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岡山藩初代藩主・池田光政

2009年11月05日 | 戦国時代

 池田光政・岡山藩主は池田輝政の孫にあたる。輝政は戦国末期に小牧長久手の合戦で活躍をするが、父・池田恒興と嫡男・元助が徳川勢に討ち取られたために池田家を継いだ。 後に豊臣秀吉が天下を取ると、仇同士の家康・輝政は和解をはかり、輝政は家康の次女・督姫を娶ると忠継、忠雄などの子女をもうけた。 一方、輝政の先妻・糸姫との間には嫡男・利隆がいたが、その利隆の子が池田光政である。 後に忠雄は鳥取藩祖、利隆は岡山藩祖となる。 督姫を母に持つ池田忠雄と糸姫を母に持つ池田利隆の系統は仲が悪く、あるとき忠継を池田家の後継にしようと督姫は利隆に毒を盛ろうとした。 しかしそれを知った侍女の密告により利隆は助かり、逆に計画を知らなかった督姫の息子・忠継が毒を煽って死んでしまい、悲観した督姫も毒を煽って後追い自殺したという。 没年が同じの督姫と忠継にはそんな逸話があるが真実のほどは定かではない。 池田輝政は今まで何度か取り上げたように姫路城を現在の天守閣のある見事な形に仕上げたことでも有名で、子孫は岡山城主として栄えたのである。 岡山初代藩主・池田光政は、先に紹介した水戸光圀などの朱子学信奉と違って、陽明学の信奉者であった。 両者とも儒教の一派であるが、朱子学は朱熹を創始者とするのに対して陽明学は王陽明を創始者とし実行力を伴う特徴がある。 陽明学の功績を残したとして著名な中江藤樹の高弟・熊沢蕃山を藩政に参画させたのが池田光政である。 そして今では国宝に指定されている閑谷学校(岡山備前)を造り、一般庶民に門戸を開いた。 備前・閑谷学校のすぐ西側に津田永忠屋敷跡があるが、津田氏1640-1707は14歳のとき藩主・池田光政に初めて拝謁し、取り立てられる。光政に才能を認められ、25歳で300石取りとなり藩政の最高評議機関である評定所に列座する。1670年には閑谷学校建設を任されている。 

閑谷学校の横にある津田永忠屋敷跡・黄葉亭

 

 ところで、池田光政の正妻・勝姫は千姫と本多忠刻との間に生まれた長女で、忠刻の死後、千姫は姫路城下の人々に惜しまれて10年間の姫路での生活に終止符を打つ。その後江戸城にはいり出家して天樹院と号した千姫とともに勝姫は二人で竹橋の邸で暮らす。 1628年に勝姫は池田光政に嫁いでいる。千姫が亡くなった際、娘・勝姫の子である奈阿姫は祖母・千姫の菩提を弔うために「浄土三部経」を書き写した。

