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戒律を確立した鑑真和上

2009年11月14日 | 奈良・飛鳥時代

 鑑真和上688-763は、752年に渡日を決意したが当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しみ渡日を許さなかった。そのために753年に遣唐使が帰日する際に遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否したが、副使の大伴古麻呂が密かに鑑真を乗船させた。その渡航は暴風のため困難を極めたが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は渡日を果たす。 753年、鑑真は太宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、754年には平城京で聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇を設立し東大寺に住する。 常設の東大寺戒壇院が建立され、761年には日本の東西で登壇授戒が可能となると戒律制度が急速に整備されていった。 758年淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。 759年には新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置した。 763年唐招提寺で死去したときに弟子の忍基が鑑真の彫像(脱活乾漆木彫)を造り、それが唐招提寺・御影堂に伝わっている唐招提寺鑑真像である。

唐招提寺にある戒壇と鑑真の御廟

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