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ウタマロ代表の勝手にコラム!

プロレス者「ウタマロ代表」が想う、そして綴る!
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普通「大黒様」と言ったらこの方だろうに

2005年06月17日 | 仏教や神道のコラム
【大黒天】だいこくてん

サンスクリット語でマハー・カーラ。ヒンドゥー教の最高神。別名シヴァ。仏教に取り入れられて大黒天になった。

古来は戦闘の神だったが、中国に伝わってからは、寺院の守護神、豊穣を司る神になり、さらには財宝を授ける福神となった。

このような性格から日本でも人気を得た大黒天。「だいこく」という名が、出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)と通じることから神仏習合され、今日、七福神の一人として親しまれている。

温和な表情で俵の上に乗る大黒天は、大国主命の温厚な人柄のイメージが大で、実際は上の写真のような恐ろしい忿怒形(ふんぬぎょう)をしている。

最近はサッカーの大黒しか注目されてないんで、こんな夜遅くだけど、僕だけでも大黒天をフィーチャーしたかった。

…ここのところエロネタばかりだったので、たまにはこんなのもやらないと。

このコラムを読んでくださる皆様が福徳円満でありますように。

それではおやすみなさい…。


「サッカーの大黒は髪の毛を染めすぎだな」と思う方。くりくり…(*・ ・*)おねがいおねがい♪
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妙心寺「雲龍図」

2005年03月01日 | 仏教や神道のコラム
だいぶエロネタが続きましたので、もう少しだけ心の中和をしましょうか。

写真は京都 妙心寺 法堂の天井画。狩野探幽による「雲龍図」。

明暦2年(1656年)の作。

圧倒的迫力!邪な心でいると食べられてしまいそう。

僕なんかエブリデイ・エブリミニッツ食べられちゃいそうだ。

「エロ菩薩」という生き方2

2004年11月05日 | 仏教や神道のコラム
一ヶ月以上続けてきた僕のくだらないブログではあるが、こないだある方から「エロ菩薩という生き方」についてコメントをいただいた。そのコメントから只者ではないと察した僕は、その方のブログに行ってみて茫然自失。仏教に対する知識の深さとブログの内容の面白さにパソコンの画面に向かって今年二回目のスタンディングオベーションをしてしまった。

現代日本人が「私は何も信じない」「僕は無宗教です」てなコトを平然と言うのに物凄く違和感を覚える。海外旅行して「貴方の宗教は?」と聞かれ「無宗教です」と答えれば、それは即ち「共産主義者」「唯物論者」というコトである。刺されはしないが嫌われるだろう。日本の常識は世界の非常識なのだ。

戦後民主主義教育における「左」の方々の大いなる努力?のせいなのだろうか、日本人の宗教に関する認識は低く、バランス感覚も非常に歪んでいると思う。歴史とともに育まれたこの国の大いなる遺産を軽視しすぎた結果である。

神社の参拝の仕方も分からないし、御祭神の区別も付かない。そもそも神社とお寺の区別が付かない人達が非常に多いってのが今の現状だろう。なんてこった...

でも最近少しブームなのだろうか。周りでも興味を持っている方が増えてきたように思う。仏教も神道も学べば非常に面白い。イデオロギーうんぬん以前に学問としての面白さをアピールしたい。

僕が今注目しているのは「密教」だ。その方からも勧められたのだが、密教の「煩悩を、苦の元と考えずに肯定する」というコンセプトが気に入った。

僕はバリバリ「孔雀王」世代である。荻野真の描くエロティックな世界に憧れた者の一人だ。エロの代表として生きてきた僕だもの、ここいらで本当に「エロ菩薩」になってやろうと思っているのだ。

「エロ菩薩」という生き方

2004年11月02日 | 仏教や神道のコラム
皆さんも今まで生きてきた過程で、必ず「エロ如来」と呼ばれる人物が居たと思う。中学時代であれば先輩でちょっとエロに詳しい人が居たら即「エロ如来」になっていたし、もしその人物が僕らがまだ見ぬ女性の未知なる部分の形状や女性がイった時の様子を説明などしようものなら、教室は大パニックになったものなのだが…

