台湾大学構内には台湾の農業に情熱をそそいだ二人の功績が残されている
末永仁 蓬萊米の父
パサパサであった米をもちもちした米に改良
磯永吉1886-1972 農学博士
台湾総督府農事試験場、中央研究所を経て1930年に台北帝国大学教授に就任
ここで並河成資1897-1937を紹介 : 元々米は熱帯地域で栽培がしやすい穀物であり、寒冷地には不向きであった。猫マタギとか鳥マタギと言われるほどまずかったという。従って寒くならないうちに早く収穫しようとしたのが「早稲」である。ところが「晩稲:おくて」といって寒くなっても良いから十分に養分を蓄えた稲を開発したのが並河成資である。当時農林省の技官で「水稲農林1号」を開発@1941、真に有名になったのは1946年。これが後にコシヒカリ(水稲農林100号)やササニシキを生むことになる。
ところが、並河成資自身は 昭和12年、間近に迫った栄光の日をみることなく、突如自らの生命を絶っている。享年41歳。現在並河成資のことを知る人はほとんど居ない。