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ウタマロ代表の勝手にコラム!

プロレス者「ウタマロ代表」が想う、そして綴る!
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愛のコリーダについて、もう少し。

2004年11月10日 | 映画コラム
昨日はgooブログのメンテナンスの為、非常に不便な思いをしてしまった。
まあ、タダでブログなんて楽しいものをやらせてもらっているからあまり文句も言えないけど、これだけ生活にブログが組み込まれちゃっているとリズムが崩れちゃう。

さて、まだまだ書き足らないので「愛のコリーダについて」の続きを書きたいと思う。

この作品を観て、同じ殿方として思ったのは「きっつぁん」は凄いチンチンをしているな!というコトだ。だって本当に休みナシなのだ。セックスしていない時だって常に「キュッ」って握られているし。

男性諸君なら分かると思うが、連続は「痛い!」のだ。まさに筋疲労ならぬ「チン疲労」。その点だけとっても連チャン連チャンの「きっつぁん」は凄い。

あとセックスが常に濃厚だ。フツーあれだけやったら飽きる。しかし「きっつぁん」は飽きない。「定」の底なしの愛欲にとことん付き合う。

いつも思うのだけど、すぐに「イク」男は馬鹿にされるは蔑まれるはで大変な思いをするのに、すぐに「イク」女は非常に賞賛されるし可愛さ50%アップになる。

酒に弱い男も馬鹿にされたり、口説く前に酔っちゃうなど不利益が多いのに対し、すぐに酔っちゃう女はもう賛辞の嵐が吹き荒れる。「わたし酔っちゃった...」は物凄くカワイイし期待が膨らむが、「おいら酔っちゃった...」では話にならないのだ。

逆に「ヤリチン」君のお父さんはちょっとカッコイイけど、「ヤリマン」さんのお父さんはちょっとカッコ悪い。これはどうでもいいか。

とにかくジェンダーフリーなんてお笑い種だ。男女間だけでなく、世の中は色んな「差」があるから面白いのだ。全く「差」の無い平べったい世の中なんて面白くも何ともないやい。

閑話休題。とにかく「きっつぁん」はリスペクトに値する。こういう男はいつの世もカッコイイよ。井原西鶴「好色一代男」の世之介もカッコイイもんなあ…

僕も今から…ってダメだ。だって連チャンはとっても痛いから。

愛のコリーダについて

2004年11月09日 | 映画コラム
愛のコリーダ 完全ノーカット版 監督:大島渚 主演:藤竜也 松田英子

1936年に日本中を震撼させた「阿部定事件」を1976年に大島渚が監督し映画化。その性描写が問題となり、カットされまくった問題作を2000年にノーカットで公開したのが本作品。

「阿部定事件」なるものを詳しく知りたかった。愛欲の果て、男性器をちょん切って逃げ回ったというコトは知っていたのだが、そこに至る過程を知りたかった。

主演は藤竜也。料亭「吉田屋」の主人の吉蔵役。う~ん、若い!「化身」で黒木瞳と絡んでいた印象が物凄く強いので、1976年当時の彼を見てビックリしてしまった。

この頃から彼の口髭は健在。この髭はいやらしさを30%アップさせる。山本晋也然り、田代まさし然りだ。童顔でさわやか過ぎる僕は40歳ぐらいからこの髭をはやす予定でいる。でもこれってマーシーが髭をはやしてる理由と全く同じだ。僕もちょっとだけ変態だし、あんな風になっちゃあ困るのだが。

阿部定役は松田英子。(瑛子か英子。どちらが正しいか確認できず。すみません)
ハッキリ言う。決してキレイではない。ただ彼女が吉蔵(藤竜也)のコトを「きっつぁ~ん」「きっつぁ~ん」と呼ぶのが非常に良かった。ビックリしたのがやはりセックスシーン。この映画の8割~9割くらいはこの二人のセックスシーンで占められているのだが...多分、いや本当にやっているのだ!ボカシ方も「かな~り」昔風でナイスだった。

