海と夕陽と彼女の涙 -公式ブログ-

映画「海と夕陽と彼女の涙」の撮影裏話や最新公開情報などをあなただけにお知らせします。

写真のひみつ

2006-06-30 10:39:57 | 製作委員会
今日で和歌山県内の公開は全て終了します。
長いような短いような1ヶ月でした。
さて、クライマックスシーンの「写真のひみつ」について。
映画を観た人で気づいた方、いませんか?
夏美が大切に持っていたあの写真、マキの応援に行く前に会津川で撮った4人の写真です。劇中、鮭山先生が取り上げて無残にもやぶいてしまいます。それをなお大切に持っていた夏美。クライマックスの高尾山のシーン、マキが連れ去られるとき、死神がひとさし指でその写真をさし  その一瞬に映る写真は、実は夏美が大切に持っていた写真と違うところが一ヶ所あるのです。気が付けば”アハ体験!”芳賀優里亜ちゃん演じる理沙に注目!!いつもすねたようにひとり横を向いているのですが、この一瞬の写真だけ 
死神さんの粋なはからいですね!誰か観てなかった?

映画の中での方言

2006-06-28 19:36:15 | プロデューサー
「海スト」はロケ場所が田辺市ということなんですが、映画の中には一切田辺市であることがせりふにないのです。これは太田監督のこだわりで、昭和40年代の郷愁を描ける場所が、自分の故郷の田辺市にあるからであって、決して舞台を特定して描きたくはなかったのです。「まるで40年代にタイムスリップしたかのような天然のロケセット」である田辺市の町並みの素晴らしさを使って、日本のある街の青春映画を撮りたかったのです。だから、鉄男以外は標準語なのです。では鉄男は何故大阪弁か?これは、以前に大阪で働いていたことがあるから、と言う監督が考えた履歴があるのです。僕たちもこの考え方には賛同しました。ひとつは大阪弁を喋ったことのない人がしゃべるのは取ってつけたようで難しいからです。そういう僕も関西弁なんですけどね。東京に住んで16年、いまだに標準語は難しいです。だから、逆もまた難しいですよね。日本語はほんまに難しいわー頑張って、標準語しゃべれるようになりまっせ

田辺市の素敵な面々⑥

2006-06-26 19:52:15 | プロデューサー
田辺市の公開も終わり、後は御坊が今週まで。なんだか寂しい気がします。寂しいと言えば、最近玉井さんからモーニングコールが来なくなったのも寂しいですねえ。公開前は、毎日のように決まって朝の九時前後には携帯がなったものです。その時間帯は、僕はほとんど朝風呂に入っていることが多いのですが、彼は朝の四時頃から起きているらしく、一番頭が冴えてくるらしいんです。はじめは迷惑(嘘ですよ玉井さん)やなあーと思っていたんですが、電話が掛からなくなったらなったで寂しいものです。ひょっとしたら、今年になって僕が一番電話をしたのが玉井さんかもしれません・・・・・かと言って、明日早々電話はいいですよ、玉井さん

千秋楽

2006-06-24 11:34:01 | 製作委員会
昨日でロケ地での上映は終了しました。
見納めにと、前から2番目の中央の席にすわり、ひとりでゆっくり観てきました。観終わった後会場をながめてみると、知り合いの顔も!映画が始まる直前にかかってきていた電話の主。後からわたしを見ていたのね。みわたすと座席がほとんど埋まっているほどの盛況でした。これで田辺では終了かと思うと一抹のさびしさが残ります。
改めてゆっくり観賞して発見したことがあります
それは・・・、最後まで夏美が肌身離さず持っていた「写真」に関するひみつです。気づいてた人いるかしら?
このことはまた次に
田辺のみなさん、たくさんのご観覧ありがとうございました。期間中に見られず前売り券が手元に残っている方、御坊ではあと1週間やっています。ぜひ観て下さい

『海スト』主題歌誕生秘話

2006-06-22 19:57:06 | プロデューサー
田辺市のTさんがあべさとえさんを連れてきました。何曲か生で聞き、透き通った声と懐かしいメロディが『海スト』にぴったり!そこで彼女に田辺市まで行ってもらって街や夕陽を見てもらって感じたものを曲にしたのが,「空の模様」です。昭和40年代の郷愁を感じさせる、ちょっぴりセンチな歌詞、曲は日本の映画の多くの作品を手がけている、遠藤浩二。この人とは僕も10年以上前からたくさんの作品で組んでいます。二人の才能に、田辺の景色があいまってすごく良い感じになりました。ここにも素敵な才能との出会いがあったのです。

