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ウタマロ代表の勝手にコラム!

プロレス者「ウタマロ代表」が想う、そして綴る!
読者の皆様と一蓮托生!目眩くエロティックワールドへようこそ!

「青天の霹靂」~ウタマロ学習デスク Vol.4~

2004年11月16日 | ことわざと四字熟語
思いがけなく起こる突然の大事件や出来事のこと。また、突然受ける思いもよらない衝撃のたとえ。「青天」は青空、「霹靂」は雷鳴の意。

青天の霹靂といえば「サーヤ」こと紀宮さまと黒田さんの御成婚だろう。しかし皇室の方に「サーヤ」ってのもちょっとないよなあ…

いやあビックリした。全く思いがけなく起こった突然の出来事だった。まさに「青天の霹靂」である。

「四苦八苦」~ウタマロ学習デスク Vol.3~

2004年11月06日 | ことわざと四字熟語
非常に苦労すること。人間の様々な苦しみ。

もとは仏教語だ。人生における基本的な四苦(生・老・病・死)に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて八苦とする。転じて非常に苦労することの例えになっている。

愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):憎んでいる人に会う苦しみ
求不得苦(ぐふとくく):欲しいものが得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごおんじょうく):五蘊から生ずる心身の苦しみ

は~あ、僕なんか毎日いろんなコトに四苦八苦しております。
仏教がもとになっている四字熟語って非常に多い。これからも紹介していく予定です。

「塞翁が馬」~ウタマロ学習デスク Vol.2~

2004年11月03日 | ことわざと四字熟語
「人間万事塞翁が馬」とも言う。
人生、思いがけないことが幸運を招いたり、不幸につながったりするので、誰にも予測はつかないということ。だからやたらに喜んだり、悲しんだりしてもはじまらないということ。

由来はこうだ。
『昔中国の北辺の国境近くに「塞翁」(さいおう)というじいさんが住んでいた。ある日、そのじいさんの馬が逃げ出してしまったけど(不幸)、すぐにその馬は1頭の優秀な馬を連れて帰ってきた(幸運)。ところが、そのじいさんの息子(一体何歳なのだろう?)が馬に乗ったら落っこちて怪我をしてしまった(不幸)。でもその怪我のおかげで、戦死者がたくさんでた戦争の兵役を免れた(幸運)。』

僕はこの諺を知ってから、良い事があっても悪い事があってもあまり気にしないでいられるようになった。ターザン山本!氏曰く「人は言葉(場合によってはお金)によってしか救われない」。

僕は「人間万事塞翁が馬」によって救われたコトが何度もあるのだ。

「情けは人の為ならず」~ウタマロ学習デスク Vol.1~

2004年11月02日 | ことわざと四字熟語
明日は「文化の日」なんで「ことわざと四字熟語」のカテゴリーを立ち上げた。僕自身もっと日本語を知りたいから、このブログに書くことで勉強になると考えた。皆さんも是非お付き合い願います。

kuroyasuさんの新潟中越地震についてのコラムに「情けは人の為ならず」という諺が出ていたのを見て思い出した。僕が今のように謙虚な人柄ではなかった高校時代。この諺の使い方を間違えたばかりに、国語の先生から物凄く馬鹿にされた思い出がある。先生という立場の人が生徒を馬鹿にするのはいかがなものかと思うが、「お前なんかに教わらなくても分かってる」みたいな僕の態度が常日頃から気に食わなかったのだと思う。僕のコトを嫌いという人は結構多いし、もう慣れっ子である。結果この諺の意味を正確に理解することとなったのだから感謝している。

勿論知っている人が大多数だと思うが、この諺は「人に情けをかけるのは、その人の為にならないから良くない」という意味ではない!本当の意味は「人に情けをかけておけば、いずれめぐりめぐって自分のためになる。だから、人にはどんなときも親切にしておいたほうがよい」というコトである。

『人の為ならず』は「人の為にならない」のではなく「人の為でなく、自分の為である」というコトなのだ。

こういうふうに書くと「結局その情けは自分の為にかけるのだから、利己的でいやな態度だ」と思う方もいらっしゃるだろうが、多分それは間違いだ。だって情けはいずれめぐりめぐって自分の為になるかもしれないが、もしかしたらめぐって来ないかも知れないからだ。

昔の人が言いたかったのは「人にはどんなときも親切にしておいたほうがよい」という部分だろう。何故ならめぐりめぐって自分のためになったその人間はまた他人に親切をするから。

こういう言葉一つとっても日本って良い国だと思う。僕なんか最近皆に親切しまくりだもの。...決して利己的態度じゃないですよ。