緑色の桜
京都御所と金閣寺のど真ん中あたりに位置する雨宝院は、地元では「西陣の聖天さん」と呼ばれているらしく、この境内に「御衣黄」という桜がある。 雨宝院はその昔、弘法大師が嵯峨天皇の病気平癒を祈願して像頭人身の歓喜天を祭ったと言うのが起こり。 ここには御衣黄意外にも、紅しだれ、山桜、御室の八重桜と同種の「歓喜桜」がある。 また御衣黄はこおだけではなく仁和寺、東福寺、平野神社でも見られる。因みに開花時期は4月20日頃とかなり遅い。(平野神社でみつけた桜の解説を参照)
五月満月祭(ウエサクサイ)
五月の満月は15日前後で、この日にお釈迦さんが成道し、入滅したという。 そしてこの日に鞍馬山で行われるのが五月満月祭である。 五月の満月の夜には天界と地上の間に通路が開けて、すべての物の目覚めの為に天界からエネルギーが注がれると言う。 この通路のことを結界という。 毎年1000人近い人が当日ここを訪れるらしい。 叡山電車の終電時間を過ぎても多くが夜を通すのだという。
七月七日は相撲の日
相撲の起源は垂仁天皇時代に野見宿禰が当麻蹴速を倒したことによる。桓武天皇が平安京を開くときに七月七日を相撲節会の日とし、右の力士は夕顔、左の力士は葵の花を頭に飾って登場し、勝てばその花を次の力士に手渡して退場する。 因みに五月五日は競馬の日で菖蒲の花を腰にさし、三月三日の闘鶏の日では桃の花の下で開催されるという。 京都の趣深い相撲節会は桓武天皇以来約400年続いたらしいが、現在では京都場所はないのである。
北野天満宮
北野天満宮は一時北野神社と改称していたが、戦後再び北野天満宮の呼び名に復帰した。 明治維新の際に「神仏分離令」は発布されたが、それ以前は聖徳太子の古来より神仏習合の思想であった。 お寺には鎮守社を祀り、神社には仏像を安置し、境内には仏塔が立ち並ぶなどである。 ところがこの令により仏像仏具、堂舎は撤去され、諸坊は壊され社僧は全て還俗し、俗名となった。 こうして北野天満宮は北野神社と改称していた時期があったのである。(撮影:クロウ)
北野天満宮「てんじんさん」の愛称で呼ばれ、菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀る。