平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

佐賀-4 有田ポーセリンパーク ・ツインガー城

2022年04月28日 | 国内旅行散策

数年前に行ったときには平日にもかかわらず中国人が押しかけていて大盛況だったが、今回は休日なのにガラガラ。コロナの影響は否めません。

そもそもツゥインガー宮殿はどこにあるのか?というとドイツ・ザクセン州のドレスデンにある。王宮の壁には24000枚の磁器タイルで飾られ、ザクセンを治めた君主35人が描かれている。実はここで「マイセン」という西洋白磁の頂点に君臨する名窯が生まれた。

【白磁に魅せられたアウグスト2世と磁器開発者・ベトガー】   正確にはドリスデンから北西に20kmほど離れたマイセン地方のマイセン磁器製作所で生産された。マイセン地方は12世紀に、アウグスト2世の家系ベッティン家の統治した地であり、15世紀に築かれたアルブレヒト城は、当時の居城。王の広間には代々の君主像が置かれている。やがて繁栄はマイセンからドレスデンに移りアルブレヒト城は忘れられた。そして再び脚光を浴びたのは17世紀、アウグスト2世の登場の時である。24歳でザクセンの君主となったアルブレヒト2世は愛人をつくっては飽きていく。そうした時、マイセン磁器製作所は1710年に建てられ、硬質磁器制作の独占権が与えられた。その以前、磁器工場は機密保持の理由でアルブレヒト城にあり、白磁の開発にはヨハン・フリードリッヒ・ベトガー1682-1719(チューリンゲンの錬金術師で、父は貨幣鋳造所の職人)が19才の時に選ばれた。開発の命を出したのはザクセン選帝侯・アウグスト2世1670-1733(ザクセン王でありポーランド王)である。1709年に開発は成功したことで西洋磁器が発展することとなる。アウグスト2世は忘れ去られたかつての都マイセンにある中世の城・アルブレヒト城を監禁場所としてベトガーに研究させた。1706年、ザクセン-スウエーデン戦争の時、すべての磁器設備は難攻不落の要塞ケーニッヒシュタイン城に移された。存在が極秘だったベトガーは王族のための牢獄で暮らした。こうしてベトガー自身は白磁の開発に成功するものの、アルブレヒト城からの外出は許されず、結婚もすることなく37歳で非業の死を遂げた。

バロック庭園

コメント    この記事についてブログを書く
« 佐賀-3 吉野ヶ里遺跡には年... | トップ | 佐賀-5 呼子の烏賊 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

国内旅行散策」カテゴリの最新記事