ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

異端  ウィキペディア(1)

2015年09月17日 | 好きな歌

http://bit.ly/1KgSxTX 

異端(いたん、英語: heresy あるいは 英語: heterodoxy)とは、

  • 正統からはずれたこと。正統orthodoxy と対立する異説。
  • その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説などのこと。多数から正統と認められているものに対して、少数によって信じられている宗教・学説など[2]
  • 宗教において、正統を自負する教派が、正統教理教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。

「異端」と一対で「正統」という概念が用いられる。

宗教学辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念というのは「正統」という概念があってはじめて成立するものであり、それ自体で独立に成立する概念ではない、相関的概念である、とされている。また哲学事典などでも「正統」と「異端」は動的な対概念であるとされている。

したがって、「異端」という概念だけを説明しようとしてもうまく説明できない面が多々あるので、本記事では「正統」と「異端」という概念の両方について総合的に解説しつつ、その中で「異端」という概念も解説してゆく。 

概説

「異端」は「英語: orthodoxy 正統」の動的な対概念である。宗教学辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念というのは「正統」という概念があってはじめて成立するものであり、それ自体で独立に成立する概念ではない。「正統」と見なすものがあり、それではないものを「異端」と見なすということである。

正統からはずれたものと見なすこと、異端として扱うことを「異端視」と言う。

何が正統で何が異端かについての論争は「異端論争」と呼ばれている。例えば、キリスト教で言えば、アタナシウスの教えを正統としアリウスの教えを異端としたニケーヤ会議(第1ニカイア公会議)は歴史的かつ典型的な異端論争である。

儒教でも、異端に対する徹底的な排斥が起きた。キリスト教イスラム教などでも、大きな事件が起きたこともあった。

イギリスのワーバートンが述べた「正統は私の意見であり、異端は他人の意見だ」という表現にも端的に現れているように、異端論争には主観主義的な要素が含まれる傾向がある。

正統 / 異端の区別は、思想・イデオロギーなどにおいても重大な関心事となる。例えば、マルキシズム天皇制思想のように絶対主義的な主張内容を含むイデオロギーなどでそうなる。政治面では、スターリン主義が他の共産主義諸派を異端として排斥・粛清した事件がある。経済面では、(普段 資本主義社会の中に埋没して生活していると見えなくなってしまっているが) 資本主義社会では、資本主義的自由経済主義が自己正当化され、強調されすぎており、経済に関する他の主義(共産主義など)は異端視され排斥されている。反対に、たとえば北朝鮮の国内などでは社会主義ばかりが正当化され、自由主義が異端視され排斥されている。なぜ絶対主義でそれが重大な関心事なるかというと、教義を正しく理解しその唯一絶対性を守ることに熱心であると、それは同時にその絶対性を傷つけたり統一を破るものに対しては厳しい警戒の念を抱くことになるからである。

上述のように、正統 /異端 の用法は、宗教的領域からはじまって、政治文化経済などの領域にまで類比的に用いられている。また同様の概念は、広く学問科学)等々の領域でも存在している。

「異端」という語は、歴史的背景から現代でも基本的には何かしらの反感・嫌悪感を込めて使用されているが、芸術など創造性・独創性が高く評価される分野においては、賞賛の言辞として用いられることもある。

上述のように絶対主義などでは異端を極端に排斥・排除してしまうわけであるが、(異端が存在することを許し)異端をつねに生んでゆく思想というのは、創造的な思想だとも言える[3]とも指摘されている。

既成宗教の問題点を指摘し、人々のためにその変革を試みる人物は多くの場合、既成宗教から最初は「異端」と見なされることになる。 ブッダは、当時のインドの既存宗教勢力から異端視された。イエス・キリストはローマ支配下のユダヤの律法主義者から異端視された。ヨーロッパ中世で一旦腐敗したキリスト教会の問題点を指摘したプロテスタントの人々も当初は異端視・迫害され、米国などへ逃れる必要も生まれた。たとえ「異端」と見なされ排斥されても、それでも、より良い宗教を求める人々によって、既成宗教の問題点が改善されてきたという歴史的事実がある。

呼称

漢語としての「異端」は、儒者が儒教以外の思想、つまりなどを指して用いた[3]

「異端」という語の用い方として、宗教学辞典では「異端」を同一の宗教やイデオロギーを共通基盤として成立するものの間における対立的立場で、正統に対する異端であって「異教」とは異なる、との説明が掲載されてはいる。(つまり学者の立場では、用語ごとに厳密に区別することで学術用語的なものにしたい、という考え方がある。)ただし、実際の用法としては(#キリスト教における異端#儒教における異端など節でも解説するように)異なった宗教を指すためにも用いられている。


コメントを投稿