昨日はgooブログのメンテナンスの為、非常に不便な思いをしてしまった。
まあ、タダでブログなんて楽しいものをやらせてもらっているからあまり文句も言えないけど、これだけ生活にブログが組み込まれちゃっているとリズムが崩れちゃう。
さて、まだまだ書き足らないので「愛のコリーダについて」の続きを書きたいと思う。
この作品を観て、同じ殿方として思ったのは「きっつぁん」は凄いチンチンをしているな!というコトだ。だって本当に休みナシなのだ。セックスしていない時だって常に「キュッ」って握られているし。
男性諸君なら分かると思うが、連続は「痛い!」のだ。まさに筋疲労ならぬ「チン疲労」。その点だけとっても連チャン連チャンの「きっつぁん」は凄い。
あとセックスが常に濃厚だ。フツーあれだけやったら飽きる。しかし「きっつぁん」は飽きない。「定」の底なしの愛欲にとことん付き合う。
いつも思うのだけど、すぐに「イク」男は馬鹿にされるは蔑まれるはで大変な思いをするのに、すぐに「イク」女は非常に賞賛されるし可愛さ50%アップになる。
酒に弱い男も馬鹿にされたり、口説く前に酔っちゃうなど不利益が多いのに対し、すぐに酔っちゃう女はもう賛辞の嵐が吹き荒れる。「わたし酔っちゃった...」は物凄くカワイイし期待が膨らむが、「おいら酔っちゃった...」では話にならないのだ。
逆に「ヤリチン」君のお父さんはちょっとカッコイイけど、「ヤリマン」さんのお父さんはちょっとカッコ悪い。これはどうでもいいか。
とにかくジェンダーフリーなんてお笑い種だ。男女間だけでなく、世の中は色んな「差」があるから面白いのだ。全く「差」の無い平べったい世の中なんて面白くも何ともないやい。
閑話休題。とにかく「きっつぁん」はリスペクトに値する。こういう男はいつの世もカッコイイよ。井原西鶴「好色一代男」の世之介もカッコイイもんなあ…
僕も今から…ってダメだ。だって連チャンはとっても痛いから。
まあ、タダでブログなんて楽しいものをやらせてもらっているからあまり文句も言えないけど、これだけ生活にブログが組み込まれちゃっているとリズムが崩れちゃう。
さて、まだまだ書き足らないので「愛のコリーダについて」の続きを書きたいと思う。
この作品を観て、同じ殿方として思ったのは「きっつぁん」は凄いチンチンをしているな!というコトだ。だって本当に休みナシなのだ。セックスしていない時だって常に「キュッ」って握られているし。
男性諸君なら分かると思うが、連続は「痛い!」のだ。まさに筋疲労ならぬ「チン疲労」。その点だけとっても連チャン連チャンの「きっつぁん」は凄い。
あとセックスが常に濃厚だ。フツーあれだけやったら飽きる。しかし「きっつぁん」は飽きない。「定」の底なしの愛欲にとことん付き合う。
いつも思うのだけど、すぐに「イク」男は馬鹿にされるは蔑まれるはで大変な思いをするのに、すぐに「イク」女は非常に賞賛されるし可愛さ50%アップになる。
酒に弱い男も馬鹿にされたり、口説く前に酔っちゃうなど不利益が多いのに対し、すぐに酔っちゃう女はもう賛辞の嵐が吹き荒れる。「わたし酔っちゃった...」は物凄くカワイイし期待が膨らむが、「おいら酔っちゃった...」では話にならないのだ。
逆に「ヤリチン」君のお父さんはちょっとカッコイイけど、「ヤリマン」さんのお父さんはちょっとカッコ悪い。これはどうでもいいか。
とにかくジェンダーフリーなんてお笑い種だ。男女間だけでなく、世の中は色んな「差」があるから面白いのだ。全く「差」の無い平べったい世の中なんて面白くも何ともないやい。
閑話休題。とにかく「きっつぁん」はリスペクトに値する。こういう男はいつの世もカッコイイよ。井原西鶴「好色一代男」の世之介もカッコイイもんなあ…
僕も今から…ってダメだ。だって連チャンはとっても痛いから。