お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

子どもをあずける(5)ベビーシッター

2010-09-29 | with バイリンガル育児
『The Baby-Sitters Club』はなんと64話も続く人気シリーズ

アメリカでは、満13歳になるまで子どもをひとりにしておくことができない ---- という確固たる現実は、これまでに何度もご紹介してきました。
ブログ記事:『それぞれの独り立ち スイート16
ブログ記事:『はじめてのおつかい

ところが一方こちらでは、夜や週末に夫婦そろって出かける会合や集まりが実に多いのです。学校の保護者会ですら夕方以降に開催されることが度々で、ベビシッタ―を頼まなければならないことがよくあります。

わが家のようなひとりっ子は留守中シッタ―さんと2人だけなので、よほど信頼できる方でないと怖くてお願いできないというのが親の本音でした。そうなると、友だちの紹介など口コミに頼ることになり、情報が限られてします。知り合いが頼んでいるシッタ―さんは、その知人と私の予定が重なればこちらが遠慮するのが筋でお願いできない・・・など、いろいろ苦労があります。うちの娘などは、まだ英語が十分に話せない幼い時には言葉の壁の問題がありましたし、大きくなればなったで親が安心できるシッタ―さんは「退屈だからイヤ」などとうるさい注文が出るようになって、また難儀。シッターさん探しも大変でした。

最近はインターネットのおかげで、情報取得は簡単にできるようになりました。
調べてみると、マッチングサイトもあります。シッタ―さんの写真付き紹介が掲載され、直接交渉もできるようになっています。 ◆babysitters.com 
赤ちゃんだけでなく、お年寄りやペットさらには留守宅の面倒を見るハウスシッターまで、あらゆる"Sitter"を紹介するサイトもありました。 ◆sitters.com

便利になりましたね。でも、それでも、子どもを預けるのはやっぱり慎重に。こちらでは、紹介のない知らない人に頼む場合はできるだけきちんとしたエージェントを通し、契約する前にFBIの記録などを照会して犯罪歴のチェックをするのが常識です。

私もたくさんの方にベビーシッタ―をお願いしましたが、すべて直接の知り合いかその紹介でした。通っていたプリスクールや小学校の先生に週末や出張時の夜間ベビーシッタ―をお願いしたり、先生方の娘さんに頼んだこともあります。大きくなってからは近所の高校生や大学生に来てもらったり、また娘の日本語のためにと、日本からのシッタ―さんに住み込んでいただいたこともあります。

当時の私は非常に出張の多い仕事をしていましたので、学校に上がらないうちはプリスクールを休ませて一緒に出張に連れて行き、出先で友人に預かってもらったり、ホテルのベビーシッターサービスを頼んだり、サーカスやミュージアムに連れて行ってくれるエスコートサービスを頼んだりもしていました。でも学校に上がったら、お休みさせると叱られるうえ、出席日数が成績にも響くことがわかって連れ歩けなくなりました。悩んだ挙句に住み込みのシッタ―さんに来てもらったのも、このあたりの事情からです。過ぎてしまえばそんな苦労もほとんど忘れてしまいましたが、子どもを育てていた一時期は、寝ても覚めても仕事の段取りと子どものスケジュール、それにベビ-シッタ―の手配で頭がいっぱいでした。

さて「ベビシッタ―の料金は?」というと、上に書いたような実に個人的な関係の中での話なので、基準もきまりもありません。シッタ―さんの年齢や経験によって異なり、また時間帯や依頼する内容によっても違います。面倒をみていただく子どもの数や年齢、お願いする内容(食事をさせてもらうか否か・食事は作っておくかどうか・夜、寝かしつけてもらう必要があるか否か・宿題を手伝う必要があるか否かなど)でも違ってきます。20年前はたいてい1時間数ドル程度でした。この頃は不況で失業中の人が多いので、ベビーシッタ―は「買い手市場」だと聞いたこともありますので、あまり料金は高くないかもしれません。それでも"良いシッタ―さん"は常に取りっこですので、市場環境とは関係ないでしょう。

憶えておきたいのは、「冷蔵庫に入っているものは何でも食べたり飲んだりしてよい」という不文律があること。ですから預ける親たちは、ベビシッタ―が好きそうなソフトドリンクやスナック、簡単な食事になりそうなもの等を入れて出かけます。留守番が食事時間にかかる時には、ベビシッタ―と子どもが一緒に食べられるものを用意するか、外に食事に行くように、あるいは何か「テイクアウトするように」と食事代を渡していくのが常識です。さりげなく美味しいものを用意しておくのも、シッタ―さんと子どもの関係を友好に保つ戦略ですし、「ベビーシッターさんが来ると(親には連れてってもらえない)ファーストフードのお店に行ける!」と子どもが楽しみにするというのもちょっとした戦略。日頃から戦略的に「親はなかなか連れて行ってくれないところ」「親はなかなか食べさせてくれないもの」などを決めておくと"お留守番の楽しみ"に使えて効果的です。

