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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

村上海賊の娘-13 村上水軍の安宅船 

2014年05月20日 | 戦国時代

 淡路島一帯を支配してきた安宅水軍は、三好氏に仕えて海賊から家臣団となり安宅船を駆使して活躍した。この大型の安宅船が、この時代に広く軍船として用いられたのである。巨体で重厚な武装を施しているため速度は出ないが、百数十人の戦闘員が乗り組むことができたため戦闘能力は高い。また、水軍の艦船には、安宅船のほか、小型で快速の関船と関船をさらに軽快にした小早があり、それぞれ戦艦、巡洋艦、駆逐艦に喩えられる。安宅船は大きいものでは長さ50m以上、幅10m以上の巨体を誇るものもあったようである。安宅船の名は古くは河野氏配下の伊予水軍でその名を見ることができるが、安宅水軍の安宅氏が由来と考えるのが妥当だろう。ちなみに、「村上海賊の娘」では出てこないが、1578年の第二次木津川河口の戦いで、織田信長が部将・九鬼嘉隆に命じて伊勢で6艘の大安宅船を建造させた。その規模は、幅約12m超、長さは30mから50m、鉄張りであったから、毛利水軍が装備する火器の攻撃を防御し、リベンジを果たしたことになる。これが有名な信長の「鉄甲船」である。乗組員の数は5千との記録があるから、6艘で5千として1艘800人くらいが乗り込んでいたこととなる。

村上水軍博物館にある安宅船・関船・小早の模型

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