浅間の麓から

張替本舗 金沢屋浅間店の張替日誌

『66年前の言問橋』

2011年03月10日 20時07分34秒 | 日記

今から66年前の3月10日未明、米軍B29の空襲で死者10万人以上の命を奪われた東京。その東京大空襲の惨劇で忘れてならないのが、言問橋ではないかと思います。
当時、空襲による火災で逃げ惑う人々が、浅草方面から「川の向こうに行けば助かる」と思い言問橋を渡ろうとした。また、隅田川の対岸にいる住民(向島・本所地区)も同じ事を考えて橋を渡ろうとした。結果、言問橋上で行き詰まり、身動きが取れなくなったところへ橋の上に火災旋風が容赦なく襲いかかってしまった。耐えかねた人々は、次々と欄干から身を躍らせ、死体で埋まった隅田川に落ちていったという。空襲が終わったあと、隅田川は一面凍死体が浮き、言問橋の上には黒焦げの焼死体が、河川敷にも積み重なった累々たる死体の山が築かれていた。という惨劇である。以前、自分も言問橋を実際に歩いて渡った事がありますが、やはり当時の事を回想いたしますと、大変胸が締め付けられる思いがしました。

いまや、世界一となったスカイツリーがあるこの地。悲しくも66年前の惨状など、スカイツリーのブームに掻き消されてしまっていますが、やはり今の日本の礎となった事実を決して忘れてはならないと痛切に感じています。皆さんも、スカイツリーに行かれる事があれば、是非とも言問橋に足を運んで欲しいと思います。

関連
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011031090070641.html


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