間の長そうな日本映画は回避してる自分が、
今回辛気臭さを予感しつつもそれでも録画したのは、辞書編纂というテーマに興味を感じて。
まあ全然使わないけどね、最近は辞書なんて。
パソコンの検索で出てくる辞書で間に合うし、用例も一気に増える。正誤は混淆しているけど。
紙の辞書で使うとしたら、……「日本語大シソーラス」くらいかねえ。
あ、でもここ10年で「書きいれ時」とか引いたな。わたしは「書き入れ時」を
数十年「掻き入れ時」だと思っていて、大福帳に書き入れるだと知った時にはひっくり返って驚いた。
そういうことはたまにあります。
あとは……辞書と言えば「新解さん」ですかね。
いやー、そういえば、新解さん流行ったよねえ、当時。
久々に読みたくなった。(……ので、その後15分ばかり読みふける。)
そうだなあ、辞書に親しみを持つのは「新解さん」があったからかもしれない。
わたし自身の辞書は(そう愛用もしてなかったけど)旺文社の新総合国語辞典。マイナー。
そうでなければ大辞林ですか。
まあまあ、何にせよ、辞書編纂の一部始終を上手く見せてくれるのかな、という期待で見た。
だが……ちと期待が高すぎたんかいな。
映画として、最後の4分の1くらいは引きこまれて見ていたけど、全体的には食い足りなかったかなあ。
特に前半部分。辞書編纂部分もあるにはあるけど、人間関係、恋愛関係に尺を割いてて。
映画ですから、そっちの方向も重要なんだろうけど、でも辞書編纂の話だったら、
ちゃんと上手く作れれば、それだけでドラマティックな内容になりそうな気がするんですよ。
まー……そうなると地味は地味なのか。仕方ないのか。松田龍平と宮崎あおいの恋愛ものになるのも。
人の好みは十人十色、蓼食う虫も好きずき、各者各様でいいんだけれども、
……この性格の松田龍平を好きになるか!?ならんやろ!?しかも宮崎あおいレベルの可愛い子が!
と、大いなる偏見を披露したところで、ワタシはヤだなあ、こんな男。
打てば響くような、とまでは言わんけれども、反応速度は普通にあって欲しいぞ。
10回に1回しかマトモな反応が返って来ないような人では、多分イライラする。
そう、事実わたしは実生活において、反応の遅い人は苦手であるのだ……。
松田龍平はヘンな役柄が相当似合う人。
ただ「探偵はBARにいる」とキャラ丸被り……とは言わないが、ヘンさの方向がまるで同じな気がする。
普通の役柄は何をやっているんだろう。
そうね、わたしは他には、はるか昔の「アヒルと鴨のコインロッカー」を見たが、
あの頃はまだ普通だった。だがあの話は役柄がトリッキーなので普通とも言えない。
全く別の役柄で見てみたいかな?普通の役は普通にやるのかな?
でも普通の話だとわたしが見たくなる作品はないかもしれないなあ。
今回のオダギリジョーは普通の役柄だった。むしろいつもヘンな役柄をやるのはこの人だろうに。
でも松田龍平の変さ加減には負けるなー。今回のオダギリジョーの役、
辞書に尽くす?心根になる部分を上手く書けてたとは思わないが、なかなかいい人の役柄でしたね。
黒木華という人は初耳。24歳だし期待の若手という位置なのか。
しかしこの作品の役柄ではあんまり活きてた気がしない。脚本に不満がある部分。
まあ上記に述べた通り、脚本は不満だよ。抒情を狙ってか間が長いのと(これは演出の責か)、
辞書編纂部分はほとんど面白く書けてない。
唯一、「紙」くらいですか、辞書編纂の「ほう。」と思う具体的な部分は。
ほんのちらっとだけしか尺ないけどね。
こういう、辞書編纂といって素人考えが及ばないようなところを色々見たかったんだけどなー。
そういう部分って非常にたくさんある気がするんだけどなー。
三浦しをんの原作ではこの辺上手く書けてそうな気がする。
でも三浦しをん、何となく手を出すのがコワくて。読むか読まないか迷う。
学生たちの徹夜も現実的じゃないし、
(現実に徹夜があり得ないとは言わないけど、ああいう徹夜の仕方はしない気がする。こんな平成の世の中で。)
現実的じゃないといえば、辞書編纂部の広さがどんどん広くなっているのがどうも……
まあ片づけたんでしょうけどね。でも最初は6畳一間くらいのイメージで始まるのに、
最終的には何十人もの仕事場になっちゃってて。
なんかなあ、と思う部分が多々あり。
なんかなあ、っていう部分で一番何が腹立たしかったって、
松田龍平のラブレターの実物を映さないところですよ。
あそこはがっつり映して、馬締くんのキャラクターを文章と文字と用箋で思う存分表現しなきゃならない
ところでしょ!それなのに遠景でそれっぽく映すだけ。
小道具として面倒くさくてお金もかかるからって、台詞だけで逃げようとするな!
