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【イギリス-2-2】 14世紀 エドワード3世からヘンリー6世までの100年戦争

2020年12月02日 | 世界史-欧米・ロシア

【100年戦争は1337-1453年に渡って続いた】

 イングランド王家(プランタジネット朝)がフランスに所有する広大な領土をめぐり、フランスヴァロワ朝、ランカスター朝の王家と戦った戦争。エドワード3世が、英王だけではなく、仏王にもなろうと主張したことが発端で勃発する。

シャルル王太子(戴冠式を行う地・ランスがイギリス領だったので戴冠式が出来ずに王太子)は納得できないまま、100年戦争は続く。

ヘンリー5世は二重帝王になれずに1422年に赤痢で死去。

しかしヘンリー6世が即位。100年戦争ではフランスオルレアンを包囲し、イングランド勝利が目前。

この時にフランスに登場したのがジャンヌダルク。オルレアン包囲は解かれジャンヌはシャルル王太子とともにランス(戴冠式が行われる場所)に入り、王太子はシャルル7世として即位した。

後にジャンヌはイングランドに捕えられ、ヘンリー枢機卿の尋問を受けている。1年後ジャンヌは火刑に処された1431。

ほぼ有利を保っていたイギリスは、最後で大逆転されたためにランカスター家ヘンリー6世は責任問題

かくして親戚のヨーク公・エドワード4世が後を継ぐ。ランカスター朝からヨーク朝に代わる。

イングランド内に於ける権力を握った枢機卿はフランス領土獲得に乗り出すが失敗。枢機卿勢力のサフォーク伯はフランスとの和平(1444トゥール和約)に乗り出す。これで、ヘンリー6世はマーガレットと結婚、メーヌ地方をフランスに返還。これがきっかけで1450年ノルマンディーも奪還される。カステイヨンの戦いでも敗走、1453年に100年戦争は終わった。

  

エドワード3世1312-1377👑(在位50年)この頃ペストが大流行
 ┃  ①英王(1327-1377)だけではなく、仏王にもなろうと主張したことが発端で【100年戦争】が勃発する
 ┃   当時仏カペー家のシャルル4世👑1294-1328が後継ぎを残さず死亡した。王位はヴァロワ家の
 ┃   フィリップ6世👑1293-1350(シャルル4世の従兄弟)が継承(男系子孫)し、イングランドに敵対、侵攻。
 ┃   シャルル4世の甥にあたることから、王位継承者(女系子孫:有り得る)を主張して対抗する
 ┃   そして王家の紋章に「ゆり:フランス王家の象徴」を追加変更した。
 ┃   【100年戦争】1337-1453 
 ┃   当初は英有利、⇒1360年ブレティニー条約で英は広大な領土獲得
 ┃   仏王がシャルル5世👑1338-1380(在位は1364-1380)の時代になると仏南西部領土獲られて劣勢 
 ┃       ┣シャルル6世👑1368-1422(在位は1380-1422)
 ┃      ジャンヌ・ブルボン1338-1378(250年続くブルボン家の初期)

  ┣エドワード黒太子1330-1376:コーンウオール公(イングランド初の公爵位) 
 ┃ ┃ ②100年戦争では黒い鎧をまとって活躍したが、父・エドワード3世より早くに死去    
 ┃ ┃    

 ┃ ┣リチャード2世👑1367-1400(戦争は好まない)    
 ┃ ┃ ┣    
 ┃ ┃イザベラ1389-1409(シャルル6世の娘) 
 ┃ ┃ 
 ┃ ┃ ③1377年に10歳で王位を継承(貴族が摂政)し、16歳の頃には自ら治政。この頃のフランスも       
 ┃ ┃  シャルル6世👑1368-1422が王位に就く。が、仏では内部争いがあり、シャルル6世は精神異常・発作(近親婚疾患)   
 ┃ ┃  英-仏は30年間の休戦協定結び、シャルル6世の娘・イザベラ1389-1409と結婚(1396)  
 ┃ ┃  この協定(ブレストを仏に返還)、結婚、政治体制(議会意見無視)評判悪く、反乱発生 
 ┃ ┃  その中心人物がジョンの息子ヘンリー・ボリングブルック(ヘンリー4世)
  