ちなみに我が家では、長いあいだ「『目玉焼き』はお父さんの”十八番”で、お母さんはどうしても上手にできないから作らない」ということになっていました。「お母さんが出張すると、お父さんが普段はなかなか食べられない目玉焼きを作ってくれるから嬉しい!」というのが小さな頃の娘の"お留守番の楽しみ"でした。今は昔、我が家の笑い話です。

さてベビーシッタ―は、家に入って家族や家庭の事情を間近に見ることになる仕事です。家庭と言うのは、改めて言うまでもなく、外からでは決してわからないいろいろな事情を抱えているものです。十の家族があったら、十の物語が書けるはず。絶対に覗くことのできないよその家庭の話は、「へぇ!そんな家もあるの!」と驚いて聞く時も、「どこの家庭も同じね~」と身につまされて聞く時も、なかなか興味深いものです。

若い読者向きのメガヒットとなった「ベビーシッタ―ズ・クラブ」シリーズは、読者のそんな好奇心をかきたてて成功したミリオンセラーのロングセラー。本だけでなく、テレビ、映画にもなり大人気を博しました。
クラブの公式ホーム―ページがあり、テレビシリーズのテーマソングがYoTubeにアップされています。メガヒットですのでWikipediaにもしっかり掲載されているほどです。





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子どもをあずける(4)サークルタイムのサバイバル術

2010-09-22 | with バイリンガル育児


「行きたい、行きたい」とせがんで通い始めたプリスクールなのに、通い始めてしばらくしたら朝の出がけにぐずるようになった娘。『登校拒否』の原因は、朝のサークルタイムでした。

クラス全員が床に車座になって座り、いっせいに声を合わせて歌を歌ったり、手遊びをしたり、先生が読んでくださる絵本の読み聞かせに耳を傾けたり、子どもたちがひとりひとり立って自分のこと話したり・・・。そう、サークルタイムは『英語』がわからないと参加できないのです。いえいえ英語がわかるだけでもダメ。実は、アメリカの子どもの『常識』を知らないと参加できないのです。ある朝、娘と一緒に車座に座ってみた私は、サークルタイムの間中、終始うつむいて靴ひもをいじってばかりいる娘の気持ちが痛いほどにわかりました。私にとってもサークルタイムは「何ひとつ分からない、ただ呆然とするしかない時間」だったからです。

この手痛い体験で一念発起! サークルタイムが辛くてもなんとかプリスクールに通いつづけられる方法を考えることにしました。

まず始めたのは「朝早く着くように連れていく」ことでした。サークルタイムは始業後すぐの9時から。子どもは"9時まで"に着けばよく、早く到着した子は時間までプレイグラウンドで遊んでいることになっていました。が、「泣くとかわいそう」と思いこんでいた私は、いつも9時ぎりぎりに娘を連れて行っていたのです。でも、それでは着いた途端にサークルタイム! 気持ちが暗くなるのは当たり前です。だったらいっそ・・・と逆療法に出ました。始業時刻よりもかなり早く連れて行って、クラスではなく、プレイグラウンドのお友達の中に下ろすことにしたのです。遊ぶだけだったらサークルタイムほどの英語は必要ないから、まだお友達に溶け込みやすいだろうと考えたのです。結果?ビンゴ! ちょっと年長のやさしい女の子が毎朝待っていて遊んでくれるようになったのです。(ブログ記事:私と遊んで

同時に、さっそく「アメリカの2-3歳児の常識」に追いつく方法を探しにかかりました。インターネット以前(有史以前?)の当時の常識は「わからないことは『本』に聞け」でしたから、まずは街の本屋さんに行きました。当時の私の行きつけは"Clean Well Lighted Place to Read"(読書するための清潔で明るい場所)という、ちょっと江国かおりさんの小説みたいな洒落た名前のついた本屋さんでした。

話が逸れますが、この本屋さんには広い児童書のコーナーがあって、子ども用に低くしつらえられた本棚にいつもたくさんの本が並んでいました。書棚に囲まれた空間には『うさこちゃん』のお話に出てくるようなカラフルで小さい幼児用のテーブルとイスがあり、おもちゃの入った箱もあって、子どもたちはそこに座って本を読んでもらったリ、おもちゃで遊んだりできました。そのうえ、子どものためはお水が、大人のためにはコーヒーのポットまでおいてあったのです。だから子ども連れで行っても、あれこれ試しに読んで聞かせてみたりしながら、ゆっくり本を選ぶことができました。そう、あの映画"You've Got Mail"に出てくるような本屋さんだったのです。そして、だから・・・というわけでもないと思いますが、この書店も全国チェーンの大型店に押されて閉店してしまいました(ブログ記事:えいがと絵本