内容はこうだ。『料亭の女中である定は、吉田屋の主人の吉蔵と相思相愛の仲になる。やがて彼を独占したい一心から、定は吉蔵を殺害。さらに、その男根を切断する』

しかしまあ、二人はセックスばかり!セックスしてない時だって定は「きっつぁ~ん」のチンチンばかり握っているのだ。とにかく「きっつぁ~ん」のチンチンは定のモノなのだ。(時たま女房のモノともなる)

愛するが故の性。愛しすぎてしまった為の性。セックスを伴わないコトが「純愛」だとする考えがあるとすれば、それに真っ向から対立する愛の形。頭で考えるよりもただひたすら求め合う二人は次第に追い詰められていくコトとなる。

さて、この辺でフツーに考えよう。だって働きもせずに二人はセックスばかりしているのだ。そりゃ追い詰められるよ。お金が無くなったら定は恩師の校長先生に抱かれに行く。

そしてここが物語のポイントだと思うのだが、途中から二人は「異臭」を放つようになる。定は校長先生からも「君、臭うよ」と言われるのだ。明らかに実社会から離れていく二人。それがこの「臭い」なのだと思う。

死ぬことになる日。定のもとに向かうきっつぁんの横を日本陸軍が行進して行く。軍人達とは進む方向が逆のきっつぁん。下を向き、顔をあげられないきっつぁん。象徴的なシーンである。

社会通念上、働きもせずセックスばかりしていたというのはいかがなものかと思う。でも定の愛はただひたすらに吉蔵に向かっていたし、彼も定の愛に応えていた。確かに定は生活する為に校長先生に抱かれはしたが、最近の娘が貞操観念なしに誰とでもセックスするのとは明らかに違う。

ここまで見せられると、男根を切除し身に付けて逃げ回ったという気持ちが良く分かる。それが彼女の純粋すぎるほど純粋な愛し方だった。当時の人達が阿部定に同情的だったというのも頷ける話なのだ。

最後に「愛のコリーダ」の「コリーダ」の意味。スペイン語で「闘牛」。原義は「突っ走り」だそうだ。確かに定は「突っ走った」。でもここで僕らが冷めた目で定を見るのはナシにしたい。仮に抑えきれない「情」を理性で抑えるのが「人間」とするならば、定は明らかに「人間」ではなかった。

でも、その愛は真実だったし明らかに彼女は「人間」だった。僕は何故だかその気持ち...分かりすぎる程分かるのだ。

完全なる飼育について

2004年10月18日 | 映画コラム
完全なる飼育  監督:和田勉 主演:竹中直人 小島聖

何回も言うけど、旬が過ぎた映画を観るのが好きだ。と言うより、1回映画を観るのに1800円という価格設定が高すぎると思っている。まあ、これは個人の価値観と懐状況が関係するので置いておくとして、今回は『完全なる飼育』を観てみました。動機は不純。小島聖のおっぱいが見たくて仕様が無かったのだ。

実在の事件を取材した松田美智子の『女子高生誘拐飼育事件』を1999年に和田勉が監督し映画化。ある日、見知らぬ中年男性・岩園に誘拐された女子高生の邦子。岩園の部屋に連れ込まれた彼女は、その日から監禁生活を強いられる。「心と体が完全に結ばれた愛」を得ようとする岩園。彼を拒み、激しく抵抗する邦子。だが彼の優しさに触れ、岩園との肉欲的な日々に溺れていった彼女は、ついに飼育される事を受け入れる...

とこんな感じのストーリー。例のごとく芋焼酎片手に観てみる。...数日前に観たアイドル映画とは明らかに違う。僕の中では松浦亜弥より小島聖の方が断然上位に立ちましたよぉぉぉっ!
ここで僕が今まで散々言ってきた「アンダー20しか愛せない!」宣言は撤回させていただきます。こんなところにさりげなく書いてしまったけど、これは僕自身ビッグサプライズですよぉぉ!

