先日のこと、親父は家人の運転で親父の祖父が生まれた家へ出かけた。
親父の祖父は、我が家に養子に来たという。
私は、親父が小さい頃、祖父に手を引かれて、大峠を越えて祖父の生家に行き、
泊めて貰った話を何度か聞かされたことがあった。
この夏、親父が入院していた時、退院したら祖父の家に行ってみたいと突然言い出した。
どうせ年寄りの思いつきだと思っていたのだが、それを先日実行したようだ。
同行者は、親父と家人、そして私の妹。
先方で理由を話すと、1人300円の見学料ではすまないことになり、
先方の昔話が親父の昔話より優勢になって、
3人ともくたくたに疲れて帰宅したという。
現在、私のひいおじいちゃんの家は重要文化財に指定されている。
@私の曾祖父の家
元和5年(1619)から明治の初めまで、庄屋、大庄屋と続いた地主農家。
文化13年の造営記録によると、寛文10年(1670)の建築とあります。
「棟札や普請帳など建築についての記録がこれほどまでに残っているのは全国的にみても珍しいんですよ」と話す20代当主。
居室の西側に建つ客室は、郡山藩本多氏の休泊の部屋として御殿という名称で記述が残っています。
特に、花狭間の欄間は格調高く、美しい限りです。
親父の祖父は、我が家に養子に来たという。
私は、親父が小さい頃、祖父に手を引かれて、大峠を越えて祖父の生家に行き、
泊めて貰った話を何度か聞かされたことがあった。
この夏、親父が入院していた時、退院したら祖父の家に行ってみたいと突然言い出した。
どうせ年寄りの思いつきだと思っていたのだが、それを先日実行したようだ。
同行者は、親父と家人、そして私の妹。
先方で理由を話すと、1人300円の見学料ではすまないことになり、
先方の昔話が親父の昔話より優勢になって、
3人ともくたくたに疲れて帰宅したという。
現在、私のひいおじいちゃんの家は重要文化財に指定されている。
@私の曾祖父の家
元和5年(1619)から明治の初めまで、庄屋、大庄屋と続いた地主農家。
文化13年の造営記録によると、寛文10年(1670)の建築とあります。
「棟札や普請帳など建築についての記録がこれほどまでに残っているのは全国的にみても珍しいんですよ」と話す20代当主。
居室の西側に建つ客室は、郡山藩本多氏の休泊の部屋として御殿という名称で記述が残っています。
特に、花狭間の欄間は格調高く、美しい限りです。
すごいですね。
すごいと言えば、茅葺の厚み・・・出雲のしめ縄の比じゃないですね。お賽銭をサクッと投げ入れそう(笑)
何となく瓜亀さんにも似てらっしゃるような…。
今も大切に住まわれていらっしゃるのですね。
重文に指定されると何かと大変でご不自由も
多いことでしょうけれど、立派に保守されて
頭が下がります。 有難いことです。
重要文化財に指定、なるほどのお宅です。
>お賽銭をサクッと投げ入れそう(笑)
大阪府河南町の西行法師終えんの地として知られる弘川寺にある西行庵の屋根を思い出しました。
皆が投げたお賽銭で屋根がキラキラ光って美しかった!
>重文に指定されると何かと大変でご不自由も多い・・・
この重文の家にお邪魔して、皆は昔を懐かしんでいたようです。
15年ほど前まで、皆は築250年の我が家で生活していたのですから。
重文は凄いけど、住みやすさ・使いやすさが一番やって言っていました。
>かなり長くお付き合いなさってるのですね。
いえいえ、親父の思いつきなのです。
何十年も付き合いはなかったと思います。
ただ、先方も我が家のことは知っておられたので、話に花が咲いたようです。
家系図にもしっかりと書かれていたとのことです。
昔のモノをそのままの形で残していくって、大変なことだと思います。
その家が長く続くことが難しく、今の時代、ひとつの場所に居続けることも難しいんですから。
この家には数年前?、ももりさんのご主人も見学に来ておられると思います。
>へ・え・え・・・これは聞いてみなくっちゃ。
私の記憶違いならごめんなさい。
その時は、お二人で・・・