
昨日は朝から少々二日酔いでの栗拾い。
栗畑は傾斜地にあり、俯くと身体のバランスが・・・
やっと帰宅したと思ったら、親父が「母の里に栗を届けて、墓参りをしてこい。」と言う。
お彼岸だから私も気になっていたことなので、墓参できない母に代わって家人と行く事にした。
母の里で伯父さんと話、その後、祖父母の墓に向かおうとしたら少し寄り道したい気持ちに。
その寄り道の場所は?
それは“日本武尊琴弾原白鳥陵”。
先日、母は見舞いに行った家人のネックレスを触りながら、里のことを少し話したそうだ。
旅先で倒れ大和に帰れなかった日本武尊。
その三重・亀山から白鳥となって飛び立ち舞い降りたのが、母の里近くの琴弾原。
琴弾原の周辺は“秋津”と呼ばれている所。
“あきつしま”は“やまと”そして“にほん”のこと・・・
昨日の朝、朝食を食べながら見たTVは、佐渡島に朱鷺を10羽自然へと放つ計画があるという番組やった。
大空を飛ぶ朱鷺の姿と日本武尊の白鳥とが重なって・・・
さらに自分を取り戻すことができない母と白鳥とが・・・
母も早く退院して、里に墓参りに帰りたいんやろうなぁ~なんて思っての寄り道やった。
やっぱり、昨日の酒がまだ残ってたんやろかなぁ・・・
今は秋の交通安全旬間、安全運転!安全運転!
※その白鳥陵にあった解説板
【日本武尊・白鳥伝説】
「古事記」・「日本書紀」によれば、日本武尊は父の景行天皇から熊襲・出雲を征討するよう命じられ軍勢もないまま西国を平定、やっとの思いで大和に帰ってくるが、すぐさま東国の蝦夷を征討せよと命じられた。幾多の苦難の末、東国を平定されたが、大和へ帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ、傷を負い、能褒野(三重県亀山市)で故郷を偲んで
大和は国のまほろば たたなずく青垣 山隠れる 大和し美し
と歌い、崩じられたので御陵を造り葬ったところ、白鳥となって大和へ飛び去り、やがて白鳥は琴弾原に留まった。そこに御陵を造ったところ、再び白鳥が飛び立ち、河内国の旧市邑(大阪府羽曳野市)に舞い降りたのでその地にも御陵を造った。その後白鳥はついに天高く飛び去ったという。
「写真;日本武尊琴弾原白鳥陵 」
栗畑は傾斜地にあり、俯くと身体のバランスが・・・
やっと帰宅したと思ったら、親父が「母の里に栗を届けて、墓参りをしてこい。」と言う。
お彼岸だから私も気になっていたことなので、墓参できない母に代わって家人と行く事にした。
母の里で伯父さんと話、その後、祖父母の墓に向かおうとしたら少し寄り道したい気持ちに。
その寄り道の場所は?
それは“日本武尊琴弾原白鳥陵”。
先日、母は見舞いに行った家人のネックレスを触りながら、里のことを少し話したそうだ。
旅先で倒れ大和に帰れなかった日本武尊。
その三重・亀山から白鳥となって飛び立ち舞い降りたのが、母の里近くの琴弾原。
琴弾原の周辺は“秋津”と呼ばれている所。
“あきつしま”は“やまと”そして“にほん”のこと・・・
昨日の朝、朝食を食べながら見たTVは、佐渡島に朱鷺を10羽自然へと放つ計画があるという番組やった。
大空を飛ぶ朱鷺の姿と日本武尊の白鳥とが重なって・・・
さらに自分を取り戻すことができない母と白鳥とが・・・
母も早く退院して、里に墓参りに帰りたいんやろうなぁ~なんて思っての寄り道やった。
やっぱり、昨日の酒がまだ残ってたんやろかなぁ・・・
今は秋の交通安全旬間、安全運転!安全運転!
※その白鳥陵にあった解説板
【日本武尊・白鳥伝説】
「古事記」・「日本書紀」によれば、日本武尊は父の景行天皇から熊襲・出雲を征討するよう命じられ軍勢もないまま西国を平定、やっとの思いで大和に帰ってくるが、すぐさま東国の蝦夷を征討せよと命じられた。幾多の苦難の末、東国を平定されたが、大和へ帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ、傷を負い、能褒野(三重県亀山市)で故郷を偲んで
大和は国のまほろば たたなずく青垣 山隠れる 大和し美し
と歌い、崩じられたので御陵を造り葬ったところ、白鳥となって大和へ飛び去り、やがて白鳥は琴弾原に留まった。そこに御陵を造ったところ、再び白鳥が飛び立ち、河内国の旧市邑(大阪府羽曳野市)に舞い降りたのでその地にも御陵を造った。その後白鳥はついに天高く飛び去ったという。
「写真;日本武尊琴弾原白鳥陵 」
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