映画のイメージはひまわりですが

2006-06-22 17:57:42 | 製作委員会
挿入歌にも「ひまわり」(あべさとえ)とあるように、映画は夏が舞台ですが、ロケ地田辺では、ひまわりどころかもう萩の花が咲いています。
こんな時期にもう萩の花?目を疑いました。夏がまだこれからなのにもう秋の花?温暖化の影響でしょうか?それともわたしの認識違い?
南方熊楠邸の庭で見つけました。南方先生の生きていた時代も、もしかして今ごろ咲いたのかしら?
ちなみに「ひまわり」や主題歌などが入ったCDも発売中!(¥1000)

弁慶ご一行

2006-06-20 11:21:00 | 製作委員会
「海スト」なりきり広報部隊の活躍については先日書きました。紀伊民報AGARAの監督日記にもたびたび登場しています。彼らのもうひとつの顔について書いてみたいと思います。
「紀州弁慶伝説保存会」がその正体です。弁慶ご一行はこの姿であちこち出没します。写真は近くにある龍神山のお祭りに一緒に登ったときの写真です。いつの時代かと思うでしょう?かなり険しい山道を1時間以上も登りました。馬鹿な~っ!祭事に招かれていたわけでもなく、たのまれたわけでもなく。ただただこの衣装で龍神山にお参りするところに彼らの美学があるのです。わかるかなあ?わからないですよね。たぶん。彼らの年に一度の晴れの舞台は「弁慶祭」の前夜祭(今年は10月6日)です。闘けい神社の境内で劇を演じます。それはみごとな演じっぷり。映画の中でも自然に演技ができたわけはここにあります。

地方と映画について

2006-06-18 15:09:59 | プロデューサー
今日はちょっと真面目に書いてみます。僕は地方で様々映画をプロデュースしました。函館で撮った「パコダテ人」・広島で撮った「ヒナゴン」・徳島で撮った「村の写真集」等。地方では皆さんが温かく迎えてくれて、撮影期間中はお祭り騒ぎ、地元の人たちと触れ合って、僕にとって人生の財産とも言える時間を過ごさせていただきました。これらの作品で映画祭も行きました。青森映画祭、夕張ファンタスチック映画祭等々・・・・。その夕張市が破産、国の支援を受けるという記事が今日ありました。映画祭はどうなるのでしょう?ほんとに暖かくて良い映画祭です。2月雪の中僕らが汽車で着くと、駅では地元の人が温かいものを作って待ってくれてます。街一面に映画の懐かしい看板のある街です。これから地方都市はどんどんこんな風になっていくのでしょうか?しかし田辺市は大丈夫でしょう。「海スト」を支援してくれた、実行委員会の人たちが居る限り!玉井事務局長のこの言葉が僕には忘れられません。撮影の打ち上げ時「あんたたちは、これで東京に帰ったらええけど、わしらはずーとここで暮すんやからのお」。撮影隊が”いいものを作る”
と称して無理難題を言ったときです。これには僕は参りました・・・・大反省です。ただ、映画によって少しでも、地方の活性化が図れればという思いは、微力ながら強くしました。日本中の純粋で素晴らしい才能に感謝!

プロデューサーその2

2006-06-17 15:51:11 | 製作委員会
最初に実行委員会の面々と会った日のこと。
上海映画祭で「村の写真集」という映画がグランプリをとった、その帰りでした。
上海から関空に直行、田辺入りしたのです。待ち構えていた実行委員会の前に、グランプリのトロフィーをおもむろに出してきました。本当だったんだ!はじめて見る映画祭のトロフィーそれにしても下着にくるんで持ち帰ったんじゃ値打ちないなあ・・・と、思いながらみんなであれこれ見ていたその時でした。ポロッと(音はしなかったけれど)くっついていたフィルムがとれて・・・大さわぎ!
これが、去年の6月20日のことでした。丸1年間も映画漬けになってたの?しかし、プロデューサー曰く「映画製作は3年は付き合いしますよ」