あれがあるのとないのとじゃ説得力が大違い。
せっかく言葉で勝負という話で、毛筆の恋文なんてすごく効果的な小道具じゃないか。
それを本気で作れない……時間のなさか、金のなさか、センスのなさにがっかりだよ。
全体として「いい話」。だけれども、こういう「いい話」が邦画には多すぎる気がする。
もう少しエンタメ寄りの話が増えてくれると嬉しいなあ。
洋画と邦画をそう強く分類しているつもりはないのだが……
こういう映画を見ると、邦画の辛気臭さと間の長さは苦手だなと思う。
わたしはもう少しテンポのいい映画が好きだ。
まあしょうがないのか、「東京物語」とかからの流れを汲む邦画の世界は。
間をとることが、抒情を感じさせるための安易な手法に感じられるんだよね。
間は、取るべき時に取ってこそ活きるのであって、どこもかしこも間では、
それは単にテンポが悪いということなんじゃないだろうか。
あと色合いも……。全体的なトーンが使い古したちゃぶ台の色というか……。
たしかにこの話で明度彩度クッキリ、という画面にしても仕方がないとは思うんだけれども。
今回辛気臭さを予感しつつもそれでも録画したのは、辞書編纂というテーマに興味を感じて。
まあ全然使わないけどね、最近は辞書なんて。
パソコンの検索で出てくる辞書で間に合うし、用例も一気に増える。正誤は混淆しているけど。
紙の辞書で使うとしたら、……「日本語大シソーラス」くらいかねえ。
あ、でもここ10年で「書きいれ時」とか引いたな。わたしは「書き入れ時」を
数十年「掻き入れ時」だと思っていて、大福帳に書き入れるだと知った時にはひっくり返って驚いた。
そういうことはたまにあります。
あとは……辞書と言えば「新解さん」ですかね。
いやー、そういえば、新解さん流行ったよねえ、当時。
久々に読みたくなった。(……ので、その後15分ばかり読みふける。)
そうだなあ、辞書に親しみを持つのは「新解さん」があったからかもしれない。
わたし自身の辞書は(そう愛用もしてなかったけど)旺文社の新総合国語辞典。マイナー。
そうでなければ大辞林ですか。
まあまあ、何にせよ、辞書編纂の一部始終を上手く見せてくれるのかな、という期待で見た。
だが……ちと期待が高すぎたんかいな。
映画として、最後の4分の1くらいは引きこまれて見ていたけど、全体的には食い足りなかったかなあ。
特に前半部分。辞書編纂部分もあるにはあるけど、人間関係、恋愛関係に尺を割いてて。
映画ですから、そっちの方向も重要なんだろうけど、でも辞書編纂の話だったら、
ちゃんと上手く作れれば、それだけでドラマティックな内容になりそうな気がするんですよ。
まー……そうなると地味は地味なのか。仕方ないのか。松田龍平と宮崎あおいの恋愛ものになるのも。
人の好みは十人十色、蓼食う虫も好きずき、各者各様でいいんだけれども、
……この性格の松田龍平を好きになるか!?ならんやろ!?しかも宮崎あおいレベルの可愛い子が!