さて、娘のプリスクールのサークルタイムで挫折した日の午後、さっそく本屋さんに行った私はご案内のデスクに直行しました。
「プリスクールで子どもが歌う歌の歌詞がわかる本はありますか?」
デスクにいた店員さんはニッコリして「カセットテープかビデオがいいんじゃないかしら?」

ふたたび閑話休題。当時はオーディオはカセットテープ、ビデオはVHSテープ。あれから20年、娘がさんざんお世話になった『ラジカセ』なんて今はもうアンティーク。いまどきの子どものボキャブラリーにはありませんね。

さて、店員さんに教えていただいたコーナーに行くと、ありました!ありました!子どもの歌や手遊びのテープやビデオ。でも、さぁ困った! 実は、当時の私はプリスクールで歌った歌のタイトルさえ知らなかったのです。仕方ないのでカセットやビデオを片っ端から手に取り、カバーのイラストや写真をためつすがめつ眺め、サークルタイムで子どもたちがしていたようなしぐさ・動作が描いてある(と思われる)ものを手当たり次第にバスケットに投げ込んでレジに直行しました。

その日から毎日毎日、繰り返し繰り返し、ビデオを見て手遊びを覚えました。車を運転している間はずっと子どもの歌のカセットをかけっぱなしにして、歌詞をおぼえました。いくつも買いましたが、どのカセットもビデオも同じような歌が重複して収録されていました。でも、さすがアメリカ!です。"多様性"を誇る国だけに、歌手もキャラクターも実に多様で、それぞれに個性的で楽しめるものばかり。だから、飽きずに、退屈せずに、繰り返し聞くことができました。そうして私自身があれこれの手遊びや歌を憶えてから、今度は娘と一緒にまたさんざん繰り返して見て、一緒にテレビの前で手遊びをして、娘が憶えるのを手伝いました。効果?絶大!でした。始めてほんの数日で、娘はサークルタイムを嫌がらなくなりました。よし! サバイバル成功です!

さて、当時、一番お世話になったのが"Wee Sing"のシリーズでした。子どものための歌や手遊びを集めたビデオはプリスクールでサバイブするのに必要な「こどもの常識」と「こどもの一般教養」をもれなくカバーしていて大助かり。実際、どれもテープが擦り切れるほど繰り返して見ました。特にクリスマスソングを集めたビデオは、プリスクールを卒業して小学校に通うようになっても毎年繰り返して使えて重宝しました。クリスマスの歌は実にたくさんあって、それなのに1年のごく限られた時期しか歌わないので、つい忘れてしまうのです。だから、毎年、ハロウィーンが終わったころから繰り返しクリスマスソングのビデオを見ては、改めて歌詞を覚えてました。(ブログ記事:クリスマスは歌にのってやってくる

でもこの原稿を書くために調べてみたら、さすがに当時のビデオシリーズは技術革新の波に押し流されて廃版になっていることがわかりました。あれこれ調べていたら、Wikpediaにも載っていることがわかりました。それにしてもWiliにまで載っているなんて、すごい!お世話になったのはきっと私や娘ばかりではなかったのでしょう。

これからあれこれの歌の歌詞を覚えるお母さんとお子さんは、どうぞご安心ください。ネット上に"新装開店"した「Wee Singのホームページ」が健在です。いま見てみたら昔懐かしいシリーズが新しいメディアになってラインナップしているうえに、最近の新しいラインが加わってます。絵本も歌も子どもの文化って実にロングテール。時代はうつっても子どもの文化って脈々と継承されているのだなぁと感慨深いものがあります。





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新種? 霊長類 ヒト科 ニンゲン目 ヤングアダルト族

2010-09-13 | with バイリンガル育児

とある教会のプロモーション写真に登場するターゲット層は、18から35歳のヤングアダルトたち

「いまどきの若者は‥‥」という上の句にはたいてい批判的な下の句が続くのが常識。これはギリシャ時代の文献にも登場する古典的な言い回しです。親の世代の目に映る若者たちはいつの時代も「(自分たちに比べて)いつまでも子供っぽくて、なかなかおとなにならないくせに、屁理屈だけは一人前」というのが相場。モラトリアムと言われ、ピーターパン症候群と言われ、アダルトチルドレンと言われ、新人類と言われ、いつの時代にも若者は上の世代を時に驚かし、時に呆れさせながら育っていることがわかります。

最近アメリカでまた「なかなかおとなにならない若者」をめぐる議論が再燃しています。新しい世代区分はそのものずばり『ヤングアダルト(Young Adult)』。ティーンエイジャーから続く『思春期(Adolscence)』は卒業したんだけれど‥‥(そして、大学だって大学院だって卒業したのだけれど‥‥)の20代から30代の世代です。

