ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

異端  ウィキペディア(2)

2015年09月17日 | 好きな歌

ユダヤ教における異端

正統ユダヤ教とされた律法主義者たちとその体制から見て、神の国を説くイエス・キリストは異端と見なされ、処刑されることになった。神の国の理念や実践、アガペー隣人愛(聖書の「善きサマリア人のたとえ」のくだりなどで語られる内容 )といった一連の理念や実践が異端とされたわけである。

キリスト教における異端

キリスト教においては「異端」は様々な用法があるが、例えば党派心、教会の統一を破るもの、不信仰、キリスト教だと称するが伝統的なキリスト教の教えを踏み外している教義・学説などを呼ぶための言葉として用いられてきた。キリスト教においては、「異端」は、キリスト教でないものに対して使われる場合と、キリスト教の中にある異端的な説に対して使われる場合がある。

歴史

異端はすでに初代教会に存在したとされる。パウロ書簡にはたびたび分争への警告がなされている。(後)パウロ書簡である『コロサイ書』および『テトスへの手紙1』などには、非正統的教義を信奉するものへの警告がなされている。伝承では『テトスへの手紙1』に登場するニコラオは、使徒行伝にある執事ニコラオと同一視され、彼が一派を起こして独立し、異端となったものだとする(黙示録2:15)。

異端反駁は、異教反駁と並び、初期の教会著述者の大きな主題のひとつであった。当時の異端派についての研究は、そのような著述家による引用に多くを負っている。キリスト教教義とその文書は、異端とされたそのような説への反駁によって形成され洗練されていったという側面ももっている。対立点は、救いの条件、洗礼の方式、キリスト理解、ユダヤ教との関係、個人の罪と赦し、聖霊についての理解、教会論など多岐にわたった。教会組織において、統制のためいくつかの説またその信奉者が「異端」とされ、異端とされた説を教会で教えることや、異端の者が教会の公的な礼拝に与ることが禁止された。異端者とその取り扱いについての規定は、最古の教会法文献である『ディダケー』(1世紀)にすでに記載されている。教会組織が成熟していくにつれ、異端の判断は教会高位聖職者が組織的決定として行うようになっていく。

はじめキリスト教が非公認の宗教であった時代には、教義間の問題は教会内の問題であり、それほど大きな社会的問題にはならなかった。しかし、キリスト教が国教会として公認され、信者が公に活動をはじめると、異なる教説を奉じる者の間の対立は大きく、教会人事に影響を及ぼすにとどまらず、教会外で騒乱を起こすまでになった。最初の公会議である第1回ニカイア公会議が皇帝の主宰で開催されたのは、アリウス派アタナシウス派を中心としたこのような状況を打開するためであった。結果的に、アリウス派が「アナテマ」(呪い、異端の意)を宣告され、教会から追放されたが、事態が収拾されるまでには数十年を要した。

その後も教会会議や公会議による異端説の追放が行われた。そのほとんどは現存していない。しかし一定の範囲で支持を得ている説が異端とされたときには、むしろ教会の分裂(シスマ)と呼ぶのがふさわしい状況が出来た。東方諸教会、正教会、カトリック、さらにはプロテスタントの区別は、こうした大きな集団の対立と、相互を異端として退けるなかから、生じてきたのである。

異端を理由とした死刑は、西方教会で行われるようになり、アルビ派およびワルド派が出る中世盛期には、異端裁判所を設けた組織的な異端摘発が行われるようになった。当時異端審問に深くかかわったドミニコ会はこのため canis domini (主の番犬)の二つ名を負うほどになった。近世のスペインではレコンキスタ運動と融合し、異端審問が激しく行われた。異端審問はまた、カトリックと対峙したプロテスタント地域でも激しく行われた。ローマ・カトリックは、プロテスタントを含め異端とみなした多くの者を処刑しているが[8]、プロテスタント圏においても、ジュネーブ市当局は三位一体を否定したミカエル・セルヴェトゥスを処刑した。いっぽう東方教会では、一般に、異端者は教会から追放され結果として社会的制裁を受けるにとどまり、西方のような組織的な異端摘発がなされることはなかった。

上述のようなことがあったが(そうした歴史の負の側面が自覚されるようになり)、最近のキリスト教では、エキュメニズム(世界教会運動)の重要さが広く認知されている[4]。キリスト教内での運動とともに、人類の幸福という共通目標のため、他宗教と対話・連携を行う重要さも認識されるようになっており、そうした活動もエキュメニズムと呼ばれている。近年では、実際に他宗教の指導者とさかんに対話が行われており、キリスト教も含めて様々な宗教の指導者が一同に集って、人類のため、あるいは何らかの災害にあった人々のために、宗教の種類を乗り越え共同で祈りを捧げたり、共同の見解を報道に対して発表する、といった活動がさかんに行われている。

現行の異端規定

「異端」を定義する基準は、多くの教派で共有できる、ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条カルケドン信条使徒信条など基本信条からの逸脱である。

ローマ・カトリック教会の異端規定

古代から中世中期までは公会議において、中世後半以降は異端審問などで、異端宣告がしばしばなされた。現在のローマ・カトリック教会においては、「異端」を、教会法の中で、次のように定義している。

  • 教会法によれば洗礼後、名目上キリスト教徒としてとどまりつつ意識的・意図的に神の意志に対して反対するのが異端であり、これは信仰の諸前提から誤って導き出された神学的誤謬とは区別されなければならない。
  • 今日では異端とは客観的意義に於いては狭義のカトリック教理に反する命題、又主観的意義に於いてはかかる命題の容認、或る天啓的信仰事項として (fide divina)、又は公教的信仰事項として (fide catholica) 信ずべき真理の頑固な否定、または真剣な懐疑を指す(教会法1325条2項)。

カトリック教会は使徒継承のないプロテスタントを教会と認めておらず、聖座に従わない正教会についても欠陥があるとみなしている。

プロテスタント諸派の異端規定

使徒信条は異教とキリスト教を切り分けるものに過ぎない。プロテスタント教会にとっては「聖書のみに基づく信仰からの逸脱」もプロテスタント信仰からの逸脱であり、異端的な誤りであるとみなされる。福音主義同盟1846年に確認された福音主義の9ヶ条でローマ・カトリックユニテリアン自由主義神学(リベラル)の立場を退けており、これは日本で最初のプロテスタント教会に採用されたが、超教派で活動するための基準に過ぎず、教会形成に必要な信仰基準としては不十分とされる。プロテスタントの教会のしるし戒規があり、異端、誤りは戒規にされ、追放されなければならないとされる。改革派教会とローマ・カトリックの異端判断の相違は、ローマ・カトリックがローマ教皇から離れる分離を異端の本質とみなしており、またエキュメニズムも分離を非難するのに対し、改革派は教会のしるしを主張し、聖書を基準として異端の摘発がなされねばならないとする。福音派は、シンクレティズム宗教多元主義新普遍救済主義を異端として退けている。リベラル派においては、何かを異端とみなすこと自身が不寛容であり、キリスト教に異端はいないとする思想もある。リベラル派では、プロテスタントとしての自覚が希薄となり、聖書を神の言葉と信じる信仰も重視せず「聖書のみに基づく信仰からの逸脱」も単にプロテスタンティズムに反するに過ぎないとみなされる場合がある。

異端とカルト

本来はカルトの定義に相応しいものが異端と同義であるかのように捉えられることもある。モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、エホバの証人統一教会等であり、これらが異端であると同時に破壊的カルトでもあると認識されていることにより、両概念の定義に混同が発生しているものである。

キリスト教において異端とみなされた主要な諸派・思想


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