赤カブ不動産屋の独り言

 赤かぶを作り、漬けて30余年。今年は焼畑は止めて漬けるだけ。
 不動産や広告で起業して10年になります。助けられて。

新潟-埼玉-大阪の糸・・・

2018-06-15 11:47:27 | 日記
 昨夜は大宮清水園でアサヒビールの会がありました。
 NPOで当時の泉谷社長に講演をお願いした縁で、以後関係が…
 平成22年11月の事でした。
 場所も清水園で252名のご参加で、NPOとしては最大の開催で。

 当時のH支社長・H支店長が骨を折ってくれたんです。
 特にH支店長は豪傑で人情味のある方でしたね。
 今では関西統括責任者のようです。
 
 やっぱりね、と言う感じです。

 そうそう、アサヒビールの支社長が挨拶したときにね。
 大阪創業だが埼玉との繋がりを話してましてね。

 創業130年前は大阪で大阪麦酒として産声を上げて。
 埼玉の偉人渋沢栄一の尽力もあるのですが。
 渋沢に見いだされた新潟長岡藩士外山修造が発起人となり、尽力されたのです。

 外山修造は阪神電鉄の創業にもかかわり、社長にも就任されてるんですね。
 そうですね、阪神タイガースだって新潟県人が作ったとも言えるね。

 長岡藩家老河合継之助と共に戊辰戦争で敗戦し、会津藩に敗走したときに。
 怪我を負った河合継之助から「戦が終わったら商人になれ。武士の時代ではない」と言われ。
 河合継之助は慶應義塾の福沢諭吉宛に添え状を書いてくれたと。

 28歳で慶應義塾に入塾し、以後大蔵省に入省。
 銀行業に精通されて、渋沢栄一翁に見いだされたのかもしれませんね・・・
 初代日銀大阪支店長にも就任されて。
 大阪の経済界で活躍されたようです。

 赤カブ不動産屋は越後と渋沢栄一翁と言えば、新発田出身の大倉喜八郎を思い起こしますが。
 外山修造のような経済界での偉人は知らなかったんですね。
 
 新潟-埼玉-大阪の新たな糸が見えた一日でした。
 
 大阪で創業のアサヒビールとご縁がありましたが。
 新潟・埼玉そして大阪のご縁は新鮮でしたね。

 でね、「阪神タイガースは新潟県人が作った」と大きな声で言いたいね。

 あ、帰りは〆に大宮の青葉でつけ麺を頂きました。
 


 今日もどうぞ宜しくお願い致します。
 そして今週も応援ありがとうございました。
 
人気ブログランキング
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 滅多にない事が・・・ | トップ | 色々と起こった週のスタート... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事