戦国時代中頃の天文年間に因幡の守護である山名誠通と対立する但馬山名氏の付城として成立した。武田高信は誠通の滅亡後、因幡山名氏の家臣であったが永禄年間には鳥取城を拠点とした。守護家に対して優勢になった高信は名目上の守護・山名豊弘を擁立し下剋上を果たした。1573年、尼子再興軍による鳥取城の戦い後、毛利豊元が城主となった。1580年に織田方・羽柴秀吉の第一次鳥取城攻めで3か月の籠城戦の末、9月に信長へ降伏、臣従した。秀吉は播磨・三木城攻め(三木合戦)で行った兵糧攻めをここでも実施した。江戸時代になると、関ヶ原の戦いの近江甲賀郡水口岡山城攻めでの功により、池田長吉が6万石で入り、池田氏によって近世城郭に改修された。1617年、さらに池田光政が因幡・伯耆32万5,000石の大封で入府、鳥取城も大大名に相応しい規模に拡張され、城下町の整備も行われた。その後ふたたび、備前岡山藩に入っていた池田氏と所領の交換が行われて池田光仲が入封、そのまま12代続いて明治維新を迎えた。

