土田弥平次  
 ┣  
生駒吉乃1528-1566
  ┣1織田信忠1557-1582(岐阜城主)二条御所(本能寺の近く)で討死
 ┃ ┣秀信1580-1605(三法師)本能寺の変時に清洲城へ非難 
 ┃ ┣秀則1581-1625(秀信と共に関ヶ原合戦で西軍)
 ┃┏森可成(祖は河内源氏・源義家)娘(徳寿院)
 ┃┣森可隆1552-1570
 ┃┣森長可1558-1584小牧・長久手の戦で討死
 ┃┃  ┣-   督姫1565-1615(家康次女)
 ┃┃┏━娘   ┣池田忠雄1602-1632
 ┃┃┃    ┣池田忠継1599-1615 榊原忠次1605-1665(姫路藩主)
 ┃┃┃    ┣池田輝澄1604-1662   ┗榊原政房1641-1667(姫路藩2代)
 ┃┃┣━池田輝政1565-1613(姫路城主)   ┣榊原政倫1665-1683(姫路藩3代)
 ┃┃┃    ┣池田利隆1584-1616  ┏富幾 ┣榊原政邦1675-1726
 ┃┃┃中川清秀娘・糸姫┣池田光政1609-1682 鍋島娘┗榊原政祐1705-1732(養子)
 ┃┃┃        ┃┣池田政言1645-1700    ┗榊原政岑1713-1743(養子)   
 ┃┃┃        ┃┣池田綱政1638-1714(岡山藩主 後楽園を造営)   
 ┃┃┃        ┃┃┣池田吉政1678-1695    
 ┃┃┃        ┃┃千子(丹羽光重娘)    
 ┃┃┃        ┃┣奈阿姫   
 ┃┃┃        ┃勝姫(本多忠刻娘)   
 ┃┃┃        ┣池田恒元1611-1671   
 ┃┃┃     柳原康政娘・鶴姫(徳川秀忠養女)
 ┃┃┣━池田長吉1570-1614
 ┃┃┃  ┣池田長幸1587-1632(備中松山初代城主)
 ┃┃┃ 伊木忠次娘  ┣長常,長信
 ┃┃┃      松子,宮子(森忠政娘)
 ┃┃┣━池田元助1559
 ┃┃┃ 片桐半右衛門娘
 ┃┃┃  ┣-
 ┃┃┣━池田長政1575-1607(母:荒尾善次娘 犬山城にて生)
 ┃┃┃  ┣池田長明1606-1678(伊賀守)
 ┃┃┃加藤嘉明娘┣長重 
 ┃┃┃     ┣長久1645-1697
 ┃┃┃     妾 ┣長喬1676-1723
 ┃┃┃      香昌院 ┣長處1696-1754
 ┃┃┃         峯松院 ┣長仍1725-1796
 ┃┃┃             妾 ┗長玄1741-1814
 ┃┃┃                 ┗-
 ┃┃┃
 ┃┃┣━━若御前   菊亭晴季(越後流罪)1539-1617娘
 ┃┃┃日秀┣-      ┣
 ┃┃┃ ┣豊臣秀次1568-1595(高野山で切腹)
 ┃┃┃ ┣豊臣秀勝1569-1592小吉(妻は淀の妹お江与 朝鮮で病死)
 ┃┃┃ ┣豊臣秀保1579-1595
 ┃┃┃三好吉房1522-1600
 ┃┃池田恒興1536-1584(信長の乳兄弟)清洲会議の宿老 小牧・長久手の戦で討死
 ┃┃                    ↑
 ┃┣森蘭丸1565-1582(長利)本能寺の変で討死 【小牧長久手戦】
 ┃┗森忠政1570-1634
 ┗━━━━━━┓              ↓
        ┣2織田信雄1558-1630(本能寺の変時に伊勢に撤退 宇陀松山藩初代)
        ┃ ┃┣高長1590-1674(宇陀松山藩2代藩主)   
        ┃ ┃┃ ┣長頼1620-1689(宇陀松山藩3代藩主)  
        ┃ ┃┃富田氏      ┣信武1655-1694(宇陀松山藩3代藩主)
        ┃ ┃久保三右衛門娘  津川氏   
        ┃ ┣秀雄1583-1610(亀山城主 関ヶ原合戦で西軍)   
 ┏織田信広-1574┃北畠具教娘(千代御前) 
織田信秀    ┣徳姫(見星院)1559-1636 
   1510-1551 ┃  ┣登久姫                 毛利輝元娘
        ┃  ┃  ┣熊姫┏━━5勝長-1582岩村城主 二条御所で討死┣-  
       ┃  ┃徳川信康┃┏━4羽柴秀勝1568-1586(母不祥)丹波亀山城で病死 
       ┃  ┃    ┃┃┏3信孝1558-1583(母坂氏)伊勢神戸氏継ぐ 四国征伐
      ┗織田信長 1534-1582

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2009年11月05日 | PHOTOGRAPH 夜 寺 滝

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