かつては「18歳を過ぎ、高校を卒業したら親の家を出て独立する」のがアメリカの伝統だとかたく信じられてきました。が、そんなことは最近では幻想か、ただのスローガン。長引く不況下、大学卒業後に親の家にリターン同居する子どもが急増し、一人立ちしないニート(NEET)の子どもとの間に親子の新たな軋轢が生じています。メディアは、そんなヤングアダルトを「思春期以上おとな未満(Post -Adolescent, Pre-Adult)」と呼んでさまざまな特集を組んでいます。

問題は「単に若者の意識や行動だけにあるのではない」というのがニューヨークタイムス紙の指摘。アメリカ社会の若者の扱いにはさまざまな『矛盾』があると言い、例えば、18歳で兵役につけるのに21歳までは飲酒できない、16歳で運転免許が取得できるのに25歳まで単独ではレンタカーできない、親には子どもが18歳を過ぎると保護者として学校に子どもの成績を開示するよう請求する権利がなくなるのに強制的に子どもの教育ローンの保証人にならねばならない、などなど数々の矛盾があるというのです。こんなに混乱した状況では「アメリカで(社会的に)大人になる」ことがどういうことか、子どもたちが明確に定義できないのも無理はないだろうというのです。確かにざっと概観するだけでもさまざまな矛盾があることは確かですが、それにしても‥‥。

医療周辺ではオバマ大統領の医療改革が実施されると、26歳までの(州によっては30歳までの)「子ども」は親の医療保険の扶養家族になれるようになりました。これまでは21歳を過ぎると親の医療保険の扶養家族に入れませんでした。法案はこの9月から実施となります。

医療といえば、ウォールストリート・ジャーナル紙が「もう小児科にはかかれない(“Can’t Part With the Pediatrician” 2010年8月10日) 」と題した記事で、赤ちゃんの時からかかりつけの小児科医に、大学生になっても、大学を卒業して社会人になっても、結婚しても通い続けているヤングアダルト達のケースを多数レポートして、別の角度からこの問題に切り込んでいます。

新聞記者のインタビューに応えた小児科医の大半は「(患者が)学生でいる間は診ている」と話し、従い一般に18歳から21歳あたりが小児科卒業の時期とみなされているのですが、なかには「30歳を過ぎ、結婚もしている大学院生のカップルが診療にきて困惑している」とか「赤ちゃんを産んで親になったのだから、もうお母さんは一般医にかわりましょうね」と患者に勧告したという小児科医たちの談話が紹介され、いつまでたっても小児科を卒業しないヤングアダルトが多いと報じているのです。

問題は、これらヤングアダルト達が小児科医に行かなくなった後、なかなか一般医(小児科以外の医師)に”かかりつけ登録”をしないことだといわれています。ヤングアダルト達は「一般医のオフィスはなんとなく怖い」「かかりつけでないのでなじめない」等の理由で医師や病院を敬遠してしまい、定期健診等も受けないことが多いという、俄かには信じがたい事実があるのだそう。

こうした事態に対応するため、最近になって各地に新設されているのが"Med-Peds"と呼ばれる新しい診療科です。ハイティーンから30代初めあたりまでのいわゆるヤングアダルト世代を対象に、内科医と小児科医の両方を繋ぐ専門医が診療に当たるクリニックで、摂食障害や性や避妊の問題などこの時期に増加する特有の保健衛生上の問題に配慮しつつ、小児科から一般医への移行期にあるヤングアダルトを専門に診察する診療科です。「怖がらないで来てください」というわけです。

さて親の目から見た問題は、これらのヤングアダルトたちが生活的にも経済的にも自立しないくせに、屁理屈だけは一人前だと感じられること。リターン同居の親子の間に口げんかが絶えないで社会現象にまでなっているのも、そのあたりに原因がありそう。

でも、問題はそれだけでしょうか?

18歳から29歳のヤングアダルトとその親との間には、単なる年齢の差以上に高い高い壁があります。テクノロジー・ギャップです。技術の進歩、とくにコミュニケーション技術の進歩は、友人との関係だけでなく、親子の関係をも変えています。頻繁にテキストメッセージを送って親とコミュニケーションしている子どもが、ではリアルな親子の会話を望んでいるか?というと、これは大いに疑問。

失業中の子も、昔のように毎日職業斡旋所に通ったりはしません。ジョブハントするにもインターネットの時代です。年若い失業者は堂々と居間のソファに陣取り、膝に乗せたPCを忙しく操作しながら、耳にはイヤフォン、目はテレビ。職探しも、アプリケーションを送るのも、全部インタネット経由。やれやれ‥‥親には遊んでいるようにしか見えません。

職探しだけではありません。技術革新はワーキングスタイルにも、ひいては職業倫理や職業行動の規範にも大きなジェネレーションギャップを生みだしています。爆発的に売れた『金持ち父さん、貧乏父さん』の本ではありませんが、「学校を卒業したらできるだけ安定した大手企業に雇われ、毎日会社に通ってつつがなく退職まで勤め上げる」などというかつてのワーキングスタイルは通用しないどころか、まったく「クールじゃない」のです。

さて、そんなヤングアダルトを抱える親に「20代の子どもとどう付き合うか」のハウツーを説いたのがウォールストリート・ジャーナル紙(2010年9月1日Personl Journal)。 記者は「今の時代『年上だから、若い人に何かアドバイスできる』なんぞと考えない方がよい」と断言します。若い世代に言ってもよいのはせいぜいが「こんな風にすることもできるんじゃないの? You Could...」程度が限界、まかりまちがっても「こうすべきYou Shoud...」なんて言ってはいけません。「私が若いころには‥‥」は禁句中の禁句。絶対に口走ってはいけません(Resist saying when I was young...)。そうそう、Face BookやTwitter等のソーシャルメディアの批判なんぞしようものなら‥‥その後はいっさい相手にされなくなりますから、ご用心!と警告までしています。なるほど‥‥家にひとりヤングアダルトを持つ親として、私も自戒の思い新たに読みました>笑!

ところで、よく考えてみたら、いま2-3歳の赤ちゃんに英語の絵本を読んで聞かせているお母さんも、実はここでいうヤングアダルト世代かもしれませんね。‥‥だとすると、いまの赤ちゃんがやがて18歳になり、21歳になり、29歳になるころには、お母さんと赤ちゃんの親子関係はいったいどうなっているのでしょう? そのころ、若者は何と呼ばれているのでしょう? 親子のジェネレーションギャップはどんな様相でしょう?

う~ん、実に、楽しみ! 普段はあまり長生きしたいと望まない私ですが、こういうのを「自分の目で見たい!」と感じる時だけ、ちょっと「長生きしたいな!」と思います。



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子どもをあずける(3)プリスクールの難問

2010-09-08 | with バイリンガル育児


英語のわからない娘がプリスクールに入ったのは、まだ2歳半にもならない頃。通い始めて半年後に撮ったクラス写真に、戸惑ったような怒ったような表情でニコリともせずに映っている娘は、クラスの一番小さい子よりもさらに頭ひとつ分くらい小さくて、一目瞭然のみそっかす。そんな幼い娘を初めてアメリカのプリスク―ルに出した私の心配と困惑については、すでにこのブログにも何回か書きました。(ブログ記事:プリスクール初日のキーワード

そんなに心配なのに、どうしてプリスクールなんかにあげたの?とよく聞かれましたが、理由は至って簡単で、娘の希望というより”熱望”に親の方が根負けしたからです。友人も知人もいない転居先のアメリカで「ねぇ、子どもたちはどこにいるの? お友だちと遊びたいんだけど・・・」と言い出してきかない娘と一緒に、毎日、公園を行脚していたある日、娘が「あ!あそこに子どもがいるよ!遊んでるよ!ねぇ、行ってみよ!」と叫ぶなり走り出しました。

ころがるように走って行く娘の後を追っていくと、確かに公園の一角の金網のフェンスで囲われた遊び場で子どもがたくさん遊んでいます。でも、金網のフェンスは見るだに『部外者立ち入り禁止』。隣接するプリスクールの専用遊び場(Play Ground)だったのです。アメリカでは誘拐(Kidnap)を防ぐために、子どもの遊び場は外部から入れないように、また子どもたちが外に出ないように閉じた空間なっているのが常識。でも実は、こんなことも後でわかったことです。

娘は・・・と見ると、両手でフェンスを握りしめ、それも、握りしめた指の関節が白くなるほどにギュッと握りしめ、フェンスに顔をくっつけて文字通り食い入るように中の子どもたちを見ていました。ところが、すぐにブザーが鳴って子どもたちと先生はぞろぞろと建物の中へ入ってしまいました。誰もいなくなった遊び場では、ブランコやラウンドアバウトがまだ揺れていました。その誰もいなくなった空間を、娘はなおしばらくじっと見つめていましたが、ふと顔を上げると断固とした口調で私に言いました。「あそこで遊びたい!ねぇ、仲間に入れてってお願いしてきて!」

それが娘と私と彼女のプリスクールの最初の『出会い』でした。それから入学までも、実は長いエピソードがあり、それは後で書くことにしますが、ともあれ紆余曲折の後に2カ月後には念願の入学を果たしました。

でも、調子よかったのはそこまで。張り切って出かけた初日が過ぎ、3日経ち、1週間経つうちに娘はだんだん意気消沈。やがて毎朝泣きべそをかくようになるのに、さして時間はかかりませんでした。

英語ができなくて誰とも話が通じないばかりか、見るもの聞くもの知らないことだらけ。オヤツのお菓子も見慣れないものばかり(我が家では、あまりにも鮮やかな色のついたアメリカのお菓子は食べさせていませんでした)。遊び場は遊具がいっぱいだったけど、モンキーバ―は大きすぎて手が届かないし、ラウンドアバウトは乗り方がわからない。ブランコは日本の板張りとは違って身体に吸いつくゴム板で乗りにくいし、砂場ではコミュニケーションができないから仲間に入れない・・・。

「だって、誰も遊んでくれないんだもん!」と訴えるのを聞くたびに親は胸が痛みました。(ブログ記事:わたしと遊んで!

「嫌だったら、やめてもいいよ」というのは簡単でした。でも、娘が自分で見つけだし、自分で「行きたい!」と言い出して、喜びいさんで通い始めたプリスクールです。そんなに簡単にやめちゃったら、娘の『Self Esteem(適切な訳語が見当たりませんが、心理学では「自己効力感」と訳されています。「私にはこれができる・・・と感じられる」力のことです)』によくないだろうな、と若い母親は思いました。娘が自分から「やりたい!」と言いだしてはじめたことを「『挫折』で終わらせたくない!」と思ったのです。

20年もたった今では、あの時にプリスクールをやめたからって2歳の子に挫折感など残らなかったかもしれないと思えます。が、当時の私には「やめさせればいい」という選択肢が思いつかず、なんとか続けられないかなぁ、どうすれば泣かなくなるかなぁ・・・とばかり考えていました。そして、思いあぐねてある日、先生にお願いして一日プリスクールで子どもについて歩く(shadow)ことにしました。結果?百聞は一見に如かず! 一日が始まったとたんに問題の根っこが見えました。問題はサークルタイム(Circle Time)でした。

プリスクールの一日は午前9時のサークルタイムで始まります。サークルタイムにはクラス全員が丸く輪になって床に座ります(サークルタイムの由来はこの「車座(Circle)に座ること」からきています)。このとき、アメリカでは先生も子どもたちも"胡坐"をかくのです。「はい、ちゃんと座って!」と言われた子どもたち全員がさっと一斉に胡坐をかいたのを見て、私は内心びっくりしました。だって、当時の日本では、胡坐なんてオジサン連中の専売特許と相場が決まっていたのです。人前で床に胡坐をかいて座るなんて・・・私も娘も日本では一度もやったことがありませんでした。だから私にはまさにその日が初体験。やれやれ・・・こんなことも知らなかったんだ・・・と驚きながら、慣れない胡坐をかきました。娘は・・・と見ると、居心地悪そうに片膝を立てて座って、所在なさげに、立てた足の靴ひもをほどいています。そうよね・・・日本では胡坐なんてかいたことなかったものね・・・落ち着かないよね・・・気持ち、わかるよ。

さて、なんとか無事に胡坐をかいて座ったものの、サークルタイムが始まるや、私は呆然としました。何故って、そこでおこっていることが"何ひとつ"わからない!のです。戸惑ったなんてものではありません。30分のサークルタイムはまさにチャレンジの連続!というのも、サークルタイムはまさにアメリカの『英語』と、アメリカの『子どもの常識』のショーケースだったからです。みんな一緒に歌を歌ったり、手遊びをしたり、先生の読み聞かせを聞いたり。"シェアリング" Sharingでは、子どもたちが一人ずつ立って、自分の『自慢の一品』を見せたり、お気に入りの絵本を暗唱したり、最近経験したことをあれこれ話したり。

ところが、私ときたら(娘じゃありません、私!です)、みんなが歌っている歌は知らない(メロディは聞いたことがあっても歌詞を知らなくて歌えない)、手遊びは初めて見るものばかりで必死に周りを見ながら真似てもついていけない(そもそも手遊びの歌の歌詞がよくわからないので、意味がとれなくて、しぐさができない)、読み聞かせの絵本はタイトルさえ聞いたことがない、おまけに周りに座った3-4歳児の話す英語は、舌足らずなうえにさまざまな国のアクセントがまじった幼児語で(・・・って、私にも人のことは言えないのですが>笑!)、聞き取るのさえ困難・・・。え~!うちの子は毎朝これをやってたの?

