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日本橋の呉服屋・白木屋はもと材木問屋

2010年07月06日 | 池波正太郎 江戸時代

 三井越後屋の北側500mくらいのところには長崎屋があったが、今は長崎屋跡碑しかない。 また、三越の南側500mくらいのところには、現在日本橋COREDOがあるが、ここには1999年まで東急百貨店があった。 じつは当時は白木屋として営業していた。 もともとは木材商であった初代・木村彦太郎が京都で白木屋・呉服問屋を開き、京都の呉服屋として名が知られた後、江戸に進出したのは1662年のことというから、350年前のことである。 白木屋は越後屋、大丸屋とならんで江戸三大呉服屋のひとつで、初代・木村彦太郎が開いた時代は、江戸が大きな都市として膨らみ、水の悩みは絶えず、白木屋の店内に井戸を掘ることにした。 ある日、井戸掘りの鍬の先に何か手応えがあり、一体の観音様が出現して以来良水がこんこんと湧き出してきた。 白木屋は店内に祠を建て、観音様をまつったところ、人々の参詣はひきもきらず、「東都歳時記」にも出てくるくらいの江戸名物となり、この霊水のおかげで、長年の病気が癒えたという人も出たという。 閉店に当たって、白木名水は白木屋と共に取壊わされたが、現在は「名水白木屋の井戸」の石碑として、COREDO日本橋別館の広場に再現されている。 また、その隣にはなにやら夏目漱石の碑もあり、両国生まれの江戸っ子・夏目漱石のことは、また改めて書くこととして、白木屋とは縁が深いようである。

名水白木屋の井戸の石碑はCOREDO館内憩いの場にありました

 

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