と、大いなる偏見を披露したところで、ワタシはヤだなあ、こんな男。
打てば響くような、とまでは言わんけれども、反応速度は普通にあって欲しいぞ。
10回に1回しかマトモな反応が返って来ないような人では、多分イライラする。
そう、事実わたしは実生活において、反応の遅い人は苦手であるのだ……。
松田龍平はヘンな役柄が相当似合う人。
ただ「探偵はBARにいる」とキャラ丸被り……とは言わないが、ヘンさの方向がまるで同じな気がする。
普通の役柄は何をやっているんだろう。
そうね、わたしは他には、はるか昔の「アヒルと鴨のコインロッカー」を見たが、
あの頃はまだ普通だった。だがあの話は役柄がトリッキーなので普通とも言えない。
全く別の役柄で見てみたいかな?普通の役は普通にやるのかな?
でも普通の話だとわたしが見たくなる作品はないかもしれないなあ。
今回のオダギリジョーは普通の役柄だった。むしろいつもヘンな役柄をやるのはこの人だろうに。
でも松田龍平の変さ加減には負けるなー。今回のオダギリジョーの役、
辞書に尽くす?心根になる部分を上手く書けてたとは思わないが、なかなかいい人の役柄でしたね。
黒木華という人は初耳。24歳だし期待の若手という位置なのか。
しかしこの作品の役柄ではあんまり活きてた気がしない。脚本に不満がある部分。
まあ上記に述べた通り、脚本は不満だよ。抒情を狙ってか間が長いのと(これは演出の責か)、
辞書編纂部分はほとんど面白く書けてない。
唯一、「紙」くらいですか、辞書編纂の「ほう。」と思う具体的な部分は。
ほんのちらっとだけしか尺ないけどね。
こういう、辞書編纂といって素人考えが及ばないようなところを色々見たかったんだけどなー。
そういう部分って非常にたくさんある気がするんだけどなー。
三浦しをんの原作ではこの辺上手く書けてそうな気がする。
でも三浦しをん、何となく手を出すのがコワくて。読むか読まないか迷う。
学生たちの徹夜も現実的じゃないし、
(現実に徹夜があり得ないとは言わないけど、ああいう徹夜の仕方はしない気がする。こんな平成の世の中で。)
現実的じゃないといえば、辞書編纂部の広さがどんどん広くなっているのがどうも……
まあ片づけたんでしょうけどね。でも最初は6畳一間くらいのイメージで始まるのに、
最終的には何十人もの仕事場になっちゃってて。
なんかなあ、と思う部分が多々あり。
なんかなあ、っていう部分で一番何が腹立たしかったって、
松田龍平のラブレターの実物を映さないところですよ。
あそこはがっつり映して、馬締くんのキャラクターを文章と文字と用箋で思う存分表現しなきゃならない
ところでしょ!それなのに遠景でそれっぽく映すだけ。
小道具として面倒くさくてお金もかかるからって、台詞だけで逃げようとするな!
あれがあるのとないのとじゃ説得力が大違い。
せっかく言葉で勝負という話で、毛筆の恋文なんてすごく効果的な小道具じゃないか。
それを本気で作れない……時間のなさか、金のなさか、センスのなさにがっかりだよ。
全体として「いい話」。だけれども、こういう「いい話」が邦画には多すぎる気がする。
もう少しエンタメ寄りの話が増えてくれると嬉しいなあ。
洋画と邦画をそう強く分類しているつもりはないのだが……
こういう映画を見ると、邦画の辛気臭さと間の長さは苦手だなと思う。
わたしはもう少しテンポのいい映画が好きだ。
まあしょうがないのか、「東京物語」とかからの流れを汲む邦画の世界は。
間をとることが、抒情を感じさせるための安易な手法に感じられるんだよね。
間は、取るべき時に取ってこそ活きるのであって、どこもかしこも間では、
それは単にテンポが悪いということなんじゃないだろうか。
あと色合いも……。全体的なトーンが使い古したちゃぶ台の色というか……。
たしかにこの話で明度彩度クッキリ、という画面にしても仕方がないとは思うんだけれども。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます