鳥戸野陵 (京都府京都市東山区今熊野泉山町)
木曾義仲の首を密かに火葬にした山吹
範頼、義経その他の鎌倉武者の華々しい行列が、亡き将義仲、兼平、根井、盾などの首級を掲げて六条東獄の門へ向かっていた。 首は宿命の木にかけられる。ところが数日後、義仲の首だけが盗まれていた。 ある夜、鳥辺野に身を横たえた女雑兵は一個の首を火葬していた。 泣いて泣いてそれを灰にしていた。義仲が最後の戦に出る朝に葵の矢に射抜かれた山吹であった。 射抜かれたところは倶梨伽羅峠で山吹が葵を射抜いたと同じ深腿である。 山吹は後に義仲の遺骨を抱いて北陸のにて生涯供養を余生の生活として長寿したそうである。
一条天皇に心から愛されていた定子
1000年12月16日、皇后藤原定子は皇女を出産しますが、難産のためにお亡くなりになりました。24歳でした。 定子は藤原道長の兄・藤原道隆と、歌人として名高い高階貴子の娘として977年に生まれ、990年1月5日に一条天皇が元服すると、その月25日に入内し、2月11日に女御、10月5日には立后して中宮となります。当時14歳でした。 定子は母譲りの才女でした。11歳の一条天皇は、彼女を姉のように慕い、二人は熱い愛を育てていきます。この定子に仕えたのが「枕草子」で有名な、あの清少納言です。枕草子のなかで、定子の洗練された会話、漢詩・和歌に秀でた教養、そして可愛らしくみずみずしい定子が表現されています。当然のことながら一条天皇は定子に影響され、芸術・文化に開眼し、そして熱愛していくのです。 995年4月、定子の父道隆が亡くなると周囲は一変します。右大臣の藤原道兼が関白に昇進し、その後任に満を持して藤原道長が就任。次第に政治の実権を取っていくのです。翌年、事件がおこりました。定子の兄の藤原伊周が花山上皇に矢を放つという事件です。兄が太宰府に流されると、味方は幼い天皇一人になってしまいました。 999年11月7日、定子は第一皇子・敦康親王を産みますが、その日、藤原道長は愛娘・彰子の入内を強行、更に翌年2月25日、彰子を中宮、定子を皇后とする前代未聞の一帝二后制とします。 失意の中、定子は尼となりますが、一条天皇との絆は強く、道長の目を盗んでは稀な逢瀬は続きます。そして1000年12月、定子は第二皇子を産んだ次の日に亡くなるのです。 亡くなった後、定子が残した和歌が見つかっています。
夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙のいろぞゆかしき
(私が死んだ後、恋しがって流す貴方の涙の色が知りたいです・・・)
定子が鳥辺野に土葬される際、一条天皇は次の歌を残しています。
野辺までに心ばかりは通へども我がみゆきとは知らずやあるらん
(貴方が行く鳥辺野には身体は行けないけれども、心だけは貴方を追って行っています。貴方は知らないのですか?・・・・)
今回の訪問は二回目です。というのも前回訪れたときには、この鳥戸野陵まで辿りつくことが出来ずに諦めたので再度の挑戦でした。 前々から是非とも訪れたかった藤原定子の御陵でしたので、しみじみと階段を一歩一歩登り、御陵の前に着いたときには感無量でした。 将来の栄華が空しく消え、無念に亡くなった定子殿に冥福をお祈りいたします。(撮影:クロウ)
また、ここ鳥戸野陵は醍醐天皇皇后・穏子 圓融天皇女御・尊称皇太后詮子 後朱雀天皇皇后・禎子内親王 後冷泉天皇皇后・歓子 白河天皇皇后・賢子 鳥羽天皇御母で堀河天皇女御・贈皇太后苡子の火葬塚でもあります。
長良802-856
┣国経 ┏時平871-909
┃ ┃┗保忠┏実頼 ━╋斉敏928-973━懐平
┣基経 ━╋仲平 ┃(九条殿)┗述子933-947(村上女御)
┃836-891 ┣忠平━╋師輔-960┳伊尹コレタタ(一条殿・謙徳公)┳懐子
┣淑子 ┃-949 ┗師尹モロタタ┣為光942-992 ┣挙賢
┣高子 ┃ ┣芳子 ┃ ┣誠信964-1001 ┣義孝━行成
┃842-910 ┃ ┃(村上妃┃ ┗斉信967-1035 ┣義懐ヨシチカ
乙春┣陽成帝┃ ┗済時995┃ タダノブ 恵子女王 ┗成房
┃ ┃ ┗通任┃(堀川殿) ┏媓子(円融中宮)
┣貞保 ┃ (三条妃)┣兼通925-977╋顕光┳元子(一条帝女御)┓
┣敦子 ┣頼子(清和女御) ┃ ┗朝光┗延子(敦明女御) ┃
┗━━┓┣妹子(清和女御) ┃キンスエ ┗姚子(花山帝女御) ┃