後にも先にもあんなに長い『30分間』は経験したことがありません。長い長い困惑に満ちた30分間は、まさに百聞は・・・の体験でした。「なにもわからない」ということが実際にどういうことなのかを体感しました。まさに頭ではなく体でわかりました。

ただただ困惑してじっと座って時の過ぎるのを待つしかなかった初めてのサークルタイム。おとなの私にさえ耐えがたく長かったのですから、2歳の娘にはどれほどでしょう。隣に座った娘は、サークルタイムの間中、終始うつむいてほどいた靴ひもをいじっていました。かわいそうでした・・・。あのとき見た娘の姿は20年たった今でも目に焼き付いて消えません。

そうか!これだ!サークルタイムだ!この時間が嫌なんだ(私だって嫌だもの)! わかったぞ!サークルタイムに参加できるようになれば、きっと、とりあえずは泣かなくなるんじゃないかな? それには、どうすればいい・・・?アメリカの2-3歳児が知ってる『常識』が分かればいいんだよね、アメリカの2-3歳児に追いつければいいんだよね?でも、でも、じゃあ、アメリカの子どもの常識って、それ、どこでおぼえればいいの・・・?

その日から私は、猛然とサークルタイム・サバイバル戦略のためのリサーチを始めました。あのときグ-グルがあったら!あの時アマゾンがあったら!私のリサーチはきっとすごく簡単だったと思います。でも、時代は、はるかグーグル以前、アマゾン以前の、言わば「有史以前」。地図も標識もないジャングルをたどった、私と娘のジャーニーは次回にご紹介します。





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こどもをあずける(2)いい おかお 

2010-08-11 | with バイリンガル育児


生後2カ月の娘を始めてあずけることになっていた日。車でほんの5分程のところまで行くのに、さぁ困った、娘を安全に運ぶ方法がありません。抱っこして歩いてもいける距離でしたが、何しろ初日というので、着がえやおもちゃのほかに、タオルやらお昼寝用のお布団やらブランケットやら・・・。これから使うはずの物を山のように運ぶことになっており、とても歩いていけるような状況ではありません。

思案の挙句、籐のバスケットにタオルやブランケットを敷きつめ、運転している私の方が見えるように工夫して寝かせた娘が動かないように固定し、そのバスケットをシ―トベルトで固定して運転して行きました。まるで『いづめ子』です。今から思えば、危ない!危ない!娘が聞いたら怒りそうです。が、まぁこんなことも時効にしてもらわなければ・・・の時代でした。その翌年アメリカに来て、新生児用カーシートがあるのがわかったときは、さすがアメリカ!と驚き、日本にもこれがあったらよかったのに・・・と実に、羨ましかったものです。

さて、娘をあずかってくださったのは、前のブログに書いたように、もうこれ以上望みようもないほど理想的な条件を備えたH先生。子育てのベテランでした。ですから、今から思えば、ただ「お願いします!」とポンとおあずけして(>笑!)安心すればよかったんじゃないかな・・・と思いますが、でも、新米でなにかと肩に力が入っている母親(私のこと>笑!)は、そんなに気楽にはなれません。

きっとかわいがってくださるとは思いましたが、でも、やっぱり心配。生まれたての赤ちゃんに「いい子にしててね」なんて言い聞かせるわけにもいかず・・・じゃあ、どうすればいいの?・・・というわけで、一生懸命、かわいがっていただく方法を考えました。

かわいがっていただくには、かわいい子でなくちゃ・・・。その通りです。そうか、かわいい子であればいいってことだよね・・・。でも、じゃあ、かわいい子って、そもそもどういう子だろう?

いろいろ考えた結果、結局、かわいい子っていつもニコニコして機嫌のよい子ではないかしらという結論に至りました。赤ちゃんって、実は、泣いていても十分にかわいいのですけど(ですよね?)、でも、それは泣いていることに自分が責任をもたなくてよい場合のことです。自分が面倒をみているときにずっと泣かれたら母親だって閉口しますから、親でもないのに面倒をみてくださっている方は、きっともっと困るでしょう。それに泣いてばかりいたら、周りにも迷惑です。赤ちゃんが泣くのは嫌いという方も世の中にはたくさんいます。

そうか、じゃあ、不機嫌に長々と泣く子にはならないように気をつけよう!と思いました。でも、すぐに次の問いが浮かんでできます。じゃあ、あまり泣かないようにするにはどうすればいいの? いつもニコニコして機嫌のよい子にするにはどうすればいいの?

そこで観察です。赤ちゃんっていつ泣くの? うちの娘はいつ泣くの? どうすると泣くの?