さてさて...今の世の中って情報が溢れ過ぎてる。だから僕らは色んな情報を「知っている」。でも「知っている」のと「分かっている」のとは違うのだ。物事は知らされたら、考えて、分かるようにならなければダメだ。今の人って知っているようで分かってない。

さて、監禁された邦子はどうだろう?情報など何も入ってこない。目の前に居る岩園が全て。邦子は分かりすぎる程、岩園のコトが分かったのではないか。温泉旅行中、逃げ出そうとしたが岩園のもとに帰ってきた邦子。岩園の汚いボロアパートに帰ってから、お互い狂ったように求め合う。岩園に処女を捧げた邦子。もうそれからは愛欲の日々だ。そして邦子はこう言うのだ。「飼育して...」と。

僕は作品自体をもっとシリアスにして、岩園と邦子の二人だけに絞っても良かったと思ったのだが、和田勉はサイドを渡辺えり子、北村一輝、泉谷しげる、塚本晋也などの個性派達で固めさせ、決してシリアス一辺倒ではない作品に仕上げている。これはこれでアリかなと思った。

とにかく圧巻なのは小島聖。その体当たり演技とスーパーバデーにムッチリストの僕は悶絶してしまった。こんな艶かしい巨乳はなかなか無いよぉぉ!しかしトヨエツって奴はこのスーパーバデーを散々満喫してからスパッと別れ、ヘアメイクかなんかしている素人さんとあっさり結婚。でもすぐに別れている。小島聖ってばどんな気分だったのだろう。いつもは男の味方の僕だけど、この件に関しては小島聖の味方である。

この作品は国内や海外でもたくさんリメイクされたらしいが、小島聖が演じた邦子を他の女優が超えることは不可能だろう。

そしてラスト。誘拐・監禁罪を素直に認める岩園と「誘拐されたのではない。」「一緒に同棲してただけ。」と言い張る邦子。まさに飼育大成功だ。しかしこれが愛なのか僕には分からない。これから数日考えてみることにする。だけど男と女は斯くも違う生き物なのだ!ということが少し分かった。

青の炎について

2004年10月15日 | 映画コラム
青の炎  監督:蜷川幸雄 主演:二宮和也 松浦亜弥

Seisuiさんが「絶対観て欲しい」と言って、『青の炎』を借りてきてくれた。
ジャニーズの二宮クンと松浦亜弥、あと山本寛斎が出ているという以外、事前情報はなし。
そうそう、松浦亜弥の制服姿が見れるのも知っていた。どうせしょっぱいんだろうなぁと思っていたので、観終わってから強引に放課後論に持っていこうとしていたのだが…

これがなかなか面白かったのだ。二宮クンのお母さんは秋吉久美子。血の繋がっていない妹役に鈴木杏。そのお父さんが山本寛斎。お互いに連れ子のいる男(山本)と女(秋吉)が結婚するも男の酒癖と暴力により離婚。その後、女が自分の子(二宮)と相手の連れ子(鈴木)を食わせてきたのだがある日、急に舞い戻り家に居座り続ける男により徐々に家庭がおかしくなっていく。男を殺せば全てが解決すると信じ、完全犯罪を実行しようとする二宮クンだったのだが…

とまあこんな感じのストーリー。さて感想だが、序盤に感じたのはミスキャスト。山本寛斎は明らかにダメでしょう。寝ている時の「よだれ」だけがアリ。僕の大好き「あやや」ものりこ役はちょっと合わない気がした。放課後論でも言いたいのだが、「あやや」は「あやや」であって「あやや」以外の何者でも無いのだ。関係ないが前田健が出てきてから僕が「あやや」を使用する回数は明らかに減った。彼には損害賠償請求を起こしたいと思っている。

逆にハマっていたのが、飲んだくれの暴力夫の妻役の秋吉久美子。もう賛辞するしかないよぉぉぉ、貫禄勝ちだ!こういう役をやらせたらピカ一だ。でもって、鈴木杏も凄く良かった。この子は多分凄い女優になりそうな気がする。

問題は二宮クン.......今から僕がけなし始めると思った人!不正解です。これが彼ってば、なかなかどうしてなのだ!序盤は明らかに違和感を感じたし、この作品に合っていないと思ったのだけど、中盤~後半にかけて彼は成長していくのだ。物語の進行に合わせて。ジャニーズの人を褒めるのは癪に障るけど、最後は作品全体が彼色に染まっていた。拍手!

原作は「現代日本の『罪と罰』」と言われたそうだが、この映画を見る限りはたしてどうだろう?Seisuiさんも本の方が面白いと言っていた。ラスコーリニコフ君と二宮クンとでは生きている環境が違うからなぁ。ちょっとだけ賢いから自己中心になり、同じく世の中の不条理に腹を立てていて、人殺しを正当化してしまうという点が同じということか?

