第34代舒明天皇押坂内陵
舒明天皇(田村皇子)の正妻は宝皇女(後の皇極天皇)で、中大兄皇子が嫡男として生まれ、同腹の弟に4歳年下の大海人皇子がいる。 中大兄皇子が15歳のときに父・舒明天皇が亡くなり、このときに次期大王の候補と考えられていた一人が、4歳年上の異腹の兄・古人大兄皇子である。 古人大兄皇子の母は蘇我馬子の娘・法提郎女であるので、正妻・宝皇女が認めるはずがない。 しかし蘇我蝦夷、蘇我入鹿の後ろ盾があるのでその力は強い。またもう一人は聖徳太子と後にいわれた厩戸皇太子の息子の山背大兄王である。 山背大兄王には叔父の境部臣摩理勢がついていたが、異母弟の泊瀬王とともに蘇我蝦夷に廃されたために田村皇子が舒明天皇として即位した。蝦夷が田村皇子を推したのは、皇子が法提郎女との間にもうけた古人大兄皇子を次の天皇に期待したからである。 舒明天皇の宮殿は飛鳥岡本宮(630年~)で、皇極天皇の時代には飛鳥板葺宮(643年~)、天武・持統天皇の時代には飛鳥浄御原宮(672年~)へと変遷した。因みに今の舒明天皇陵の近くに、田村皇子の宮である忍坂宮があり、宮の警備隊長を勤めたのが物部守屋討伐で功績のあった迹見赤檮である。
舒明天皇の母は敏達天皇の皇女・糠手姫皇女で押坂彦人皇子の妻でもあり、ここ押坂内陵に眠っています。糠手姫皇女はまたの名を田村皇女、宝王ともいい、田村皇子は母の名からきている。また舒明の正妻・宝皇女も宝王かえあ継承された可能性がある。 舒明の皇后・宝皇女は最初、用明天皇の孫・高向王と結婚し漢皇子をもうけているが、彼らのことは不明である。その後、叔父である田村皇子と結婚したとき既に30歳を超えていた。 そのとき田村皇子は既に法提郎女を妃とし、また敏達天皇と炊屋姫との子・田眼皇女(詳細は不明で早くに亡くなったと思われる)や、蚊屋采女らもいれていた。
舒明天皇陵の近くに大伴皇女(欽明天皇と堅塩姫の皇女で、敏達天皇とは異母兄妹)、鏡女王(額田王の姉で後に鎌足の妻になっている)の墓もあったようなのですが当日は知る由もなく、残念でありました。 この御陵の近くには天王山古墳、茶臼山古墳があったのですが、次の予定地に直行のため次回に訪れたいと思います。
阿部倉梯麻呂?-649
不明 ┣橘娘 ?-681
仏教賛成派 ┣吉備姫王 ┗小足媛624-?
蘇我稲目-579 ┃ ┣軽大郎女 ┣有間皇子639-658┓
┣蘇我堅塩媛 ┃ ┣36孝徳天皇(軽皇子)594-654 ┓┛
┃ ┃ ┏━━━━━━━━━┛ ┃ 飛鳥宮 ┏漢(建)皇子 ┃
┃ ┣桜井皇子560-587 ┣35皇極天皇(宝皇女)594-661 ┃
┃ ┣炊屋姫(33推古天皇)554-628┃ ┃板葺宮 (37斉明) ┃
┃ ┃ ┃ 大俣女王┃ ┣間人皇女628-665 ┛ ━┓
┃ ┃ ┣田眼皇女 ┣茅渟王 ┣40天武(大海人皇子)630-686 ┃
┃ ┃ ┣竹田皇子 ┃ ┃ ┃┣十市皇女648-678 ┃┓
┃ ┃ ┣尾張皇子 ┃ ┃ ┃額田王631-689 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣舎人皇子676-735 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃┣三原王-752 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃┃┗小倉王-□□-清少納言 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃┣大炊王733-765(淳仁) ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃┃┣- ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃┃粟田諸姉(仲麻呂義理娘)┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃橘娘┃当麻山背(当麻老娘) ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┣新田部皇女-699 ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┣明日香皇女-700(忍壁妻) ┃┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣38天智(中大兄皇子)626-671 ┛┃
