伊勢神宮ばかりでは飽きるので、伊勢神宮に向かう途中で立ち寄った「ヤマトタケルノミコト」の陵墓を紹介します。 ここは鈴鹿サーキットで知られる三重県鈴鹿です。 まさに伊勢神宮に斎王が群行するときの通り道に日本武尊の陵墓が宮内庁によって管理されているのです。 日本武尊は倭姫命の甥にあたり、西暦72年(景行2年)第十二代景行天皇の第二皇子として生まれる。 110年(影行40年)、父である景行天皇の命により西征して熊曾建・出雲建を討伐した後、東国征討を命じられ、「草薙の剣」を携え東国へ向かいます。 途中、相模国(現 ・神奈川県)で賊に遭い、草原に誘い込まれて周りを炎で囲まれるも、この「草薙の剣」で草をなぎ払って窮地を脱し、平定したという。 これが草薙の剣の由来です。 この剣、倭姫命から授かったもので三種の神器のひとつです。 生涯を戦に明け暮れた日本武尊は113年(景行43年)、伊勢能褒野(現 ・三重県鈴鹿郡)で病により命を落としています。 ということで、伊勢神宮に詣でる途中の能褒野墓へ行って参りました。 能褒野墓は能褒野神社の境内内にある全長90mの前方後円墳で、約20基の陪塚に囲まれておりました。 陪塚というのは、日本武尊に仕えていた家臣の墓のことで、主人が亡くなると家臣はすべて後を追って葬られていたのです。 日本武尊は能褒野の地に陵を作ったが、八尋の白鳥となって天翔り、河内国の志幾(今の羽曳野)に留まったので、再び陵を作り白鳥の御陵と名付けたが、その魂はここからも天翔って行ったという。
能褒野墓と能褒野神社
尾張大海媛
大物主神(蛇) ┣ 八坂入彦命
第7代孝霊天皇 ┣ - ┣ 渟名城入媛命(倭大国魂神を祭る)
┃┃┣ 倭迹迹日百襲姫命(台与か) 姥津媛命┃ 遠津年魚眼眼妙媛(紀伊)
┃┃┃ 欝色謎命(伊香色謎命の母)┣彦坐王┃ ┣ 豊鍬入彦命
┃┃┣ 吉備津彦 ┣ 9 開化天皇 ┃ ┣ 豊鍬入姫命(天照大神を祀る)
┃┃┣ 稚武彦命 ┃ ┣10崇神天皇(御間城入彦)
┃┃倭国香媛 ┃ 伊香色謎命 ┃ ┣ 倭彦命
┃┃ ┣倭迹迹姫命 ┃ ┃
┃┃ ┣大彦命 ┃ ┣ 彦五十狭茅命
┃┣━━━━━━ 8孝元天皇┣御間城媛 ┃ ┣ 千千衝倭姫命
┃細媛命 ┃┃ ┗武渟川別 ┃ ┣ 五十日鶴彦命
┣彦狭島命 ┃┣彦太忍信命 ┃ ┣ 11垂仁天皇┓
┃ ┃┃(武内宿禰の父)┃ 御間城媛 ┃ ┃
┣稚武彦命(吉備の祖) ┃伊香色謎命 x (大彦命の娘)┣ ┃
絙某弟 ┣ 武埴安彦命 ━━┛ ┏迦具夜比売┃
埴安媛 ┣ 大筒木垂根王 ┃
河内青玉繋┛ 吾田媛(隼人族) ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃彦坐王
┃┣狭穂彦肥長姫(蛇) 葛城高額姫
┃┗狭穂姫命┃ ┣神功皇后170-269
┃ ┣ 誉津別 播磨稲日太郎姫-122 垂仁天皇 息長宿禰王┃
11代垂仁天皇-69-70 ┣櫛角別王 ┣両道入姫命 ┣15代応神天皇
┣ 五十瓊敷入彦 ┣大碓皇子 綺戸辺┣14代仲哀天皇-200
┃ イニシキイリヒコ ┣小碓尊 (日本武尊) ┣麛坂王 -201
┃ ┃┃┣武卵王(讃岐綾君祖) ┣忍熊皇子-201
┃ ┃┃┣十城別王(伊予別君祖) 大中姫
┃ ┃┃吉備穴戸武媛
┃ ┃┣稚武彦王(東征同行)
┃ ┃弟橘比売
┣ 12代景行天皇(大足彦忍代別天皇) -13-130
┣ 倭姫命 ┣稚足彦尊(13代成務天皇) ┃
┏日葉酢媛命 ┣五百城入彦 ┃┣和珂奴気王┣神櫛皇子(母:五十河媛 讃岐国造祖)
┣渟葉田瓊入媛┣忍之別皇子 ┃弟財郎女 ┣稲背入彦皇子(母:五十河媛 針間国造祖)
┣真砥野媛 ┣稚倭根子皇子┃ ┣五百野皇女(母:水歯郎媛)伊勢斎宮
┣薊瓊入媛 ┣大酢別皇子┗吉備郎女 ┣豊国別皇子(母:御刀媛)日向国造の祖
丹波道主王 ┣五百城入姫 ┣武国凝別皇子(母:高田媛)
10代崇神天皇 ┣五十狭城入彦 ┣日向襲津彦(母:日向髪長大田根)
┣ 八坂入彦命 ┣吉備兄彦 ┗豊戸別皇子(母:襲武媛)
尾尾張大海姫┣八坂入媛命
┗弟媛