ブンゲによる指摘

  1. 融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。
  2. 一般に、支持者は、研究していない信奉者からなっている。
  3. 場合によっては、商業的な関心から支持を得ることもある。
  4. 現象のほとんどが信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。
  5. 根拠とする議論の多くが、時代遅れか、信頼できない文献からの引用か、証明不可能なものである。論の立て方に明確さや首尾一貫性がかけている。
  6. 数学が使われることがめったになく、論理的な議論が欠けていることが多い。
  7. 主張される現象の多くが、昔からあるものだが、アイディアに進展が見られない。

ハインズによる指摘

1988年、アメリカ合衆国心理学者テレンス・ハインズは自著において疑似科学の傾向を以下のようにまとめた:

  1. 反証が不可能であること (カール・ポパーの提唱する反証可能性の欠如)
  2. 検証への消極的態度
  3. 立証責任を転嫁する

統計学的データの扱いに関する指摘

ロバート・アーリックによる指摘

ロバート・アーリックは、疑似科学の主張はデータの扱い方が作為的であり、想定された結論に矛盾するデータの無視、引用文献と異なる結論の導出、データや根拠および研究方法の非公開などといったものが見られるとしている。

その他の指摘

例えば「時空が歪む」とする相対性理論や「永久機関は存在しない」とする熱力学の法則は、疑似科学者達に頻繁に攻撃される傾向にある。特に相対性理論は素人には誤解されやすい理論であり、こうした攻撃の根拠の一つとして「宇宙はシンプルである」事が挙げられる。すなわち、シンプルであるはずの宇宙で、時空が歪むような「複雑な」現象が起こるはずがない、というのが彼らの主張である。

悪用される科学

業界の利益を脅かすような問題が起きると、業界団体がその問題の研究を始める例がここ30年間で非常に増えている。 例えばある企業の従業員が危険なレベルの化学物質にさらされていることが研究から明らかになったとしよう。そういう場合の企業の典型的な対処法は、自社で研究者を雇ってその研究を批判する研究をさせることだ。また、ある薬の安全性が取りざたされると、製薬会社の経営陣は健康に対する深刻な危険はないとする実験結果をさかんに宣伝する。この手の研究は会社の資金で行われ、不安を感じさせるような結果は無視したり隠したりする。 米国産業界の一部では脅威となる研究を「ジャンクサイエンス(ニセ科学)」だと非難し、反対に業界が委託して行った研究を「サウンドサイエンス(健全な科学)」として正当化することが常套手段になっている。


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