結局、完璧だと思われた彼の犯罪は失敗する。どんな人間でも一人で生きているのではない、社会に生かされているのだ!ということ。ちょっとぐらい賢いつもりで一人で社会に刃向かってみても駄目なのだ。敗北した彼は死ぬしかなかった。

「青の炎」だけあって、彼の部屋の色がずっと青基調だったり、要所要所に海を写したりする。でも、色をモチーフにした映画ってそういうのが多いから目新しいコトではない。最後に彼がああいう行動をとるってのも予想出来るコトだし、僕の心に残る1本かといったら答えは「ノン」。だけど、ジャニーズファンに迎合するわけではないが、二宮クンって結構素敵かも知れない。東宝映画トピックス:青の炎

ルーシー・リューに思いを寄せる

2004年10月14日 | 映画コラム
セブンイレブンに寄った。レジの後ろにDVDが並んでいた。若槻千夏、熊田曜子…君たち最高だ。熱狂的なファンの方には怒られるかも知れないが、彼らと同じく僕は若槻千夏のことを心の中で「ちぃちゃん」と呼んでいるし、熊田曜子だって大きな声では言えないけど何回も使わせてもらっている。

そんな光輝く彼女達の横に「キル・ビル」が置いてあった。「キル・ビル」と言えば『ルーシー・リュー』!僕はこの映画を観てはいないのだが、彼女の「やっちまいなぁ」だけは強烈に脳裏に刻み込まれている。

コンビニの帰り道。しばらく「やっちまいなぁ」を言い続ける。「やっちまいなぁ」「やっちまいなぁ」「やっちまいなぁ」....この台詞が似合うのって岩下志麻ぐらいのものだ。ルーシーってば外人。でも彼女の「やっちまいなぁ」は最高なんだよなぁ...なんでだろう?

ちなみに「やっちまいな」はジャパニーズ姉御用語だ。普通この「やっちまいな」には性的なイメージが含まれていない。この場合は「力によって少しだけ痛い目にあわせる」ってのが正解だ。

性的「やっちまいな」は姉御の介在ナシに殿方から自然発生するものだ。僕は即座に「GONIN2」の喜多嶋舞か、「夜がまた来る」の夏川結衣を思い出す。二人ともヤクザに輪されまくっちゃう。もう最高なのだぁぁぁっ!

あの後味の悪いエロス。でも見たくてたまらないエロス。この2本オススメです!勿論、2人を見るという意味で。おいらも今日、ツタヤで借りてこよっかなあ....

話はそれたがとにかくルーシーの「やっちまいなぁ」は日本の姉御を凌駕している。
理由は分からないが、僕なんか影響されまくって、お風呂で何回も「やっちまいなぁ」を練習してしまったのだ。

キル・ビル

千と千尋の神隠しについて

2004年10月06日 | 映画コラム
千と千尋の神隠し  監督:宮崎駿

圧倒的に旬が過ぎている映画を観るのが好きだ。
今更ながら『千と千尋の神隠し』について僕の思ったことを書きたいと思う。

面白かった。さすがジブリの作品だ。でも、この映画を子供が喜んで観ているのは何故だろう?
だってこれって「イッツ・ア・資本主義」プラス「渡る世間は鬼ばかり」の映画だ。
つまりアングロサクソン人の経営理念を橋田壽賀子先生が味付けしたようなものなのだ。面白くないわけがないじゃないか!ただ大人に限る。

まあそれはそれで構わないと思って観ていたのだけれど、湯婆~婆(こう書くのだろうか?)の労働力の搾取のしかたって若手レスラーに対する渕正信の攻め以上にえげつないのだ。

だってあの銭湯で働いている奴等ってギャランティー無しなのだ。あれだけ大繁盛しているにもかかわらず労働者に賃金を支払わないのだ。フランスだったらとっくに革命が起きている。

しかも、儲け過ぎた妹(湯婆~婆)と儲け損なった姉が絶縁している。ここがポイントで、これって実社会でよく起こっていることなのだ。兄弟間、いやイチローとチチローを見るまでも無く、親子間でもお金のトラブルで簡単に亀裂が入る。兄弟間でも、妹などが嫁に行ったときに「本家の資産には一切関与致しません。」と一筆取っておかないと親が死んだ後でモメることになる。