プロデューサー その1

2006-06-16 20:18:49 | 製作委員会
プロデューサーとはどんなえら~い人なのかと、素人の私たちは手探りでおつきあいを始めたのでした。そんな予想とはうらはらに、三木さんは緊張させない親しみやすい態度でした。これがくせもので、ついつい気を許してしまい気が付くと、どっぷりと映画に入り込んでしまってました。
素人だからこそ怖いもの知らずでやれることもあり、けっこう楽しんでしまいましたが?。ガイド本にそこだけ空気感の違う地元ページを差し込んだり、映画のプロモーションらしからぬ地元版広告をうってみたり、あげくの果てに業界人でもないのにカンヌまで
そんなこんなをとりまとめ(なくても)、映画をファンに届けるのがプロデューサー、やっぱりえら~い。映画がホントに好きでなくてはやってられないことは、よくわかりました。私にはとても無理で~す。でも今ウワサの事務局長たまちゃんならやれるかも?
私たち、あとやり残しがあるとすれば、「ストロベリーまんじゅう」くらいでしょうか?

田辺市の素敵な面々⑤

2006-06-15 19:40:58 | プロデューサー
またまた忘れたかのようなときに「田辺市の素敵な面々」シリーズです。僕も少し暇になった(ちょっと困るんですけどね)こんな時間に書いてます。
製作が決定して準備に入りました。そして製作スタッフと田辺実行委員会の方々との顔合わせをしようということで、商工会議所の会議室で製作側約6名、田辺側約20名が会いました。監督の熱いコメント、中田実行委員長の田辺市ロケについての想いがあり、製本された台本でのロケ先等の話、エキストラの要請と順調に議事進行。ここで、田辺市の組織も紹介されました。もちろん実行委員長は中田さん、副実行委員長に多田さんはじめ三方、顧問に監督のおじさんの神谷先生(この方には撮影中も本当にお世話になりました)、そして事務局長は玉井さん(僕が初めて会った時に一番きついことを言っていたおっさんです)「・・・・・うーん、こんなつわものばかり相手にして、か弱い僕が太刀打ちできるのかなあー」すごく不安な感じになりました(本当かどうかわかりませんが)しかし、組織を説明されても僕が窓口として相手するのは誰だか全くわかりません。で、その日主要な人たちと夜飲み会になって、話しているうちに仕切り屋は玉井事務局長やな・・・・とうすうす感じてきたのでした。「えー、こんな口の悪いごついおっさんと交渉していくの」(ごめんね玉井さん、僕より年下なのにおっさんよばわりして)ところが、この玉井おっさん見かけよらないんです。適材適所とはこのこと、製作から公開まで、大活躍!玉井マンの活躍ぶりは、次回の「田辺市の素敵な面々⑥」をこうご期待・・・・・・

瓜二つ?

2006-06-14 12:52:17 | 製作委員会
フランスからカンヌ映画祭の写真が届いた!
これがそのうちの一枚です。
カンヌ映画祭のジャコブ会長から、感謝のお手紙をいただいた瞬間の写真です。(日本の一地方からカンヌに出品するとは、これはたまげた~)っていうような意味の感謝状だと思うのですが・・・。それにしてもこの2人、なんか似ていません?中田実行委員長とジャコブ氏、まるで親戚同士みたい。
中田さん、何十年か後にはこんな風に年をとっていたりして?

『海スト』完成時間!

2006-06-11 22:42:07 | プロデューサー
正確には90分45秒。撮影ラッシュは2時間半にもなり、これでは長すぎるので監督と話して泣く泣く1時間近くカットしました。まだまだ凄く素敵な泣けるシーンがあったんですよ。でも劇場やテンポのことを考えて!秘蔵映像だね!



血液さらさら!

2006-06-09 23:31:22 | プロデューサー
今スーパーでナカタの梅干し買いましたよ~多田さん。田辺パワーで痛風良くなるかなあー、ア、イタイイタイ。早速梅干し食べよ!中田さんに感謝!あーうまい!梅とゆうげと僕の喜びや!朝になったら良くなってるかなあー。おやすみ

バリバリ現役

2006-06-09 18:33:31 | 製作委員会
死神さんが宣伝活動をしているその中に女子高生を発見!
「お手伝いしてくれているの?何年生?」近づいてきいてみた。「二十歳過ぎて初めて制服着ました~」と照れながら話してくれました。彼女も「海スト」なりきり隊のメンバーだったんです。制服はいわゆるコスプレ。言わなきゃわからない!現役かと思いました。
彼女は井畑美香さん、アドベンチャーワールドに勤める2?歳。ケニア号乗り場で案内をしているとか、トラやライオンやキリンと毎日会っているのでしょうか?
マキさんという姉妹もいるらしく、なるほどこの映画に縁が深いわけですね。