┃ ┃ ┃真手王 ┃ ┃乳母は蘇我,葛城で育つ ┃┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗広姫 ┃ ┃ ┣大友皇子648-- ┃┃ ━┛
┃ ┃ ┃ ┣押坂彦人皇子┃宅子娘┣葛野王669-705┃ ┃
┃ ┃ ┃┏━━┛ ┃ ┃ 十市皇女648-678 ┃ ┃
┃ ┃ ┃┃小熊子女┣34舒明天皇(田村皇子)593-641 ┃ ┃
┃ ┃伊比古郎女┃┃┃ ┣中津王 ┃┣古人大兄皇子-645 ┃ ┃
┃ ┃ ┣麻呂古┃┃┃ ┣多良王 ┃法提郎女馬子の娘┗倭姫王 ┃
┃ ┣31用明天皇┃┃┣糠手姫皇女-664 ┣蚊屋皇子 ┃
┃ ┃宣化 ┗┃┃┃━━┓ 蚊屋采女 ┃
┃ ┃ ┗┓ ┃┃┃ ┣来目皇子 ┃
┃ ┃石姫皇后 ┃┃┃ ┣殖栗皇子┏━━━━━━━━━━━━━┛
┃ ┃ ┣敏達天皇538-585 ┣茨田皇子┣大田皇女644-667 石川郎女
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┣大伯皇女661-701┣-
┃29欽明天皇509-571 ┣厩戸皇子┃┣大津皇子 662-686
┃ ┣穴穂部間人皇女-621━┛ ┃┃┣- 長娥子(不比等娘)
┃ ┣穴穂部皇子-587 ┃┃山辺皇女663-686(天智娘) ┃
┃ ┣宅部皇子539-587 ┃┃ 御名部皇女(天智娘) ┃
┃ ┃ ┃┃ ┣長屋王-729
┃ ┃ ┃┃尼子娘(胸形君徳善娘)┣鈴鹿王-745橘諸兄と政権運営
┃ ┣泊瀬部皇子32代崇峻天皇553-592 ┃┃ ┣ 高市皇子654-696┓
┣小姉君 ┃天武天皇631-686 ┃
┣石寸名郎女 ┃┃┃┃┗刑部皇子665-705(忍壁)┃
┣境部臣摩理勢-628蝦夷が滅す ┃┃┃┣但馬皇女-708 ┛
┃ ┗蘇我倉麻呂 孝徳┃┃┃氷上娘-682(鎌足娘)
┃ ┣蘇我倉山田石川麻呂-649━┓ ┃┃┃┣長皇子-715
┃ ┃ ┃┃┃┃┃┣智努王693-770(文室氏に降下)
┃ ┃ ┃┃┃┃┃┗大市王704-780
┃ ┣蘇我日向 ┣乳姫┃┃ ┣弓削皇子-699
┃ ┣蘇我赤兄623- ┃ ┃┃大江皇女-699(天智皇女 川島妹)
┃ ┃┣常陸娘 ┃ ┃┃ 長屋王684-729
┃ ┃┃┣山辺皇女663-686 ┃ ┃┃ ┣膳夫王-729
┃ ┃┃天智天皇626-672 ┃ ┃┣草壁皇子662-689 ┣葛木王-729
┃ ┃┗大蕤娘669-724 ┃ ┃┃ ┣吉備皇女683-729
┃ ┃ ┣紀皇女 ┃ ┃┃ ┣軽皇子 683-707(42文武)
┃ ┃ ┣田形皇女674-728 ┃ ┃┃ ┣ 氷高皇女680-748(44元正)
┃ ┃ ┣穂積親王-715 ┃ ┃┃阿閉皇女 661-721(43元明)
┃ ┃ ┃ ┃┗但馬皇女┃ ┃┃ 聖武天皇701-756
┃ ┃ 天武天皇 ┣大嬢二嬢 ┃ ┣41持統天皇645-703 ┗井上内親王717-775
┃ ┗蘇我連子 大伴坂上郎女 ┃ ┣健皇子649-658 紀橡姫 ┣他部親王 761-775
┗蘇我馬子(嶋大臣)551-626 ┣蘇我遠智娘-649 ┣難波内親王┣酒下内親王754-829
┣ 蘇我蝦夷587-645 ┗姪娘 越君伊羅都売 ┣白壁王(光仁)709-781
┃ ┣蘇我入鹿605?-645豊浦宮 ┣阿閉皇女 ┣施基皇子-716
┃ ┗蘇我畝傍 ┣御名部皇女┃ ┣春日王703-745
┣河上娘(崇峻天皇妃) 天智天皇(中大兄皇子) 託基皇女665-751
┣法提郎女 ┣ ┣不比等659-720 ┓
┗刀自古朗女-623 鏡姫王 車持君與志古娘(安見児) ┃
┣山背大兄王595-643 ┗━━┓┣定恵641- ┣藤原麻呂695-737
┣財王608- ┃ 中臣鎌子614-669 ┃
┣日置王 ┣弓削王622 ┗藤原五百重娘669-695 ┛
┣片岡女王 ┃ ┣新田部皇子-735
厩戸皇子574-622 ┃ 天武天皇 ┣塩焼王-764(氷上真人)
┃ ┣舂米女王 ┃ ┃
┃ ┣馬屋古女王(第8子) ┣磯城皇子┗道祖王-757
┃ 菩岐岐美郎女-622 ┣忍壁皇子665-705 ┣陽候女王
┣手嶋女王 ┣泊瀬部皇女 ┗長野王
位奈部橘王 ┣託基皇女┣-
宍戸臣大麻呂娘 川島皇子657-691(天智皇子)