良房804-872 ┃┣温子 ┣公季957-1029━義子(一条帝女御),実成┃
┣明子 ┃┃ ┣均子内親王 ┃(母:康子内親王) ┃
潔姫 ┣56清和┃宇多天皇 ┣兼家929-990(東三条殿) ━━━┓ ┃
55文徳帝 ┃ ┣安子927-964 ┃ ┃
┣恬子 ┗穏子885-954 盛子-943┣憲平親王(冷泉帝63代967年) ┃ ┃
紀静子 ┣保明親王 ┣守平親王(円融帝64代969年) ┃ ┃
淑姫 ┣寛明親王(61朱雀帝)┣為平親王(安和の変で失脚) ┃ ┃
┣源兼明┃ ┣姫宮 ┣ 源頼定 ┃ ┛
┃16皇子┣成明親王(62村上帝)-967 高明娘保子┣ ? ┃
60醍醐天皇885-930 ┃ ┃ ┃
┣源高明914-983(第十皇子) ┣広平親王 綏子(すいし) ┃
┣雅子内親王(斎宮,師輔室) 祐姫 ┃
源周子 藤原元方┛南家の学者 ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ 藤原守仁娘・(伊予守)
┃ ┣ 道頼971-995(兼家養子) 藤原為光娘(忯子の妹)花山法皇狙撃事件
┗┳ 道隆953-995(中関白家) ┣
┃ ┣━┳伊周コレチカ974-1010┳道雅(三条帝娘・当子内親王と恋愛)
┃ 高階成忠┳タカシナ貴子┃ ┣大姫
┃(高二位殿)┃ -996 ┣隆家979-1044 ┗小姫
┃ 923-998 ┣信順マサノフ┣御匣殿985-1002(定子亡き後、養母として入内)
┃ ┣明順 ┣頼子姫(敦道親王師ノ宮の妻)
┃ ┗光子 ┣原子姫980-1002(居貞親王女御)
┃ (定子乳母)┗定子977-1000 里邸二条
┣ 道兼961-995┳兼隆985-1053┣脩子内親王 996-1049
┃ ┣兼綱 ┣敦康親王 999-1018
┃ ┣尊子984-1022┣よし子内親王1000-1008
┃ 繁子(師輔娘)┃ ┃
┃ 66一条帝980-1011(乳母は橘徳子)
┣ 道長━┳ 頼通━┳ 師実━━ 師通━━ 忠実━┳ 忠通
┃ ┃ ┃ 宇治殿 ┗ 寛子(後冷泉后) ┗ 頼長
┃┏源倫子┣ 教通(996-1075 和泉式部娘・小式部を妾とする。本妻は公任・娘)
┃┃(鷹司)┃ ┣ 歓子(1021-1102後冷泉后) ┣信長
┃┗時中 ┃ ┣ 真子(後冷泉女御) 公任娘
┃父:雅信┃920-993 ┗ 生子(1014-1068後朱雀女御)
┃ 重信┃-995 ┃延子(藤原頼宗娘)
┃ ┃ ┃ ┃嫄子(敦康親王娘)1016-1039 1076-1103
┃ ┣ 彰子988-1074上東門院 ┃ ┃┣祐子内親王,禖子内親王 藤原苡子
┃ ┃ ┣敦良親王(69代後朱雀)1009-1045━┳良子、娟子 賢子┣鳥羽
┃ ┃ ┣敦成親王(68代後一条)1008-1036┓┣尊仁親王(71後三条)┣堀河天皇
┣ 道綱 ┃ 66代一条帝980-1011 ┃┃┃┣貞仁72白川帝1053-1129
┃ ┃ 67代三条帝976-1017 ┃┃┃藤原茂子(公成娘)
┃ ┃ ┣禎子内親王1013-1094陽明門院 ┃┛┃
┃974-1004┃ ┃ ┣馨子内親王1028-1093斎院
┣ 綏子 ┣ 妍子994-1027(枇杷殿) ┣章子内親王1026-1105
┃ ┃ ┣ 威子998-1036 ━━━━━┛ ┃藤原教通娘・歓子1021-1102
┃ ┃ ┗ 嬉子1007-1025(産後死去,後冷泉母)┣- ┣ -
┃ ┃ ┣親仁親王70代後冷泉(紫式部部娘賢子が乳母)
┃ ┗━━━━┓69代後朱雀 ┣ -
┃954-982 ┃娍子972-1025(堀河女御 済時娘) 藤原頼通娘・寛子1036-1127
┣ 超子(ゆきこ)┃ ┣敦明親王994-1051小一条院
┃ ┃ ┃ ┃ ┣敦貞親王
┃ ┃ ┃ ┃延子985-1019(顕光娘、一条帝女御元子の妹)
┃ ┃ ┃ ┣敦儀、敦平、師明親王、当子(斎宮)、子内親王
┃ ┣居貞イヤサダ親王67代三条帝976-1017
┃ ┣為尊親王977-1002(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
┃ ┣敦道親王981-1007(師ノ宮:和泉式部を寵愛)
┃ 63冷泉帝
┗ 詮子(東三条院 兼家娘)962-1001出家後土御門第へ移り、道長は一条院へ。
┣懐仁カネヒト親王(66代一条帝)
64円融帝959-992