白樺派の柳宗悦@我孫子
白樺文学館を創設したのは柳宗悦1889-1961
・思想家であり民藝運動の主唱者
・1909 頃には武者小路実篤1885-1976(愛と死)や志賀直哉1883-1971(暗夜行路)と知り合う
同人誌「白樺」を準備
英陶芸家・画家のバーナード・リーチ1887-1979と親交
・1910 明治天皇より銀時計を授与される
東京音楽学校の中島兼子と出会う
白樺派面々とともにロダンに傾倒
【オーギュスト・ロダン1840-1917】 地獄の門 カレーの市民@国立西洋美術館
当時のアカデミズム(エコール・デ・ボザールという美術学校)からは評価されず
理由:新古典主義とは異なる嗜好の作品だった
白樺を創刊:特集は「ロダン第70回誕生記念号」
印象派に傾倒する:白樺派による美術運動
【セザンヌ、ゴッホ、ルノアール、マネ等々】
当時のアカデミズムには評価されず、サロン(アカデミックな作品展)からは拒否された
従って印象派の画家達だけでアンデパンダン展(誰でも出品可能)を開催
白樺派:アカデミズムに異を唱え、個性を尊重 西洋印象派などを紹介
東京帝大に進学
・1913 東京帝大卒業
・1914 中島兼子1892-1984と結婚
宗悦の叔父・嘉納治五郎の別荘@我孫子の近くに転居
武者小路実篤、志賀直哉など白樺派の面々も我孫子手賀沼に移住
宗悦の自宅にあったロダンのブロンズ像を見た浅川伯教1884-1964との縁で朝鮮の工芸品に興味を持つ
・1916 白樺文学館設立:現在の白樺文学館は立て直したもの
宗悦の妻兼子の実家が土地・資金調達
朝鮮訪問
・1919 大学教授となり教鞭
朝鮮弾圧を非難:少数派
朝鮮美術(陶磁器)に注目
・1921 妹が朝鮮総督府勤務の今村と結婚
・1924 李朝鮮時代の日用雑貨に美を見出す
・1925 陶芸家と親交、「民藝」について説く
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・1931 雑誌「工藝」を創刊 :民芸運動の機関紙
日本民芸教会設立
大原孫三郎1880-1943の支援 :岡山倉敷の大原美術館(日本初の西洋美術館)創設者
・1952 志賀直哉とともにヨーロッパ周遊:国際工芸家会議
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白樺派の志賀直哉@我孫子
白樺の代表的な志賀直哉1883-1971
・小説家:暗夜行路@1921-1937
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柏市にあるホワイト餃子
開店前から大行列
山下清が働いていた弥生軒@柏駅
白鳥の親子が居る@我孫子の手賀沼
葱だらけ@横浜ラーメン・寺田家
昔ながらの煎餅屋・木川商店
100年前のマスコミ人 杉村楚人冠
杉村楚人冠1872-1945
・朝日新聞取締役 随筆家
・1903 朝日新聞入社
・1924 我孫子へ移住
星新一に影響を与える
・1951 邸宅跡に句碑:陶芸家の製作
極楽温泉のあとは手賀沼名物のうな重