 ┃ ┃  首謀者は処刑・追放となったが、ヘンリーはお咎めなし

 ┃ジョーン・ケント1328-1385
 ┃
  ┣イザベラ
  ┣ジョアン
  ┣ウイリアム
  ┣ライオネル1338-1368クラレンス公
 ┃ ┃   ⑤民衆の支持を受けてヘンリー4世が王位に就いたが、本来はリチャード2世の後継者は
 ┃ ┃    ライオネルであったが、1399年には既に死亡。娘のフィリッパしかいないが、女系王位継承は可能
 ┃ ┃
 ┃ ┗フィリッパ1355-1382
 ┃  ┣エリザベス1371-1417
 ┃  ┣マーチ伯ロジャー1374-1398
 ┃  ┃  ⑥ヘンリー4世治世の財政難で苦しむ民衆は、反乱軍を擁立してマーチ伯の王位継承を主張
 ┃  ┃   シュイルズベリーの反乱ではヘンリー5世が負傷、ロジャー伯は軟禁され、死亡した。
 ┃  ┃   かくしてモーティマー家は断絶している。 
 ┃  ┃
 ┃  ┣エドマンド1376-1411
 ┃ エドマンド・モーティマー1352-1381
 ┃ 
  ┣ジョン  1340-1399ランカスター家の祖 徽章は赤薔薇

 ┃┗ヘンリー4世👑1367-1413(在位1399-1413)
 ┃ ┃  ④リチャード2世への反乱時はランカスター家の影響力によって無事だったが、その6年後追放処分 
 ┃ ┃   追放中の1399年に父・ジョンが死亡したため、父の広大な領地、財産はリチャード2世に没収された
 ┃ ┃   かくしてヘンリーは追放先のパリから帰国して軍を編成すると、リチャード2世の留守中に城を陥落 
 ┃ ┃   リチャード2世を逮捕、廃位、ボンテフラクト城に幽閉し、自らはヘンリー4世として1399年に即位
 ┃ ┃   これで、250年続いたプランタジネット朝は終わり、ランカスター朝が始まる
 ┃ ┃
 ┃ ┣ヘンリー5世👑1386-1422
 ┃ ┃  ⑦1415年に即位すると、2年後には100年戦争を再開しアジャンクールの戦いで勝利し、
 ┃ ┃   1419年、ノルマンディー攻略戦でルーアンを陥落させ、王位継承の正当性など言う人は居なくなった
 ┃ ┃   狂気王の異名を持つ【シャルル6世】がフランス国内を混乱させていたことも有利にはたらいた。
 ┃ ┃              ┣キャサリン1401-1437
 ┃ ┃              ┣シャルル王太子1403-1461 ⇔ ジャン1世1371-1419
 ┃ ┃             イザベル(アルマニャック派)  (ブルゴーニュ派)┗フィリップ3世1396-1467
 ┃ ┃   シャルル王太子(後のシャルル7世)とブルゴーニュ公ジャン1世は和解交渉を開始したが、その時ジャン1世が暗殺された
 ┃ ┃   ジャン1世の後継フィリップ3世は、英・ヘンリー5世と同盟(1920年トロワ和約)を結び、シャルル6世の娘
 ┃ ┃   【キャサリン】がヘンリー5世の妃となり、後にはフランス国王になる・・という和約だった
 ┃ ┃       ┣ヘンリー6世👑1421-1471(在位1422-1471)
 ┃ ┃   ヘンリー5世 ┣1444トゥール和約による
 ┃ ┃        マーガレット1445-1471(シャルル7世妃の姪)
 ┃ ┃ 
 ┃ ┃   イザベルは夫シャルル6世の暴力に耐えかねて、アルマニャック派ルイ(シャルル6世の弟であり愛妾)と共謀して夫暗殺を計画
 ┃ ┃   とことがルイが暗殺されたことでイザベルはブルゴーニュ派へ鞍替え
 ┃ ┃   1422年ヘンリ5世、シャルル6世が死亡。ヘンリー6世は英王になるとともに仏王を主張、仏オルレアンを包囲
 ┃ ┃   ここで現れたのが17歳のジャンヌ・ダルク1412-1431である
 ┃ ┃
 ┃ ┃  ⑦シャルル王太子は納得できないまま、100年戦争は続く。が、ヘンリー5世は二重帝王になれずに1422年に赤痢で死去
 ┃ ┃   しかしヘンリー6世が即位。100年戦争ではフランスオルレアンを包囲し、イングランド勝利が目前。
 ┃ ┃   この時にフランスに登場したのがジャンヌダルク。 オルレアン包囲は解かれジャンヌはシャルル王太子とともに 
 ┃ ┃   ランス(戴冠式が行われる場所)に入り、王太子はシャルル7世として即位した。
 ┃ ┃   後にジャンヌはイングランドに捕えられ、ヘンリー枢機卿の尋問を受けている。1年後ジャンヌは火刑に処された1431。
 ┃ ┃
 ┃ ┃   イングランドと同盟を結んでいたフィリップ3世は、賠償金と引き換えにシャルル7世を認め、英との同盟を破棄1435.
 ┃ ┃
 ┃ ┣ハンフリー1390-1447(ヘンリー6世の摂政)
 ┃ ┃   ⑧フランスでシャルル7世が即位した頃、イングランドヘンリー6世はその座を狙われる。ねらったのは当時権力を
 ┃ ┃    握っていたハンフリー、ヘンリー枢機卿。ある日黒魔術でヘンリー6世の暗殺を謀ったとしてハンフリーの
 ┃ ┃    妻は逮捕され、ハンフリー自身も謎の死を遂げる(ヘンリー枢機卿の罠か?)
 ┃ ┃
 ┃ ┣他