実はうちの娘はほとんど泣かない赤ちゃんだったのですが(おっぱいが欲しくても、オムツがぬれても、眠くても、ちょっと「フン、フン、フニュ、フニュ」とぐずる程度でした)、どこまでおっぱいを待たせたら泣くか観察しようと、わざと飲ませないで寝かせておき、わ~んと大泣きするまでの時間をはかってみたりしました(この時の大泣きしている娘と隣で笑っている私の写真が残っています。記録に写真まで撮った親ってどうなんでしょう!)。

さて、「オッパイ飲んでねんねして」って言うのは『げんこつ山の狸さん』の歌ですが、生まれてすぐの赤ちゃんは、まさに「オッパイ飲んでねんねして」の繰り返し。おなかがすいたら飲ませて、十分寝かせればいい・・・。そうか、これだけなんだ。このリズムを崩さなければいいんだ! それからもうひとつ。オムツが汚れていないことも重要。なぁ~んだ簡単じゃん。実は、娘の場合は、起きている時間が長いので「一緒に遊ぶ」というのがけっこう重要だったのですが・・・ともあれ。

さて、それからは、1歳10カ月で日本からカリフォルニアに転居するまで、わが家の生活は『子どものリズム』中心に回すようにしました。もちろん両親とも仕事をしていましたから、家族全員が毎日同じ時間割で暮らせたわけではありません。でも両親とまるで本当のおばあちゃんのように面倒をみてくださったH先生との連携プレーで、娘の基本的な生活のリズムが大人の都合で狂わないように最大限まで努力しました。

実際の暮らしは、単純なことの繰り返し、単純なことの積み重ねです。気をつけるのは起床や就寝の時刻、お昼寝の時間、三度の食事やおやつをできるだけ規則正しくすることだけ。そして起きている時間にはできるだけ大人が相手をして遊ぶこと。できるだけ身体を動かして疲れさせ、よく眠るようにすること。遊び足りない日は、お風呂で長く遊ぶこと・・・などなど。

でも、言うは易し、これは大変なことでした。

早起きの娘は毎朝6時前には目を覚ましました。私の方は夜半過ぎまで仕事や家事。でも、たとえ寝不足でも、たとえ週末でも、娘と一緒に6時前に起きて、前の晩に洗った洗濯ものをベランダに干してから、海岸まで散歩に行きました。

週末には、買い物などの外に出なければならない用事もたまります。でも、そんなときも、朝早くから出てお昼寝時間の前に帰ってきて寝かせるか、お昼寝の後に出かけるようにしてました。遠出の時などは、出先でお昼寝タイムがとれるように予定を組みました。

当時、繰り返し読み聞かせていた絵本の一冊に「いいおかお」という松谷美代子さんの赤ちゃんシリーズの絵本がありました。古典的な雰囲気の絵本で、娘の時代と言うよりも私が赤ちゃんの時の私と母みたいな情景でノスタルジックなお話でした。「ふうちゃんが"いいおかお"していました」すると「あら”いいおかお”ね」ってお母さんがビスケットをくれました・・・のフレーズは、今も忘れられません。きっと私は心の中で「あなたも、いいおかおして、いい子でいてね!」って言い聞かせるような気持ちで読み聞かせていたのではないかしらと思います。若いお母さん(当時の私のこと>笑!)も、なかなか微笑ましいものですね。

さて、そんなわけで、毎晩3時間おきに目覚めておっぱいを飲んだ娘が1歳2カ月で断乳するまで、私の願いは一度でいいから6時間通して眠りたいというささやかなものでしたが、加えて週末にも子どもの生活時間を崩さないというルールを守るのも、若い親には、やっぱりかなりの試練でした。一度でいいから一日中心おきなく出かけたいものだと、とくに初めの一年間はずっと思っていました。

でも、おかげさまで(といったって、実は、本当にこの「規則正しい」暮らしの効果だったのか?は、実はわかりませんが)娘はいたって丈夫で、おなかがすいた時以外はあまり不機嫌にならず、楽しく遊んでニコニコと機嫌のよい子に育ちました。娘が病気しないでくれることが結局は親が仕事を続けられる基盤。その意味で、娘は大変に親孝行でした。夫も私も仕事が大好きでしたから、仕事を滞りなく続けるためなら、修道院のような子ども時間にそっての規則正しい暮らしにも文句など言いません・・・の心境でした。

私が、はじめて子どもをおいて(もちろん夫もおいて)晴れて一人で旅行に出かけたのは、娘が4歳になった年の初夏でした。「誕生日に何がほしい?」と聞かれて「一人でニューヨークに行きたい!」と言ったら、夫が『航空券と旅行鞄』をプレゼントして、おまけに「(娘と)留守番するよ」と申し出てくれたのです。仕事の出張には赤ちゃんの娘をおいて出かけていましたが(そんなとき娘はH先生のところに泊めていただいていました)、このニューヨーク旅行は完全に休暇で遊び!なんたる贅沢!もちろん文字通り喜び勇んで出かけました。そして、奇しくも、その後アメリカで働くようになるきっかけとヒントを得ることになり・・・これが私の人生のエポックを画す旅になりました。



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