多分そういうコトを宮崎氏は伝えたかったのだと勝手に思う。
僕が想像するに、大成功した彼はきっと親族間でモメたのだ。で、どうしても映画にしたかった。
だって人間、お金のトラブルほど嫌なものはないからだ。

たそがれ清兵衛について

2004年10月01日 | 映画コラム
たそがれ清兵衛  監督:山田洋次 主演:真田広之 宮沢りえ

だいぶ旬が過ぎてはいるが、「たそがれ清兵衛」を観た。

知人のM氏が僕に「聖なる嘘つき」(監督:ピーター・カソヴィッツ 主演:ロビン・ウィリアムズ)を観せたくて貸してくれたビデオにたまたま入っていたこの作品。日本の数々の映画賞を総ナメにした話題作。これは観なきゃでしょうというわけだ。

【お役所に勤めるも出世欲がなく、妻に先立たれ、痴呆症の母、二人の娘と一緒に暮らす清貧ド真中の「清兵衛」。嫁ぎ先で酷い目にあい、出戻ってきた清兵衛の友人の妹で気立てのいい「ともえ」。ある日、藩命で藩きっての剣の達人と戦うはめになってしまった清兵衛なのだが…】

と、観た方も多いと思うのでストーリー紹介は省かせていただくが、なんと言ってもこの作品は宮沢りえに尽きる。たそがれちゃってる真田広之もいいが、とにかく宮沢りえだ!

果し合いに向かわなければいけない清兵衛は、図々しいと思いながらもともえを呼ぶ。何かあったのだと察知し急いで清兵衛宅に来るともえ。さて、ここからだ。

清兵衛が藩きっての剣の達人との果し合いに向かうと聞かされたともえ。ここで一瞬のうちにともえの表情が変わるのだ。彼女は一瞬で全ての事情を理解する。

そこからのともえが凄い。女性の真の強さを一気に見せつけられる。

この宮沢りえを見た瞬間、ようやく僕は『サンタフェ』の呪縛から開放されることとなった...

ずっとずっと、あのキレイに揃った陰毛が頭から離れなかったのだ。

彼女は多分、いや間違いなくいろんなコトがあったはずだ。それが演技に出ているのだ。
この作品で、僕の中での彼女は「平成の大横綱」よりも上位にたった!

彼女にはもれなくMY紫綬褒章を授与しようと思う。

クラッシュについて

2004年09月29日 | 映画コラム
クラッシュ  監督:デビッド・クローネンバーグ 主演:ジェームズ・スペイダー

僕はD.クローネンバーグに思い入れがあるんです。やっぱり「裸のランチ」の影響が一番大きい。実写不可能と言われたバロウズの原作を見事なまでに表現したあの作品が今でも脳裏に焼き付いているから。

その後観た「スキャナーズ」「イグジステンス」などなど、どれも凄かったなあ…

しかしこの作品はいかがなものか?「交通事故は破壊的なものではない。むしろ生産的な性の開放なのだ」と独自の理論をぶちまける気狂いの男に次第に惹かれていく主人公。欲望の赴くままに誰とでもSEXしてしまう男と女。でもちょっと、いやかなりおかしい。

だって主人公は自分の妻が車の後部座席(この作品での性交は主に車の中で行われる。あっでもベッドもたくさんあったなあ。)でその気狂い男にやられてるのに、な~んにもできない。

そこまでその理論に心酔して、男を止められないのは分かるのだが、どう考えても交通事故と性を関連付けるのはやっぱり無理がある。

「傷に」なら分かる。実際、その理論の『入り口』にいる主人公は気狂い男の彼女らしき女の太ももにある大きな傷を愛しく思いSEXしてしまう。でもその先の交通事故ってやっぱりなんだかなという感じになってしまった。

しかし観終えてみると「それでもクローネンバーグは凄いのだ。」と思える。

やはりミステリアスな映像美にやられちゃうし、映画の冒頭、そして随所随所で流れるギターの音が「なんだかなぁ」という感じになってしまう心に「これは変な映画なんですよ」と語りかけ、こういう類の変な映画を観る時のマインドに戻してくれるから。

