伊藤仁斎1627-1705は、江戸時代の前期に活躍した儒学者で、さきに取り上げた熊沢蕃山より8歳年下にあたる。 仁斎は 支配的だった朱子学は観念的で実証に乏しいとして廃し、儒教の古典を研究するべきであると提案した。 朱子学は学問体系としては整ってはいたが、その過程で禅学や老荘思想といった非儒教的な思想の影響を受けており、そのような要素を不純とみなした。 と、伊藤仁斎を知るには極めて難解で、そのまえに林羅山、蕃山などの朱子学・陽明学を勉強する必要があるが、時間がないので・・ここではお墓を紹介します。 実は仁斎の墓は京都・嵯峨野の二尊院の境内にあります。 二尊院を訪れたときびっくりしたのはその墓の多さで、公卿をはじめ現代の有名人のお墓もあるのですが、そのなかでふと眼にはいったのが伊藤仁斎でした。 隣にあったのは仁斎の長男で同じく儒学者の伊藤東涯の墓です。 東涯は私塾・古義堂を2代目として継いだ。 母は尾形光琳の従妹にあたり、赤穂事件の不忠臣として知られる伊藤五右衛門は伊藤家出身であるという。