嵯峨天皇皇后・嘉智子嵯峨陵
嵯峨野にある後亀山天皇陵の北に清滝があり、その近くに嵯峨天皇の皇后・嘉智子の御陵があります。 嵯峨天皇陵に劣らず山奥に御陵があるのは遺言によるものでしょうか。 137号線を進み清滝の念仏寺近くの林道を登っていくコースが地図にはしっかり記されていますが、実際に行ってみると、この林道/登山道はありませんでした。 山深い民家の裏庭から林道が延びているのかもしれませんが、見つけることができず、 御陵を西側から攻めてみようと、50号線をすすむことにしました。
嵯峨野の北の端の石碑には嵯峨陵及び水尾山陵への参道とありますが、ここから嵯峨陵までは3km、水尾山陵に至っては10km以上あります・・・。ここから歩くのは私にはほぼ不可能と思われます。 というか、他の訪問をすべて犠牲にして本格的な登山になります。(撮影:クロウ)
石碑のところから50号線を2.5kmほど車でいくと嵯峨陵参道の道標を発見。 これこそ参道らしい参道です。 御陵までの距離は約500m。
やっと御陵が見えてきたときには、足腰が・・・。かなり急な参道は普段運動不足の私にはきついです。
石碑にあったように、清和天皇の水尾山陵へいくには、50号線をさらに10kmほど進まなくてはなりませんが、どうも道が怪しい。 簡単に行けそうな道ではないのです。 清和天皇陵もいきたかったのですが、本日は他にも予定がありますし断念することとしました。 後で調べてわかったことですが、数年前から落石の為に御陵までの50号線が通行止めになっているそうです。 従いまして、徒歩で行く必要があるのです。 天皇陵の全制覇を誓った私としては、そのうち根性をださなくてはなりません。
蘇我娼子娘
┣ 武智麻呂(南家)680-737
┃ ┃ 軽皇子(42代文武天皇) 701-756 縄主
┃ ┃ ┃ 多治比真宗769-813 ┣娘
┃ ┃ ┃ ┣ 葛原親王786-━高望王 薬子┃
┃ ┣ 仲麻呂706-764 ┃ ┃是公娘・吉子-807 ┃┃
┃ ┃ ┣ ┃ ┃┣ 伊予親王 -807 ┃┃帯子(百川娘)
┃ ┣ 巨勢麻呂 房前娘 ┃ ┃┃乙牟漏皇后 760-790 ┃┃┃伊勢継子
┃ 貞姫 ┃ ┃┃┣ 高志内親王789-809 ┃┃┃┣高岳親王
┣ 房前 (北家)681-737┃ ┃┃┣ 安殿親王774-824 (51平城天皇)
┃ ┣ 永手714-771 ┃和新笠┃┃┣ 賀美能親王786-842(52嵯峨天皇)┣阿保
┃ ┣ 魚名-783 ┃ ┃┃┃┃ ┣業良親王 ┣正子 藤子 ┃
┃ ┃ ┃ ┃┃┃┃ 高津内親王 橘清友┣54仁明810-850 *
┃ ┃ 坂上田村麻呂┃ ┃┃┃┃ ┣橘嘉智子┣55文徳帝(道康)
┃ ┃ 登子 ┗広野┃ ┃┃┃┃ ┗橘安万子順子┗56清和天皇
┃ ┃ ┣ ┃ ┃┃┃┃ 真作┃ ┗貞数親王
┃ ┣ 真盾━内麻呂-812┃ ┃┃┃┃種継 ┣三守 ┣女
┃ ┃ ┣ 真夏774┃ ┃┃┃┃ ┗藤原東子-807┗美都子 * ┏文子
┃ ┗ 鳥養 ┣ 冬嗣775┃ ┃┃┃┃ ┣ 甘南備内親王800-817 ┣在原行平
┃ ┃ 永継 ┣長良┃ ┣山部王(50代桓武天皇)737-806 ┣在原業平
┃ ┃ ┣良房┃ ┃ ┃┣良峯安世785-830 ┣ 伊都内親王
┃ ┃ ┗順子┃ ┃ ┃永継 ┗良峯宗貞815- 平子(乙叡娘)
┃ ┗子黒麻呂-794 ┃ ┃ ┃ヨウキョウ ┗素性法師 正子皇后
┃ ┃ ┃ ┃ ┣恒貞親王(皇太子)
┣ 宇合ウマカイ(式家)694-737┃ ┃ ┣ 大伴親王786-840(53淳和天皇)
┃ ┣ 広嗣 諸兄に対乱 ┃ ┃百川娘・旅子 759-788
┃ ┣ 良継 白壁王支持 ┃ ┣ 早良親王750-785(崇道天皇 大伴家持派)
┃ ┃ ┣ 乙牟漏 ┃白壁王709-781(49代光仁天皇)
┃ ┃ 阿部古美奈-784 ┃ ┣ 他部親王761-775
┃ ┣ 百川 道鏡追放 ┃県犬養広刀自┣ 酒下内親王754-829(斎宮)
┃ ┃ ┣ 緒嗣774-843 ┃ ┃ ┃ ┣朝原内親王779-817(斎宮)
┃ ┃ ┣ 旅子-788 ┃ ┃ ┃ 桓武天皇 ┣
┃ ┃ ┗ 帯子-794 ┃ ┣ 井上内親王717-775 平城天皇
┃ ┗ 清成 ┃ ┣ 不破内親王
┃ 賀茂比売 ┣首皇子(45聖武天皇)701-756
┃ ┣ 藤原宮子 ━━┛ ┣ 基皇太子727-728
┃ ┣ 長娥子(長屋王妾) ┃
藤原不比等 659-720 ┣ 阿部内親王(46孝謙/称徳718-770)
┣━━━━━━━━ 安宿姫701-760(光明子・皇后)
県犬養(橘)三千代-733
嘉智子は橘奈良麻呂の孫で清友の子。仁明天皇・正子内親王(淳和天皇の皇后)の母にあたります。 賀美能親王の妃となり、夫が即位(嵯峨天皇)した後、815年、皇后に立てられる。 嵯峨天皇譲位後は、夫と共に冷然院・嵯峨院に住み、嵯峨野に檀林寺を創建するなどした。人となりは寛和で、見る人その美しさに驚いたという。