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大英博物館ミイラ展@神戸市立博物館

2022年02月10日 | 記紀創世紀

今回来日したのは、紀元前800年ごろから後100年ごろにかけて古代エジプトの各時代を生きた、役職も死亡年齢も異なる6体のミイラ。それぞれをCTスキャンすることで見えてきた結果を紹介。関連する埋蔵品や発掘された資料もともに展示している。

 

 

Mummy-1

アメンイリイレトは、カシュタ王(前760~前747年頃)の娘アメンイルディスの所領を管理していた古代エジプトの都市であるテーベの役人で、その地域の名士であった。 アメンイルディスの死後1世紀以上後の時代の人物であり、その地位から得た富によって立派に埋葬された。

Mummy-2

ネスペルエンネブウは、銘文からはテーベでもっとも重要な宗教施設であるカルナク神殿の神官で、前800年ごろを生きた。ネスペルエンネブウのミイラのCTスキャンからは、数多くの護符や装身具が包帯のなかに配置されていることや、それらの種類・材料も明らかになった。これらは死者を保護し、永遠の命を得る手助けをすると信じられていた。

Mummy-3

ペンアメンネブネスウトタウイもまた神官で、前700年ごろの人物。その遺体の脳は取り除かれていないことがわかっている。時期や地域によってミイラづくりの技術が変化したのか。ペンアメンネブネスウトタウイの骨格はほぼ生前のままの状態で残っており、歯の虫歯の状態も知ることができる。

Mummy-4

タケネメトは今回の展覧会では唯一の女性のミイラだ。父は神殿の出入りを管理する門番、母は神官を務めた裕福な家の既婚女性であることがわかっている。古代エジプト人女性の副葬品には、化粧品や香油、香水が含まれていることが多く、来世の生活においても化粧と装身が必要とされていたことがわかる。アイライナーとして使われていた「コホル」の壺や塗るための棒、化粧箱や襟や首の飾り、バングルなどが展示されている。

Mummy-5

ファイユーム地方のハワラで出土したこのミイラは、CTスキャンにより3~5歳の幼児だと推定されている。ローマ支配時代の後40~55年ごろのもので、社会的地位の高い家族の一員だったと考えらており、頭部に肖像画が描かれている。子供のミイラとともに古代エジプトの子供たちが遊んだ玩具や身につけた装身具、子供の魔除けなども展示。

Mummy-6 (カメラ撮影可)

グレコ・ローマン時代(BC146年頃-AD330年頃)の若い男性のミイラが展示される。多くのギリシャ人がエジプトに渡来して定住したこの時代も、エジプト土着の埋葬の伝統は廃れることはなかった。CTスキャンでこの男性の頭部の奥に大きな木片があることがわかっており、ミイラ職人が脳を取り出すときにつかった道具の一部が残った貴重な資料となっている。このミイラにはエジプトの伝統的なマスクがあしらわれているものの、先の子供のミイラのようにプトレマイオス朝の末期に近づくにつれ、マスクの代わりに写実的な肖像画を描く時代が訪れる。

ディダスの娘アフロディーテのミイラマスク AD50年頃 @ハワラ地方

 

 

へび型の指輪・腕輪

 

男女のミイラマスク AD100年頃

 

 

BC100年頃 プトレマイオス時代の黄金のマスク

「このマスクをつけることによって、死者が神の力を得ることができる」という呪文が記されている

 

BC146年頃-AD330年頃 グレコ・ローマン時代

 

ホルネジイトエフの使者の書

 

第2会場として日本独自の特別展示も実施。日本とエジプトが合同で行っているサッカラ遺跡の調査の紹介を中心に、日本人が古代エジプトの存在をどのように知り、研究を続けてきたのかを資料や遺跡の再現で追うことができる。また、国立科学博物館が所蔵する猫のミイラが初公開されており、その匂いを再現した体験展示も行われているのでこちらも見逃せない。

 

ロゼッタストーン(レプリカ) : ナポレオンがエジプト遠征時に発見

 

ツタンカーメン黄金のマスク(レプリカ)

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