 ┃ メアリー1368-1394
 ┃┣ジョン1371-1410ボーフォート家始祖
 ┃┃┣ジョン   ⑩フランス領土獲得に乗り出すが失敗
 ┃┃┗サマセット公⑩ノルマンディー(ノルマン朝重要拠点)も奪還される⇒国外追放中に暗殺
 ┃┃        財政難、政治不和が加速されて民衆が反乱起こす。要求はヨーク公リチャードの登用
 ┃┃        ヘンリー6世の反乱鎮圧交渉失敗し、国王軍を送るが敗走、反乱軍はロンドンに入るが
 ┃┃        略奪等で統率なく終息。
 ┃┃
 ┃┣ヘンリー枢機卿1375-1447
 ┃┃    ⑨イングランド内に於ける権力を握った枢機卿はフランス領土獲得に乗り出すが失敗
 ┃┃     枢機卿勢力のサフォーク伯はフランスとの和平(1444トゥール和約)に乗り出す
 ┃┃     これで、ヘンリー6世はマーガレットと結婚、メーヌ地方をフランスに返還
 ┃┃     これがきっかけで1450年ノルマンディーも奪還される
 ┃┃
 ┃┣ジョウン1379-1440

 ┃┃
 ┃キャサリン1350-1403(愛人であったが3回目の結婚相手)   
  ┣エドマント1341-1402:ヨーク家の祖 徽章は白薔薇
 ┃ ┗リチャード・コニスバラ1385-1415
 ┃   ┗ヨーク公リチャード1411-1460
 ┃    ⑪アイルランドから帰国するが、フランスに負け続け、カステイヨンの戦いでも敗走
 ┃     1453年に100年戦争は終わった 
 
 ┃
フィリッパ1314-1369(父:ギョーム1世 母:ヴァロワ伯ジャンヌの孫)

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