最近の日本人は「30歳成人説」があるくらい精神面で大人になるのが遅いくせに、性的なコトばかり弱年齢化が進んでいる。つまり青二才のくせに一人前ににセックスばかりしている輩が非常に多いし、童貞にしたって情報化が進んでいるから「女性の未知なる部分の形状を想像する」なんてコトはしないだろう。

つまり「エロ如来」なんて今の世の中には必要ないわけだ。これは由々しき事態である。

ここで「如来」の説明をしたい。如来の「如」というのは真理という意味で、真理(如)に到達した(悟った)人という意味である。また真理(如)に到達して、その真理を教えて人々を救うために、真理の世界から来た(来)人という意味にもなる。普通「如来」という場合は後者の意味合いで使う。

如来は真理を完全に悟って、完全な人格を備えている。だから僕らの「エロ如来」など「如来」であるわけがないのだ。煩悩だらけでオナニー三昧の「如来」などいないからだ。

そう考えると「如来」になる為に修行中の身である「菩薩」のほうがまだ意味合い的にはあっているかもしれない。
「菩薩」は「如来」になる為に修行中ではあるが、大乗仏教において「菩薩」は基本的に悟りを開いて「如来」になることが約束されている。しかしここからがミソで、あえて悟りの世界に入らずに人々を救済するのが「菩薩」のいいところなのだ。

僕自身三十代になっても、煩悩だらけでオナニー三昧の日々を送っている。でも最近「エロ菩薩」になってみたいという気がしている。僕自身全く救われてないので、本当の「エロ菩薩」がいたら救って欲しいものだが、「エロ菩薩」という響きが気に入ってしまった僕はこれから「エロ」に悩む人々を救済しようかと思っている。

具体的なプランはないし、僕のコトだから「エロ菩薩」ならぬ「エセ菩薩」になってしまいそうだ。僕ごときのエロレベルで救えるのは童貞諸君ぐらいかもしれない。いや童貞が一番救えないかも。でも…とにかくやってみようと思う。

最初は何をしようか…そうだ童貞の〇〇に早速エロ説法を説いてやろう。そして、そのあと及川奈央のビデオをプレゼントしよう。僕の「エロ菩薩道」はまだ始まったばかりなのだ。

愛染明王について考える

2004年10月02日 | 仏教や神道のコラム
僕の知人には「M氏」が多い。いつもこのコラムに登場するM氏はLadyEllaのM氏なのだが、今回はあるドラッグストアの店長のM氏の話である。
そのM氏。僕と同じく仏教に精通しているのだが、「一番好きな仏は?」と聞かれ、間髪入れず「愛染明王」と答えた。今日はその愛染明王について考えてみたい。

愛染明王はサンスクリット語でラーガ・ラージャという。ラーガは「愛欲」って意味だ。ラージャの意味は「王」。大日如来または金剛薩埵の変化身とされる。
まさに「愛欲の王」!煩悩の塊!明王版『加藤鷹』としておく。

こんな一見、仏教の教えに反するような名前の愛染明王。でも愛欲を悟りの心に高めて、男女間の様々な悩みを救ってくれるありがたい明王なのだ。
上杉謙信が毘沙門天を、源頼朝が八幡神(応神天皇:誉田別命)を守護神としたように、M氏の弟子であるF君は愛染明王を守護にすべきなのだ。

煩悩ってやっぱり悟りの妨げだから教えに矛盾する。だけど密教では「宇宙のあらゆる存在現象は普遍的真理として大日如来から生じ、また大日如来に帰一する。」と考える。だから愛欲のように強い煩悩もやがては真理に融合すると考えるのだ。

う~ん仏教って奥が深い、異常に寛容だ。いや無茶苦茶か?でもやっぱりモノって考えようだ。

関係ないけど、AV女優の初回指名率、リピート率ともにナンバー1なのが加藤鷹だ。
鷹さんってカラミが終わってカメラが回らなくなってからも女優を抱きしめ、耳元で甘い言葉をささやくらしい。
そこがバツグンらしいのだ。コトが終わってからすぐタバコを吸うような男では駄目というコトなのだ。

間違いなく加藤鷹を守護しているのは愛染明王だと僕は勝手に思っている。