このサウンドは凄い!是非聞いて欲しい。

あと、なんといっても女優さんがキレイなんです。ラスト・タンゴ・イン・パリの欧陽菲菲でまいってしまった僕にとって、クラッシュの女優さん達はとても美しく映った。

たとえ演じてる役が、フリーセックスを是とし事故車両の中でわざわざレズプレイをする気狂い女であっても。

最近「Jガール(日本人女性の僕なりの言い方)以外も結構いいじゃん」と思う、ウタマロ代表の拙い映画批評でした。

ラスト・タンゴ・イン・パリについて

2004年09月29日 | 映画コラム
ラスト・タンゴ・イン・パリ  監督:ベルナルド・ベルトルッチ 主演マーロン・ブランド

この作品を観ようと思ったのは知人のM氏と「ポーラX」の話をしたのがきっかけでした。

「ポーラXの中で主人公のピエールとその姉と称するイザベル。絶対やってるってシーンがあるんですよー。暗がりだけど見えるんですよぉぉぉ」てな話を興奮しながら話した僕に「ラスト・タンゴ・イン・パリのマーロン・ブランド。ありゃホントにやってるな!」と確信を持って言い放ったM氏。

Mr.ゴッドファーザーの若かりし日の絡みをどうしても見たくなった僕がツタヤに愛車を走らせたのは当然と言えば当然なのでした。

こちらはマーロン・ブランドの絡みを期待しているわけなんだけども物語の最初に彼とその相手役の彼女が出会うシーンがあって.....裏切られてしまったあ。

なんとその娘の髪型は欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)だったのだ。この映画を観るというモチベーションが一気に下がってしまった。今一番の大注目がスウィング・ガールズの僕には強烈な仕打ち!しかしここからが、2004年Ver.の僕!

「なんのこたあない。ただのフランス映画として観ればいい」

芋焼酎を一気に飲み干した2004年Ver.の僕がそのマインドに到達するのに時間はかからなかった。

さていよいよ映画の感想。とにかくマーロン・ブランドの気持ち悪さが良い意味でも悪い意味でもこの映画の『コク』となっている。うす~く禿げた頭。微妙かつナイスな角度に出たお腹。顔にコッテリめに浮かんだ油。とにかくマーロン・ブランドが気持ち悪いぃぃ!

この気持ち悪さを持つ俳優を日本で思い浮かべたら。そうだそうだ、若かりし日のあの男。今みたく若いお姉ちゃんとの合コンがひたすら楽しいと現を抜かす前のあの男。なんかの映画で秋吉久美子の乳を思う存分揉みしだいてた頃の津川雅彦だ!

そんな話はいいとして、とにかくマーロン・ブランドの気持ち悪さを受け入れなければこの映画は観られない。つまりマーロンスープを飲み干さなければこの「ラスト・タンゴ・イン・パリ」ラーメンは完食にはならない。現実を受け入れる。大事なコトだなあ...

古びたホテルの経営者の中年男ポール(マーロン・ブランド)。妻が自殺し、傷心している彼のもとに部屋を探しに来た一人の若い女性ジャンヌ。二人はいきなり恋に落ち、『名前も名乗らないまま』一つの部屋で情事を重ねる。

ポールが「名前なんか要らない」と彼女を誘うところがポイント。この時の彼は妻と一緒に死にたかったんだと思う。そういうマインドだから誘えたんだ。後から分かることだが、彼は前立腺の病気で子供が作れない体になっていたからだ。

途中、ジャンヌに若い恋人ができ、彼も妻が生前に不倫をしていたコトを知る。彼から遠ざかろうとする彼女。こういう状況になって初めて彼は「まだ生きたい。この女と別れたくない」と思ったに違いない。しかしラストは.....

女は現実を見、男は夢を見るのだ。別れようとする彼女にすがるマーロンがたまらない。彼が持つ『コク』、常に曇りがちなパリの空、いかにもカビ臭そうな室内。それらがコラボレーションして独特の雰囲気をかもし出しているこの作品。

皆さんも機会があったら御覧になってはいかがだろうか。