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呉・高烏台 砲台跡、兵舎跡

2018年05月18日 | 太平洋戦争

1901年旧陸軍が外国艦船の侵入を防ぐために、標高218mの高烏台に28センチ榴弾砲6門を装備した砲台を築いた。その砲台基礎や弾薬庫の一部と兵舎跡などが、100年以上経った今でも立派な外観を保って残されている。この花崗岩造りの一連の構築物は、旧高烏砲台の跡である。明治十六年第二海軍区鎮府の候補地として呉港があげられ、明治十九年七月軍港設置とともに敵の艦砲射撃に備えて軍港防備の陸上砲台は陸軍において構築することになり、陸軍予算として閣議にあがったが、第一期計画からは除外された。たまたま日清戦争が起こるにいたって、広島に大本営が置かれるなど情勢の変転に伴って再び砲台構築の議が起り、明治二十九年陸軍の手により砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり、引き続き同三十二年から三ヶ月の歳月を費やして完了した。後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用されたが、明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいものである。呉市説明板より

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